
朝倉景紀(あさくら かげとし/かげのり/かげただ)は、戦国時代に越前朝倉氏の一門として敦賀郡司を務めた人物です。
朝倉宗滴の養子となり、武勇のみならず和歌や連歌にも通じた文武両道の武将。
ゲームの「信長の野望」シリーズでも必ず登場しますが、その経歴を知ったほうが、戦国時代を駆け抜けた一人の武将としてイメージしやすいでしょう。
そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、朝倉景紀の生涯や魅力を解説します。
朝倉景紀の出自・功績・逸話
朝倉景紀は、越前朝倉氏に仕えた一門衆です。
| 名前(読み方) | 朝倉景紀(あさくら かげとし/かげのり/かげただ) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 孫九郎、九郎左衛門尉 |
| 生年 | 永正2年(1505年) |
| 没年 | 元亀3年5月1日(1572年6月11日) |
| 父 | 朝倉貞景 |
| 母 | 斎藤利国娘 |
| 兄弟姉妹 | 孝景、景高、景郡、道郷、景延ほか |
| 妻 | 不詳 |
| 子 | 景垙、景恒、福富秀勝室 |
以降では、朝倉景紀の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
朝倉景紀は永正2年(1505年)、越前朝倉氏9代当主・朝倉貞景の四男として誕生しました。
越前朝倉氏は但馬国から越前国に入り、戦国大名として一乗谷を拠点に越前国を支配していた名門です。
景紀は、幼い頃から一族の重鎮であった朝倉宗滴の養子となりました。
宗滴といえば、「鬼宗滴」と呼ばれるほどの勇猛な武将で、朝倉家の軍事を一手に担う存在。
養父に育てられた景紀は、武芸だけでなく教養も身につけ、若い頃から各地の戦いに従軍して武功を重ねました。
家族や親類
父の朝倉貞景は、朝倉氏9代当主として、朝倉家の基盤を固めた人物です。
母は斎藤利国(妙純)の娘。
斎藤利国は、美濃守護代斎藤利永の子で、斎藤妙椿の養子となった戦国武将です。
景紀と利国の娘の婚姻により、斎藤氏との連携が強固になりました。
また、養父の朝倉宗滴は、朝倉家最強の武将であり、景紀の武将としての資質を育てました。
兄の朝倉孝景は、10代当主として朝倉家の全盛期を築き、文化的にも一乗谷の発展に尽力した名君です。
景紀の長男・景垙(かげみつ)は、永禄元年(1558年)頃に父から敦賀郡司職を譲られました。
しかし、永禄7年(1564年)の加賀国侵攻で朝倉景鏡と大将の座を巡って争い、敗れて陣中で自害してしまいます。
次男・景恒は僧籍にありましたが、兄の死後に還俗して敦賀郡司を務め、足利義昭を敦賀に迎えて中務大輔に任ぜられました。
かし元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いで織田軍に敗れて開城し、失意の中で死去したと伝わります。
内政や合戦での功績
大永7年(1527年)、景紀は養父・宗滴と共に京都に出陣。
この出陣は、室町将軍・足利義晴の要請によるものです。
このとき、川勝寺口の戦いにて、敵方である堺公方軍を撃退する武功を挙げました。
享禄4年(1531年)には、加賀国出陣に従軍し、加賀一向一揆との戦いで活躍しています。
同年頃に敦賀郡司職に就任し、若狭方面の軍事を担当する重要な役割を任されています。
郡司職は、永禄元年(1558年)頃、嫡男の景垙に譲りましたが、その後も敦賀郡司家を代表して軍事行動を指揮し続けたようです。
永禄4年(1561年)5月には、朝倉軍総大将として逸見氏の叛乱鎮圧のため、若狭に出陣。
永禄6年(1563年)に、丹波の松永長頼と通じて謀叛を起こした若狭の粟屋勝久との戦いが勃発。
永禄11年(1568年)あたりまで、刈田狼藉を繰り返すなど朝倉家の若狭支配の維持に努めています。
晩年と最期
永禄7年(1564年)9月、景紀の人生に大きな転機が訪れます。
嫡男・景垙が加賀出陣の折、朝倉景鏡と大将の座を巡って争った結果、敗れて陣中で自害する事件が発生したのです。
失意の中、景紀は永禄8年(1565年)頃に川島庄(現在の福井県鯖江市川島町)に隠居しました。
また、この事件をきっかけに、景紀と朝倉景鏡との対立は激化し、朝倉家内部の分裂が深刻化しました。
例えば1567年に足利義昭が一乗谷を訪れた際のこと。
席次を巡って争いが生じ、一方が義昭の元へ伺候すると一方は不参するという有様でした。
