
藤堂高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、「築城三名人」の一人として知られています。
7回も主君を変えた「渡り奉公人」でありながら、最終的に徳川家康の絶大な信頼を得て津藩32万石の大名となりました。
ゲームの「信長の野望」シリーズでも必ず登場しますが、その経歴を知ったほうが、戦国時代を駆け抜けた一人の武将としてイメージしやすいでしょう。
そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、藤堂高虎の生涯や魅力を解説します。
藤堂高虎の出自・功績・逸話
藤堂高虎は、近江国の土豪から身を起こし、江戸時代まで長く活躍した戦国武将です。
| 名前(読み方) | 藤堂高虎(とうどうたかとら) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 与右衛門(通称)、与吉(幼名)、築城の名人 |
| 生年 | 弘治2年1月6日(1556年2月16日) |
| 没年 | 寛永7年10月5日(1630年11月9日) |
| 父 | 藤堂虎高 |
| 母 | 藤堂忠高の娘(多賀良氏出身) |
| 兄弟姉妹 | 兄・高則、弟・高清、正高など |
| 妻 | 正室:久芳院(一色義直の娘) 継室:松寿院(長連久の娘) |
| 子 | 嫡男・高次、次男・高重、養子・高吉など |
以降では、藤堂高虎の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
藤堂高虎は弘治2年(1556年)、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町在士)で土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。
藤堂家は先祖代々の小領主でしたが、父の代にはほとんど農民と変わらないまでに落ちぶれていたと伝わります。
幼名を与吉と名乗った高虎は、幼少期から人並み外れた体格に恵まれ、身長は6尺2寸(約190センチ)の大男に成長。
13歳の時には兄の高則よりも背が高く筋骨逞しい身体となり、兄の戦死後に若くして家督を継承することになります。
近年の研究では、先祖にあたる藤堂景盛が公家の広橋兼宣に仕える侍であったことが判明し、藤堂氏は京都にも拠点を持つ有力領主であったとされています。
家族や親類
父の藤堂虎高は若くして近江から甲斐の武田信虎の家臣となり、「虎」の字を賜るほどの有能な武将でした。
しかし他の家臣に嫉妬されて武田家を離れ、近江犬上郡藤堂村に戻って藤堂忠高の娘と結婚し、養子に入っています。
母は藤堂忠高の娘で、もとは多賀良氏の娘「とら」という名前だったそうです。
前述のとおり、兄の高則は若くして戦死しています。
高虎は、天正9年(1581年)に但馬養父郡大屋村の栃尾祐善の媒酌で一色修理太夫義直の娘(久芳夫人)と結婚しました。
また、継室として長連久の娘である松寿院を迎え、嫡男の高次をはじめ複数の子をもうけています。
内政や合戦での功績
元亀元年(1570年)、15歳の高虎は近江国の戦国大名・浅井長政に仕え、姉川の戦いで初陣を飾りました。
足軽として参戦しながらも見事に武功を上げ、長政から感状と脇差を受けています。
ところが、同僚との争論で相手を斬り捨てて逃走し、浅井家を出奔することに……。
天正元年(1573年)に浅井家が織田信長によって滅ぼされると、旧浅井家臣の阿閉貞征、磯野員昌、織田(津田)信澄と次々に主君を変えます。
しかし天正4年(1576年)、運命的な出会いが。
羽柴秀長(豊臣秀長)に300石で仕えることになったのです。
秀長のもとで但馬攻め、三木合戦、賤ヶ岳の戦い、紀州征伐、四国攻め、九州征伐に従軍し、着実に戦功を重ねて2万石の大名にまで出世します。
天正19年(1591年)に秀長が死去すると、甥の豊臣秀保を後見しますが、文禄4年(1595年)に秀保も早世したため一時出家しました。
その後、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉に請われて還俗し、伊予宇和島7万石の大名に。
朝鮮出兵では、漆川梁海戦で朝鮮水軍を殲滅する武功を挙げています。
秀吉が亡くなってからは、徳川家康に接近。
※秀吉が亡くなる前から家康との親交は深めていた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に参加し、西軍諸将の寝返り工作を行うなど大活躍を見せました。
晩年と最期
関ヶ原の戦い後、高虎は家康から今治12万石を加増されて20万石となり、慶長13年(1608年)には伊賀・伊勢に転封されて22万石の津藩主となりました。
大坂冬の陣・夏の陣では徳川方の先鋒として参戦し、八尾の戦いでは一族の藤堂良勝や藤堂高刑をはじめ、600余人の死傷者を出しながらも勝利に貢献しました。
