
石成友通(岩成友通、いわなり ともみち)は、戦国時代に三好長慶に仕えた武将です。
出自は謎に包まれていますが、三好長逸・三好宗渭と共に三好三人衆と呼ばれ、三好政権の中枢で活躍しました。
ゲームの「信長の野望」シリーズでも、三好三人衆の一人として必ず登場します。
能力値はそれほど高くはないので、重宝する人は少ないかもしれませんが、石成友通の経歴を知れば愛着が湧いてくるかもしれません!
そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、石成友通の生涯や魅力を解説します。
石成友通の出自・功績・逸話
石成友通は、三好長慶の奉行人として頭角を現し、三好政権の中枢を占めるに至った戦国武将です。
| 名前(読み方) | 石成友通(いわなり ともみち) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 岩成友通、石成長信(元亀元年から) |
| 生年 | 不詳 ※享年43歳とすれば享禄4年(1531年)生まれ |
| 没年 | 天正元年8月2日(1573年8月29日) |
| 父 | 不詳 |
| 母 | 不詳 |
| 妻 | 不詳 |
| 妻 | 不詳 |
| 子 | 不詳 |
以降では、石成友通の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
石成友通の出自については、複数の説が存在し謎に包まれています。
一説では、大和国石上神社の摂社「石成神社」があることから、大和出身ではないかとされます。
備後国品治郡石成郷の土豪との関係を推察する見解もあります。
『史略名称訓義』には「備後国岩成荘住人岩成蔵人正辰の男」と記されており、備後出身説も有力です。
また、京都郊外の西九条で下司(荘園管理の下級役人)を務めていたところ、やがて三好氏に臣従したとも伝わります。
いずれにしても、阿波出身ではないことは確実で、松永久秀と同様に畿内で登用されたと考えられています。
家族や親類
石成友通の家族や親類についても、詳しい記録は残っていません。
父母の名前も不明で、兄弟姉妹の存在も確認されていません。
妻子に関しても記録がなく、家族構成は謎のまま……
ただし、石成姓で実名に「友」が共通する石成弥介盛友という人物が、親族という説があるようです。
また、永禄11年(1568年)には石成兵部少輔という人物も友通とともに現れますが、こちらの素性は不明です。
他の三好三人衆のなかでも、親族の影が薄い特異な存在といえるでしょう。
内政や合戦での功績
石成友通の史料上の初見は、天文19年(1550年)のことです。
北野社の大工職の相論において、仲裁または調停役を務めていることが確認されます。
天文20年(1551年)11月には、堺で開かれた津田宗達の茶会に出席しており、この頃には既に三好長慶の側近として活動していました。
軍事行動における友通の初見は、永禄元年(1558年)の北白川の戦い。
永禄5年(1562年)に六角義賢が京に侵入した際は、足利義輝の警護を行ったそうです。
ただし、永禄7年(1564年)に三好長慶が死去。
その後は、三好三人衆の一人として甥の三好義継の後見役を務めています。
永禄8年(1565年)の永禄の変(将軍足利義輝の殺害)に関与するなど、三好長慶が亡くなって以降も、主家を主導する側の立場として活躍しました。
また、永禄9年(1566年)には、土豪の中沢満房らが立て籠もった勝竜寺城を攻め落とし、これを居城としました。
友通は勝竜寺城を拠点に山城西部の西岡地域を支配し、「最初の城主」とも評されています。
さらに、三好長慶死去後に三好三人衆と対立するようになった松永久秀との取次役を務めるなど、三好政権内部の調整でも重要な役割を果たしていたようです。
晩年と最期
永禄11年(1568年)、織田信長が足利義昭を奉じて上洛してきます。
石成友通は他の三好三人衆とともに六角義賢と連携し、織田軍に抵抗しました。
しかし、勝竜寺城は織田軍の攻撃を受け、最終的に和睦により城を明け渡すことになります。
その後の元亀2年(1571年)12月、友通は細川六郎とともに上洛を果たします。
この時、友通は三好方を裏切り、織田信長に拝謁して幕府陣営に身を投じました。
元亀3年(1572年)1月、織田信長は友通を山城郡司に任命し、実質的に山城守護の地位を与えました。
しかし、天正元年(1573年)、足利義昭が信長包囲網を各地の大名に指令すると、友通はこれに呼応して再び信長に反旗を翻すのです。
友通は淀城に立て籠もりますが、木下秀吉の調略により、番頭大炊頭義元と諏訪飛騨守三將が内通してしまいます。
天正元年8月2日(1573年8月29日)、内通者の策略により城外へ誘い出され、細川藤孝の軍勢と戦うことに。
最期は細川藤孝の家臣・下津権内と組み合い、堀に落下して水中で討ち取られ戦死したと伝わります。
享年は不明ですが、43歳と推定する説があります。
押さえておきたいエピソード
石成友通にまつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。