朝倉家中の不穏な動きが高まる一方、隠居した景紀は光厳寺(専立寺の前身)で晩年を過ごし、元亀3年5月1日(1572年6月11日)に67歳で死去しました。
その後、織田信長の越前侵攻により敦賀郡司職は廃止。
景紀の家系は没落の一途をたどることとなりました。
押さえておきたいエピソード
朝倉景紀にまつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。
- 永禄3年(1560年)に一乗谷で行われた連歌会で興行担当を務めた
- 永禄5年(1562年)の曲水宴の歌会にも参加するなど、和歌や連歌に通じた文武両道の人物であった
- 養父・宗滴同様に茶の湯にも精通していた
- 2016年に福井県鯖江市専立寺で五輪塔の地輪が発見され、朝倉一族初の実際の埋葬地として話題となった
- 織田信長の越前侵攻を恐れた住職が、景紀の墓標を自然石に置き換え、敵方の破壊から守ろうとした逸話も残る
ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!
信長の野望シリーズでの朝倉景紀
「信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。
ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、朝倉景紀の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。
タイトル別能力
朝倉景紀の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 57 | 55 | 60 | 65 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 57 | 55 | 60 | 65 |
| 信長の野望・大志 | 56 | 56 | 59 | 64 |
| 信長の野望・新生 | 59 | 51 | 64 | 62 |
タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 鬨の声 |
|
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 鬨の声 |
|
- | - |
| 信長の野望・大志 | 用心 補佐:斥候 |
|
領地保全 | - |
| 信長の野望・新生 | 急襲 |
|
- | 朝倉伝 (英林壁書) |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、ステータスが50台~60台と平均よりやや高めの設定。
どちらかといえば、武勇・統率が得意な武将として設定されています。
極端に秀でた分野はないものの、バランスが取れているため、使い勝手はいいほうでしょう。
ちなみに、さらに過去のタイトルも調べると、シリーズを重ねるごとに能力値が上昇傾向にあります。
「信長の野望・創造PK」あたりで一旦落ち着いた感があるので、これ以上数値が変わることはなさそうですが、政治や武勇が30台のころもあったことを考えると、かなり評価が見直されている武将です。
軍団長にするにはちょっと物足りないタイプですが、城主であれば全然任せられます。
もしくは、兄・朝倉孝景亡き後の後継者として大名にしてしまうのもアリ!

朝倉景紀プレイにおすすめのタイトル
朝倉景紀プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
朝倉景紀が登場する小説・書籍・アニメなど
続いて、各メディア作品で朝倉景紀に関するものをピックアップしておきます。
朝倉景紀が主人公の作品はなく、登場人物の一人として登場する機会はかなり少ない……。
とはえい、朝倉氏中心の小説や書籍であれば触れられることもあります。
興味がある書籍や作品があればぜひ!
登場する小説
- 『酔象の流儀 朝倉盛衰記』 2018年 赤神諒
朝倉宗滴死後の朝倉家内部の権力争いを描いた歴史小説で、景紀もちょっとだけ登場します。朝倉家衰退の要因として家臣団の対立を詳しく描いた良作です!
リンク
朝倉景紀の関連書籍
- 『朝倉氏と戦国村一乗谷』 2017年 松原信之
越前朝倉氏の実像を史料に基づいて解明した研究書です。朝倉氏をよりくわしく知るならこの一冊。
リンク - 『朝倉氏の城郭と合戦』 2020年 佐伯哲也
越前朝倉氏の築城技術と対外戦争を分析し、戦国大名としての朝倉氏を再評価した専門書。一乗谷城をはじめ51城が掲載され、お城好きにはたまらない一冊です!!