戦後、その功績により5万石を加増されて計27万石となり、のちに32万3千石まで増加します。
徳川の世で出世街道をひた走る高虎でしたが、老いにはさすがに勝てなかったようです。
元和9年(1623年)頃から眼病を患い始め、寛永7年(1630年)には失明してしまいました。
それから7年後の寛永7年(1630年)10月5日、江戸の藤堂藩邸にて75歳でその生涯を閉じました。
家康からは「死後は天海と高虎と共に眠りたい」と遺言されるほど信頼された高虎。
家康の莫逆の友とも呼べるほどの存在だったそうです。
日光東照宮には、家康・高虎・天海の3人の像が奉られています。
押さえておきたいエピソード
藤堂高虎にまつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。
- 「出世の白餅」の逸話:若き日に三河吉田宿の餅屋で無銭飲食し、正直に謝罪したところ路銀まで与えられ、後に大名となって恩返しした人情話。
- 徳川家康の京都屋敷建設で独断で設計変更し、「天下の武将である家康様に御不慮があれば秀長の不行き届き」として費用を自分持ちで工事を行い信頼を獲得した。
- 二条城改修で2枚の設計図を提出し、「将軍が選択することで、将軍自身が改築した」として徳川秀忠の顔を立てた。
- 殉死を希望する家臣たちに対し、「これほど忠義に厚い者達を失うのは惜しい」として徳川家康に殉死禁止を依頼した。
- 家臣が他家に仕官する際は茶会で太刀を与え、「思わしくなければ戻ってよい」として寛大な対応を見せた。
ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!
信長の野望シリーズでの藤堂高虎
「信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。
ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、藤堂高虎の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
タイトル別能力
藤堂高虎の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 92 | 87 | 78 | 81 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 92 | 87 | 78 | 81 |
| 信長の野望・大志 | 内政92 外政84 |
87 | 81 | 81 |
| 信長の野望・新生 | 88 | 88 | 80 | 82 |
タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 攪乱 |
|
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 攪乱 |
|
- | - |
| 信長の野望・大志 | 采配 補佐:技巧 |
|
家名存続 | - |
| 信長の野望・新生 | 決死の心得 |
|
- | 庶民心得 (村掟) |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは全能力が80以上と有能で、政治力が高め。
内政で必要不可欠な武将として設定されています。
「信長の野望・創造 戦国立志伝」までは、能力の高さだけが際立っていて、勿体ないイメージがありましたが、「信長の野望・大志」から風向きが変わりました。
特に、「信長の野望・新生」では、「決死の心得」という固有戦法が!
敵の兵力と体力を減らす強力な戦法で、軍事面でも活躍しやすい武将になっています。
また、高虎の代名詞ともいえる築城に関する特性や個性は、必ず設定されます。
「築城名手」だけでなく、「城乗」のような攻城戦用の特性が付いているのがうれしい!
これで志や奉行特性も固有のものがつけば……は少し欲張りすぎかもしれませんw
いずれにしても、どんな役割でもこなしてくれる有能な武将であることは間違いありません。
ちなみに近江出身なので、年代の早いシナリオなら浅井家臣としてのスタートになりますが、1570年または1571年からの登場と若干遅いのが難点です。
浅井家のなかでは一番優秀な家臣になるので、内政・外交・軍事、全ての面で重宝することは間違いありません。
ただし、信長との同盟を破ったあとの浅井家での登場は、結構きつい……。
高虎の築城・攻城系の特性をうまく活かしながら、織田軍の攻勢を防ぎましょう。
大名プレイの場合、通常なら仮想シナリオか秀吉が亡くなったあとのシナリオでプレイすることになります。
関ケ原の戦いなら伊予宇和島、大坂の陣なら安濃津が領地です。
どちらも、潤沢な資金と豊富な軍力に恵まれているわけではないので、ここから天下統一を目指すのは大変。
※特に伊予宇和島はキツイ
ただ、やり応えは満点なので、チャレンジしてみるのもいいでしょう。
そう言ってる自分がまだチャレンジしたことないので、折を見て遊んでみます!
