
海北綱親は、戦国時代の名将として知られる浅井氏の重臣の一人です。
その軍事的才能と、息子・海北友松の芸術的才能によって、歴史に名を残しました。
とはいっても、マイナー武将の部類に入るため、一般的には知られていないのが残念です。
本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、海北綱親の生涯や最新情報を解説します。
- 海北綱親の出自・功績・逸話
- 信長の野望シリーズでの海北綱親
- 小説・映画・書籍に見る海北綱親
- 大河ドラマでの海北綱親
- ゆかりの地:海北綱親と歴史を感じる場所
- 海北綱親に関する最新の注目ニュース
- 海北綱親の生涯と功績まとめ
海北綱親の出自・功績・逸話
海北綱親は、浅井氏の三代にわたって仕えた重臣で、「浅井三将」または「海赤雨三将」の一人として名を馳せました。
| 名前(読み方) | 海北 綱親(かいほう つなちか) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 善右衛門、浅井三将、海赤雨三将 |
| 生年 | 永正11年(1514年) |
| 没年 | 天文4年(1535年) または 天正元年(1573年) |
| 父 | 不明 |
| 母 | 不明 |
| 兄弟姉妹 | 不明 |
| 妻 |
不明 |
| 子 | 海北友松(五男または三男)、友成 |
以降では、海北綱親の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
海北綱親の出自については詳細な記録が残っていません。
近江国の瓜生(うりゅう)を本貫地としていたと推定されています。
家族や親類
海北綱親の家族関係についての詳細な記録も少ないです。
ただし、唯一息子として伝わる人物で有名なのが、海北友松です。
友松は父の死後、仏門に入って画業を修め、安土桃山時代でも唯一無二の画家に。
一時は海北家の再興をめざした友松ですが、豊臣秀吉にその画才を認められたことから、最高を断念したといわれています。
海北友松の生涯をもっと深く知りたい人には、歴史小説「墨龍賦」がおすすめです!
内政や合戦での功績
海北綱親は、浅井亮政・久政・長政の3代にわたって軍奉行を務めた重臣でした。
智勇兼備の智将は高く評価され、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)にも「綱親こそが我が兵法の師である」と言わしめるたほど(出典は不明?)。
具体的な合戦での活躍について、詳細な記録は少ないようですが、浅井氏の重要な戦いに参加し、その才覚を発揮したと考えられています。
晩年と最期
海北綱親の最期については、1573年(天正元年)に織田信長による小谷城攻めの際に討ち死にしたというのが定説。
しかし、これより約40年前の1535年(天文4年)に、すでに討ち死にしていたという説もあります。
1535年の古文書に「海善」という人物の戦死が記され、これが海北綱親を指すのではないかという話のようです。
しかし、この説にも確証はありません。
両説の年代差は約40年もあり、どちらが真実かによって海北綱親の生涯は大きく変わってきます。
羽柴秀吉が絶賛した海北善兵衛(綱親)は、息子のほうだったのかも。
この辺りは、今後の研究の進展に期待したいところ!
押さえておきたいエピソード
海北綱親の逸話は少ないですが、以下3点を押えておくといいでしょう。
- 赤尾清綱、雨森弥兵衛(清貞)とともに、浅井の海赤雨三将と呼ばれた
- 羽柴秀吉が褒めちぎるほどの智将
- 息子は安土桃山随一の画家・海北友松
ほかにもエピソードをご存じの人がいたら、ぜひ教えてください!
