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加藤清正の恩人、加藤光泰の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

加藤清正の恩人、加藤光泰の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

加藤光泰は、豊臣秀吉に仕えた戦国武将。

秀吉の弟・豊臣(羽柴)秀長の小説でもたびたび登場する人物です。

その生涯は波乱に富み、面白いエピソードもあるので、多くの人に知ってほしい武将の一人。

ですが……「信長の野望」シリーズでは、なぜか不当な扱いを受けている気がしますw

そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、加藤光泰の生涯や最新情報を解説します。

加藤光泰の出自・功績・逸話

加藤光泰は、豊臣政権下で甲斐国24万石を治めた大名であり、秀吉の信頼厚い家臣でした。

名前(読み方) 加藤 光泰(かとう みつやす)
別名/渾名/二つ名 作内(さくない)、遠州(通称)
生年 天文6年(1537年)
没年 文禄2年8月29日(1593年9月24日)
加藤景泰
不詳
兄弟姉妹 一柳可遊室、光政

正室:一柳可遊の妹

貞泰、竹中重門正室、光直、光吉(養子)

以降では、 加藤光泰の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。

出自

加藤光泰は天文6年(1537年)、美濃国厚見郡今泉村橋詰の庄(現在の岐阜市)で生まれました。

父は加藤景泰で、藤原鎌足の子孫とされる家系に連なる武将でした。

家族や親類

光泰には実弟の光政がいて、後に甲斐国の統治を助けることになります。

また、一柳可遊の妹を正室に迎え、一柳家とも縁戚関係を結びました。

子には貞泰や光直がおり、特に貞泰は後の大洲藩初代藩主です。

内政や合戦での功績

光泰は斎藤龍興に仕えていましたが、斎藤家が没落すると、木下秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣となりました。

秀吉の家臣団のなかでは美濃衆のひとりです。

秀吉の下で数々の戦功を挙げ、播磨国三木城攻め山崎の戦い賤ヶ岳の戦いなどで活躍。
※賤ヶ岳の戦いでは軍奉行を務めていたらしい。

特に山崎の戦いでは、明智光秀の本隊を奇襲し、総崩れのきっかけを作ったことで知られています。

これらの功績により、天正13年(1585年)には美濃大垣城主4万石に加増。

ところが……

同時に任された蔵入地2万石の管理を私物化したため、秀吉の勘気を被ってしまいます。
※領地を勝手に家臣たちに与えてしまったとか……それは秀吉もさすがに怒るでしょう。

怒り狂った秀吉は、同年9月に領地を召し上げ、大和郡山城での謹慎を命じられました(秀吉の弟・豊臣秀長預かりとなった)。

それでも天正15年(1587年)には赦免され、佐和山城2万石に封じられ、従五位下・遠江守に叙任されています。

さらに、天正18年(1590年)の小田原征伐での功により、甲斐国24万石を与えられるという大抜擢を受けることに。

甲斐国主となった光泰は、領国経営に力を注ぎました。

寺社との良好な関係を築き、各地に安堵状を発行。

また、甲府城の改修を進め、防衛体制を強化しました。

徳川家康の勢力と接する重要地域であることを認識し、慎重かつ効果的な統治を心がけたのでしょう。

晩年と最期

文禄の役(1592年)が始まると、還暦近い光泰は自ら出陣を志願します。

朝鮮の地で、宇喜多秀家率いる軍の一員として戦いに臨みました。

しかし、戦況が膠着(こうちゃく)する中、光泰は突如として病に倒れます。

そして文禄2年(1593年)8月29日、釜山近郊の陣中で57年の生涯を閉じました。

光泰の遺骸は荼毘に付され、骨は甲斐善光寺に葬られました。

生前から篤く信仰していた寺院での永眠となったのです。

押さえておきたいエピソード

光泰の人柄を表す興味深いエピソードとして、文禄の役での出来事が挙げられます。

「賤ヶ岳の七本槍」で有名な加藤清正が危険な状況に陥ったときのこと。

光泰は他の武将たちが清正を見捨てようとしたことに激怒し、「砂でも食らうがよい!」と叫んで撤退を拒否したといいます。

この行動により、清正の命を救ったとされています。

また、光泰の死因については諸説あります。

単なる病死説もあれば、政敵による謀略説・毒殺説も。

特に、石田三成が関与したという噂は根強く、加藤家が関ケ原の戦いで東軍に寝返った理由ではないかとも言われています。

信長の野望シリーズでの加藤光泰

ここでは、戦国時代を舞台にしたシミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズで、加藤光泰の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。

対象のタイトルは、直近の4作に絞ってみました!