藤堂高虎プレイにおすすめのタイトル
藤堂高虎プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
藤堂高虎が登場する小説・書籍・アニメなど
続いて、各メディア作品で藤堂高虎に関するものをピックアップしておきます。
興味がある書籍や作品があればぜひ!。
登場する小説
- 『虎の城』 2004年 火坂雅志
七度主君を変えながら、武勇と知略でのし上がった藤堂高虎の波乱の生涯を描いた代表作!
リンク - 『下天を謀る』 2009年 安部龍太郎
戦国時代から江戸時代にかけ、異能の武将として活躍した藤堂高虎の人生を描く本格歴史小説です。
リンク - 『高虎と天海』 2024年 早見俊
徳川家康から絶大な信頼を受けた藤堂高虎と南光坊天海の智略と交友を描く書下ろし歴史小説です。
リンク
登場するマンガ
- 『信長の忍び』 2008年~ 重野なおき
浅井家家臣として登場。久政の命で千鳥と助蔵の口封じをしようとするが直経に……。
リンク - 『センゴク』 2004年~2007年 宮下英樹
豊臣秀吉の家臣、仙石権兵衛(秀久)が主人公のマンガ。権兵衛以上の巨躯を誇る武将として登場し、当初は尊大な性格だったが戦いを通じて成長していく姿が描かれています。
リンク
藤堂高虎の関連書籍
- 『江戸時代の設計者―異能の武将・藤堂高虎』 2006年 藤田達生
日本で初めて「藩」を構想した政治家として高虎を評価し、近世成立の新史観を提示。高虎の理解を深めるうえで必携の書籍です。
リンク - 『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』 2019年 萩原さちこ
築城名人としての高虎の技術と城の構造について詳しく解説した戦国城郭の入門書。お城に興味もったらまずはこちらを!
リンク
登場する映画やドラマ(NHK大河ドラマ以外)
- 映画『バトル・オーシャン 海上決戦』 2014年 韓国映画 演: 藤堂高虎:キム・ミョンゴン(吹き替え版:野島昭生)
朝鮮出兵を描いた韓国映画で、日本の武将として藤堂高虎が登場します。韓国国内での歴代観客動員数1位になるなど大ヒットした作品です。
大河ドラマでの藤堂高虎
大河ドラマでは、以下の6作品に登場歴があり、2026年の『豊臣兄弟!』で7回目の登場となります。
- 『春日局』(1989年) 演:ト字たかお
- 『葵 徳川三代』(2000年) 演:田村亮
- 『武蔵 MUSASHI』(2003年) 演:誠直也
- 『天地人』(2009年) 演:一岡裕人
- 『真田丸』(2016年) 演:日野誠二
- 『どうする家康』(2023年) 演:網川凛
- 『豊臣兄弟!』(2026年) 演:佳久創
大河ドラマでは、関ケ原の戦いにスポットが当たる作品で登場機会が多い印象です。
特に家康からの信頼が厚い外様大名として、政治的な場面でも重要な役割を果たす人物として登場しやすいです。
2026年の『豊臣兄弟!』では、秀長の重臣として、巨漢で知られ、武勇だけでなく学問も重視し、算術・鉄砲・築城など多くを学ぶ知勇兼備の武将として描かれる予定です。
今までとスポットの当たり方が異なるので、どんな藤堂高虎を見れるのか、いまから楽しみで仕方ありません!