信長の野望シリーズでの海北綱親
ここでは、戦国時代を舞台にしたシミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、海北綱親の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
対象のタイトルは、直近の4作に絞っています。
タイトル別能力
海北綱親の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 58 | 78 | 48 | 74 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 58 | 78 | 48 | 74 |
| 信長の野望・大志 | 内政:58 外政:69 |
79 | 48 | 72 |
| 信長の野望・新生 | 63 | 83 | 42 | 71 |
また、タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 足止め |
兵家 |
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
足止め |
兵家 |
- | - |
| 信長の野望・大志 | 策士 補佐:強撃 |
|
領地保全 | - |
| 信長の野望・新生 | 錯乱 |
|
- |
軍師心得 |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、知略と統率に優れた武将として描かれています。
設定イメージとしては、軍師・参謀の智将といったところなのでしょう。
武勇は50を切っていますが、副将的立場として部隊に設定したり、武勇特化の武将を副将につければ問題ありません。
戦法、「信長の野望・大志」の志、「信長の野望・新生」の奉行特性は、汎用のものが設定されているため、奉行としての活用や大名プレイで重宝では少し物足りない感じです。
統率の高さから、専守防衛とする城の城主にするのはありでしょう。
海北綱親プレイにおすすめのタイトル
海北綱親プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
海北綱親は、どのタイトルでも家臣として登場し、最初から大名になっているケースはないです。
そのため、「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
また、1514年生まれと織田信長より20年も早く生まれているので、大名プレイをノンビリやっていると綱親の代で天下統一を成し遂げられないかもです!
小説・映画・書籍に見る海北綱親
海北綱親を主人公とした小説や映画は確認できませんでした。
戦国時代を描いた作品の中で脇役として登場することはあったとしても、主人公として採用されるケースはなかなかないようです。
ただし、秀吉が認めていた軍師という触れ込みがあることから、歴史群像デジタルアーカイブスでは、「戦国時代の天才軍師」として取り上げられていました。
興味のある方は、以下の書籍を手に取ってみてください。
大河ドラマでの海北綱親
NHK大河ドラマで海北綱親が登場した作品も、現時点ではありません(おそらく)。
浅井家の重臣のなかでも、赤尾清綱が登場することはありますが、海北綱親は未登場です。
大河ドラマの主人公として取り上げられることもなさそうですが、浅井長政が主人公になれば登場する確率が高いでしょう。
もし大河ドラマで登場した際は、かなりのレアキャラ登場ということでSNSで大盛り上がりしそうな予感!
ゆかりの地:海北綱親と歴史を感じる場所
海北綱親のゆかりの地を2つ紹介します。
小谷城跡(滋賀県長浜市)
小谷城跡は、海北綱親が仕えた浅井氏の本拠地として知られる国指定史跡です。
北陸道と中山道の要衝に位置し、琵琶湖を見下ろす絶好の場所に築かれたこの山城は、日本五大山城の一つに数えられています。
現在でも当時の巧みな地形利用や石垣の跡が残り、日本百名城にも選定された人気の観光スポットです。
四季折々の自然美も魅力で、ハイキングを楽しむ人々で賑わいます。
麓から本丸まで約70分、さらに奥の曲輪まで進むと3時間以上かかることもある点に注意しましょう。
観光シーズンにはシャトルバスも運行されるので、体力に自信のない人も気軽に訪れることができます。
機会があったら立ち寄ってみてください!
建仁寺(京都市東山区)
京都にある建仁寺は、海北綱親と直接関係はありませんが、綱親の子・海北友松と関係の深いお寺です。
なぜなら、建仁寺には海北友松の代表作が数多く所蔵されているからです。
また、そのほとんどが重要文化財に指定されています。
「雲龍図」「花鳥図」「竹林七賢図」「琴棋書画図」「山水図」などの襖絵は、友松の独特の画風を示す傑作。
建仁寺の北東には八坂神社、南東には清水寺があるので、京都に観光で訪れた人は建仁寺にも立ち寄ってみてください。
海北友松の迫力ある水墨画をご堪能ください!
海北綱親に関する最新の注目ニュース
現時点では、海北綱親に関する最新の史料発見などの大きなニュースは見あたりませんでした。
今後ニュースを発見次第、更新していく予定です!
海北綱親の生涯と功績まとめ
海北綱親は、浅井三将の一人として浅井氏に仕え、その軍事的才能を発揮した戦国武将でした。
その知略は現代にも語り継がれ、「信長の野望」シリーズなどのゲームでも高く評価されています。
また、息子の海北友松が名高い画家となったことで、武と文を兼ね備えた家系としても知られています。
本記事を機会に、海北綱親に興味を持ってもらえたらうれしいです!
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!