- 三好三人衆の中で唯一、三好一族出身ではない異色の存在だった
- ルイス・フロイスが、三好宗渭とともに「神の掟の敵」と呼ぶほど、キリスト教に寛容的ではなかった
- 戦の際の土豪の立て籠もり施設から、政権の拠点へと生まれ変わらせた勝竜寺城の「最初の城主」と評された
- 織田信長から細川藤孝宛ての書状で「表裏なき仁」と書かれるなど、一時期は信頼関係を築いていた
- 永禄10年(1567年)の東大寺大仏殿の戦いでは、松永久秀の奇襲を受け敗北を喫する
- 最期の戦いでは石成方の軍勢340名が友通とともに玉砕したと伝わる
ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!
信長の野望シリーズでの石成友通
「信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。
ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、石成友通の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
タイトル別能力
石成友通の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
ちなみにゲーム上での名前は、一貫して「岩成友通」です。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 42 | 65 | 51 | 48 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 42 | 65 | 51 | 48 |
| 信長の野望・大志 | 内政43 外政52 |
65 | 50 | 47 |
| 信長の野望・新生 | 50 | 60 | 57 | 46 |
タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 気勢崩し |
|
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 気勢崩し |
|
- | - |
| 信長の野望・大志 | 足止め 補佐:回避 |
|
家名存続 | - |
| 信長の野望・新生 | 底力 |
|
- | 楽市奉行 (楽市楽座) |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、どちらかといえば知略に長けた武将として設定されています。
織田信長に従ったり裏切ったりと、臨機応変に対応してきた辺りが、知略の高さにつながっているのでしょうか(この辺はよくわからないw)
三好三人衆の3人に言えることですが、固有の戦法や特性は持っていません。
とはいえ、気勢崩し・足止め・底力など、うまく使えば戦場でもそれなりに活躍できるでしょう。
政治力は50くらいと平凡ですが、『信長の野望・新生』では楽市奉行なので、楽市楽座の維持費用削減できるのは大きいです。
いずれにしても、家臣不足に陥りやすい序盤では、城主や部隊長として活用することになるでしょう。
大名プレイの場合、国替えしなければ畿内スタートなので、本願寺・鈴木・畠山あたりと共同戦線を張りつつ、将軍家を潰すのが最初の攻め手になるでしょうか。
三好家を継ぐと領地は広大なうえ、三好長慶の兄弟が優秀なので、天下統一はスルスルと進みやすいです。
石成友通プレイにおすすめのタイトル
石成友通プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
石成友通が登場する小説・書籍・アニメなど
石成友通が主人公の作品はおそらくありません。
登場人物の1人として扱われるケースも少なく、三好三人衆セットでの扱いが多そうです。
石成友通が登場するおもな作品や書籍は以下のとおりです。
- 『信長の忍び』 2008年~ 重野なおき
戦国4コマ漫画で三好三人衆の一人として登。三好三人衆は、三人とも顔のデザインが塗りつぶされた目にひょっとこ口で統一されている。
リンク - 『戦国武将列伝8 畿内編【下】』(2023年)編:天野忠幸
石成友通の章が収録されるなど、畿内を中心に活躍した戦国武将たちの生き様を詳述した戦国武将列伝シリーズです。
リンク - 『地図と読む 現代語訳 信長公記』 2019年 著:太田牛一、翻訳:中川太古
信長の旧臣・太田牛一が記した信長の一代記で、石成友通もちょくちょく出てきます。織田信長の将軍・足利義昭に提示した17か条の意見書にも名前が…!現代語訳し、地図とともに読みやすく編集されています。
リンク
大河ドラマでの石成友通
大河ドラマでは、以下の2作品に登場歴があります。
大河ドラマでは三好三人衆の一人として登場しますが、大河ドラマでも三人衆で一括り扱いされている感があるような……。
そのため、石成友通個人としてのエピソードより、集団としての政治的役割に焦点が当てられがち。
三好長慶が主人公の大河ドラマが制作されない限り、個別の活躍は見られないかもしれませんね。
2026年の『豊臣兄弟!』でも登場するかもですが、おそらく三人でセットの扱い!?