リンク - 『戦国武将列伝5 北陸編』 2025年6月5日 山田邦明・長谷川裕子・萩原大輔(編)
北陸地方の戦国武将52名を最新研究に基づいて解説する人物列伝です。景紀の列伝はないものの、息子の景垙・景恒が取り上げられています。
リンク
大河ドラマでの朝倉景紀
大河ドラマでは、朝倉景紀本人の登場歴はありません。
ただし、次男・景恒が1992年の大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』に登場しています(演:伊藤昌一)。
信長さまが朝倉攻めの際、金ヶ崎城を守っていたのが朝倉景恒なのです。
ところが、景恒は徹底抗戦することなく城を捨てて撤退です。
傷1つ追わず逃げ帰ってきた景恒に対し、主君・義景は「名を捨てて出家しろ」と怒り心頭……少し残念なシーンでの登場が可哀想。
朝倉氏が中心の大河ドラマでない限り、景紀が登場するのはきびしいと思います。
一時期は、福井県で朝倉氏の大河ドラマ誘致活動があったので、朝倉孝景や朝倉義景が主人公の大河ドラマが実現すれば、景紀の活躍の場もあるでしょう!
ゆかりの地:朝倉景紀と歴史を感じる場所
朝倉景紀のゆかりの地を紹介します。
一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市)
一乗谷朝倉氏遺跡は、景紀が所属した朝倉一族の本拠地で、戦略・政務両面で重要な役割を果たした場所の遺構です。
景紀が興行担当を務めた連歌会も、ここ一乗谷で行われました。
場所は福井県福井市城戸ノ内町にあり、特別史跡・特別名勝・重要文化財に指定されています。
復元された武家屋敷や庭園からは、景紀が活動した戦国時代の一乗谷の繁栄ぶりを体感できるでしょう。
山城部分には堀切・竪堀・郭など約140箇所の遺構が現存しているため、お城好きにもたまらない遺跡です!
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館(福井県福井市)
一乗谷朝倉氏遺跡博物館は、朝倉景紀の一族である朝倉氏の歴史全体を総合的に学べる施設です。
福井県福井市安波賀中島町8-10にあり、出土品170万点以上を保管・展示しています。
精密な復元模型や映像展示を通じ、景紀が生きた戦国文化を立体的に紹介しています。
例えば、ARシアターや一乗谷のジオラマ模型があり、景紀の時代の一乗谷の様子を見える形で知ることができるんです!
庭園文化や食文化の展示も充実しているため、景紀を始めとし、朝倉氏が親しんだ文化的環境を理解するのに最適です。
専立寺(福井県鯖江市)
専立寺は、朝倉景紀が晩年を過ごし、埋葬された菩提寺です。
福井県鯖江市川島町28-25にあり、前身は景紀が隠居した光厳寺。
2016年にここで発見された景紀の五輪塔地輪は、朝倉一族で初めて特定された実際の埋葬地です。
地輪には、法名「大機伊冊居士」と没年「元亀三年壬申五月一日」が刻まれ、直接見学できます。
境内には、景紀が晩年を過ごした時期に起源が遡ると推定される庭園も残っています。
朝倉景紀の生涯と功績まとめ
朝倉景紀は、文武両道に秀でた武将であり、敦賀郡司として朝倉家を支えた重臣です。
加賀一向一揆討伐や若狭攻略で武功を挙げる一方、連歌や茶の湯にも通じた教養人でもありました。
嫡男の死と朝倉景鏡との対立がなければ、朝倉家衰退も防げたかも……!?
また、2016年の墓の発見により朝倉一族研究に新たな光が当たり、改めて注目を集めた武将でもあります。
「信長の野望」シリーズでも、朝倉家の家臣として必ず登場する武将です。
特別能力が高いわけではないものの、バランスの取れた能力値で設定され、朝倉家の天下統一には欠かせません。
本記事をきっかけに、朝倉景紀を重用してもらえるとうれしいです!
また、ゲーミングPCのサイト「ツクモル?」で「信長の野望 新生」のプレイにおすすめのゲーミングPCを紹介しているので、ゲーミングPCの購入を検討している人は参考にしてみてください。
では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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