ゆかりの地:藤堂高虎と歴史を感じる場所
藤堂高虎のゆかりの地を紹介します。
藤堂高虎出生の地(滋賀県犬上郡甲良町在士)
藤堂高虎の出生地は、近江国犬上郡藤堂村、現在の滋賀県犬上郡甲良町在士にあたります。
「出生地跡公園」として整備され、北東側には高虎公園が設けられています。
高虎公園には津城にあるものと同じ立派な騎馬像が建てられ、指は藤の花を指しているのが特徴です。
また、同じ在士地区にある在士八幡神社には、室町時代に藤堂氏の始祖・藤堂景盛が子孫の繁栄を願って植えた藤があり、毎年5月が見頃となっています。
ちなみに、現在も藤堂姓の家が2、3軒残っているそうです。
藤堂高虎公ゆかりの郷碑(兵庫県養父市大屋町)
大屋あゆ公園の隣に「藤堂高虎公ゆかりの郷」という高さ3メートルを超える記念碑が建てられています。
天正8年(1580年)、高虎は加保村の武士・栃尾加賀守の屋敷に寄宿し、翌年小代一揆の平定後に3千石を加増されて銃長になりました。
この地で栃尾祐善の媒酌により香住の一色氏の娘と結婚し、後に津城主の奥方となる久芳夫人を迎えています。
羽柴秀吉が鳥取城攻めの途中、高虎を訪ねて栃尾屋敷に立ち寄り、昼弁当をとったという記録も残されています。
高虎の出世街道はここから始まったといえる重要な場所です。
津城跡(三重県津市)
津城は、慶長16年(1611年)に高虎が大規模な改修を行った津藩32万石の居城です。
織田信包が創築した城を高虎が近世城郭として大改修し、北側の石塁を高く積み直し、三重の櫓を新設しました。
現在では本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみですが、復興された角櫓と苔むす石垣が往時を偲ばせます。
城跡には藤堂高虎の騎馬像が設置され、津市のシンボル的存在。
高虎は津城の改修だけでなく、参宮街道を城下に引き入れ、堀川を切り開くなど城下町整備にも力を注ぎました。
伊賀上野城(三重県伊賀市)
伊賀上野城は、慶長13年(1608年)に高虎が豊臣氏への備えとして大改修した城で、日本1、2の高さを誇る高石垣(約30メートル)で有名です。
もともと筒井定次が築いた城を高虎が約3倍の面積に拡大し、10の櫓を建設して守りの固い城に変貌させました。
ただし、大坂の陣で豊臣氏が滅んだため築城は中断され、天守が完成することはありませんでした。
現在の天守は昭和10年(1935年)に川崎克によって復興された木造建築で、城内には武具や甲冑など藤堂家ゆかりの品々が展示されています。
最上階からは城下町一円を見下ろす眺めが格別で、高虎の築城技術を実感できる場所です。
今治城(愛媛県今治市)
今治城は、関ヶ原の戦い後、高虎が慶長7年(1602年)から築城した海城。
瀬戸内海に面した平城として築かれました。
三重の堀に海水を引き込み、海から堀へ直接船で出入りできる日本最大級の船着場を持つ「日本三大水城」の一つです。
高虎が創始した層塔型の五重天守が建てられ、これが近世天守建築の主流となる画期的な発明でした。
広大な水堀と反りのない直線的な石垣、規格化された構造により工期短縮と移築の容易さを実現した高虎の代表作です。
現在は昭和55年(1980年)以降に再建された天守や櫓群が雄大な城郭の姿をよみがえらせ、夜間のライトアップも美しく幻想的な光景を楽しめます。
藤堂高虎の生涯と功績まとめ
藤堂高虎は近江の土豪から身を起こし、7度の主家を変えながら津藩32万石の大名にまで上り詰めた戦国時代屈指の立身出世の武将です。
「渡り奉公人」と呼ばれることもありますが、豊臣秀長や徳川家康など心から仕えると決めた主君には絶対的な忠誠を尽くしました。
黒田孝高(如水)、加藤清正と並ぶ「築城三名人」として、層塔型天守を考案し、今治城や津城をはじめ20以上の城の築城に関わった技術者でもあります。
外様大名でありながら徳川家康から信頼され、江戸幕府の基盤づくりに大きく貢献しました。
そんな藤堂高虎は「信長の野望」シリーズでも常連で、内政や築城に長けた有能な武将として設定されています。
最近のタイトルでは固有戦法が設定されるなど評価が上昇傾向にあり、有能さが増しています。
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目を集めれば、次回作ではよりパワーアップしそうな予感も。
藤堂高虎で天下統一を目指すのも全然ありでしょう!
また、ゲーミングPCのサイト「ツクモル?」で「信長の野望 新生」のプレイにおすすめのゲーミングPCを紹介しているので、ゲーミングPCの購入を検討している人は参考にしてみてください。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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