名前だけでも触れてあげて!
ゆかりの地:石成友通と歴史を感じる場所
石成友通のゆかりの地を紹介します。
東大寺(奈良県奈良市)
東大寺は、永禄10年(1567年)10月10日に起きた東大寺大仏殿の戦いの舞台となった場所です。
この戦いで石成友通ら三好三人衆は松永久秀の奇襲を受け、一時的に撤退を余儀なくされました。
現存する大仏殿は、江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたもので、国宝に指定されています。
戦国時代の戦火で2度焼失した歴史があり、友通が戦った当時の建物とは異なりますが、悠久の歴史を感じられる場所です。
1998年には、古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界文化遺産に登録されています。
勝竜寺城跡(京都府長岡京市)
勝竜寺城跡は、石成友通が永禄9年(1566年)から居城とし、山城西部の西岡地域を支配した拠点です。
友通がこの城を攻略したことで、戦の際の土豪の立て籠もり施設から政権の拠点へと生まれ変わりました。
京都府長岡京市勝竜寺にあり、小畑川と犬川の合流地点に位置する交通上の要衝でした。
また、安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点としても評価されています。
現在は勝竜寺城公園として整備され、模擬隅櫓や土塁、空堀などの遺構を見ることができます。
友通が織田信長の上洛軍と激闘を繰り広げた歴史の舞台として、戦国ファンには見逃せない場所です。
淀古城跡(京都府京都市伏見区)
淀古城跡は、石成友通が最期を遂げた城として知られています。
天正元年(1573年)8月2日、友通はここで細川藤孝の軍勢と戦い、討ち死にしました。
京都市伏見区納所北城堀にあり、木津・桂・宇治の三川が合流するポイントの北岸に築かれていました。
三方を川に囲まれた天然の要害で、古くからの商業地「淀」の中核都市だったそうです。
現在は城の遺構は残っておらず、妙教寺に石碑が建つのみ。
北城堀や小字城堀という地名が僅かにその面影を留める程度ですが、戦国時代をふと思い起こしたくなる場所じゃないでしょうか。
石成友通の生涯と功績まとめ
石成友通は、三好長逸・三好宗渭と共に三好三人衆の一人として、三好家の中核を担った武将。
政権運営を担う傍ら、勝竜寺城主として山城西部を支配しました。
織田信長の上洛時には激しく抵抗し、その後は信長に降伏したものの、最終的には信長包囲網に参加して討ち死にしています。
謎多き出自や、三好一族でないにも関わらず三人衆に選ばれた経緯など、興味深いエピソードに事欠かない武将といえるでしょう。
「信長の野望」シリーズでは、やや智謀向きの武将として設定されています。
ゲームであれば、三好家や織田家の家臣としてだけでなく、大名として天下統一を目指してみるのもいいでしょう。
出自不明の武将が天下に覇を唱えられるのも、「信長の野望」シリーズだからこそ実現できます。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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