タイトル別能力

加藤光泰の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。

タイトル 政治 知略 武勇 統率
信長の野望・創造PK 45 43 36 39
信長の野望・創造 戦国立志伝 45 43 36 39
信長の野望・大志 内政:45
外政:42
45 36 39
信長の野望・新生 41 42 32 41

また、タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。

タイトル 戦法 特性・個性 奉行特性
信長の野望・創造PK 激励

(初期特性なし)

- -
信長の野望・創造 戦国立志伝

激励

(初期特性なし)

- -
信長の野望・大志 臨戦
補佐:万全
  • 士気向上
家名存続 -
信長の野望・新生 足止
  • 攻勢
-

兵糧奉行
(小荷駄隊配備)

ゲーム内で向いている役割

信長の野望」シリーズでは、残念なことに、特筆すべきステータスがない凡庸な武将として描かれています。

城主はおろか、部隊の指揮官や軍団長の一人として任せるのも、ちょっと危なっかしい……。

戦法、「信長の野望・大志」の志、「信長の野望・新生」の奉行特性も、汎用のものが設定されているので、本当にいいところなしです。

ちなみに、加藤光泰は登場するタイトルが意外に少なく、上記以外だと「信長の野望・覇王伝」と「信長の野望・天翔記」の2作品。

そしてどちらの作品も、軍事系は70越えだったのです。
※古いタイトルなので調べてみて初めて知りました……。

にもかかわらず、「 信長の野望・創造PK」で復活登場してからは、ご覧のありさま。

戦働きで多くの戦功を挙げ、朝鮮出兵では加藤清正の命を救う男気のある武将。

そして一度美濃では失敗しているものの、甲斐での統治でしっかり挽回しています。

これらの実績をふまえると、最近の評価はちょっと不当な扱いすぎやしないでしょうか?

今後の新作で、ステータスの再評価が行われることを期待したいです!

加藤光泰プレイにおすすめのタイトル

加藤光泰プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。

それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!

タイトル おすすめポイント
信長の野望・創造PK
  • 内政と軍事、どちらもほどよく楽しめる
  • 複雑すぎないゲームシステムで遊びやすい
  • 築城で支城を作れば戦略の幅が広がり、より楽しくなる
信長の野望・創造 戦国立志伝
  • 大名プレイのみならず家臣プレイも堪能できる!
  • ゲームシステムは創造PKを踏襲しているので遊びやすい
  • 異次元世界にある領地を発展させるのが楽しい!
    (個人的には、領地の兵力はあまり増やさないほうが楽しめる)
信長の野望・大志
  • 戦国時代のリアルな戦闘の雰囲気を味わえる野戦が楽しい!
  • 「志」システムが大名の個性を引き出している
  • 他国との外交が天下統一への肝になっているところに現実味がある
  • 正室以外に側室も設定できるのがうれしいw
信長の野望・新生
  • 籠城戦はシリーズNo.1の作りこみ!籠城戦楽しい!
  • 大志同様、外交戦略も必要な点にリアルさを感じる
  • コツさえわかれば小国でも乗り切れる(序盤はかなりきつい)
  • 武将ごとに設定された「奉行特性」は、効果の説明を読むだけでワクワクするw

 

加藤光泰プレイでの注意点

加藤光泰が最初から大名になっているケースはない点に注意しましょう。

シナリオによっては、登場年の1552年以降にならないと出てきません。

そのため、「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。

  • 大名プレイをするには、元々仕えている大名の娘婿になり、大名を隠居して家督を継がせる必要がある
  • 信長の野望・大志」(PK版のみ)や「信長の野望・新生」の場合、ゲーム開始前に大名を変更する。

 

小説・映画・書籍に見る加藤光泰

加藤光泰が主人公の作品は、残念ながら現時点では存在しません

ただし、豊臣秀吉や豊臣秀長に関連する作品であれば登場したり、紹介されたりすることがあります。

たとえば以下の作品に登場するので、気になる方はぜひ!

 

 

大河ドラマでの加藤光泰

NHK大河ドラマで加藤光泰が登場した作品も、現時点ではありません

1回くらい出てるかなと思ったのですが、過去作品の配役の中に名前は見つかりませんでした。

ただし、2026年の『豊臣兄弟!』では登場する可能性が高いです。

前述のとおり、秀吉に怒られて蟄居していた先が、秀吉の弟・秀長の治める大和郡山でしたからね。

豊臣兄弟!』で俳優さんにしっかり演じてもらい、「信長の野望」シリーズでのステータス再評価につながると、天国の加藤光泰も喜ぶでしょう!

ゆかりの地:加藤光泰と歴史を感じる場所

加藤光泰のゆかりの地を2つ紹介します。

甲斐善光寺(山梨県甲府市)

甲斐善光寺は、加藤光泰が熱心に信仰していたお寺で、甲斐国主として寺の保護にも尽力しました。

文禄2年(1593年)に朝鮮の地で没した際、その遺骨はこの寺に葬られました。

現在、境内には光泰を偲ぶ五輪塔が建立されています。
※元文4年(1739年)に後裔が追善供養のために奉納したもの。

寺に残された古文書の中には、光泰が発給した安堵状なども含まれ、光泰の統治スタイルを知る手がかりとなっています。

さらに、毎年8月29日の光泰の命日には、加藤家の子孫や地元の人々によって法要が営まれるそうです。

甲斐善光寺を訪れれば、光泰の信仰心や統治者としての姿勢、そして光泰の記憶が今なお地域に息づいていることを感じ取ることができるかもしれません。

甲府城跡(山梨県甲府市)

甲府城跡は舞鶴城公園として整備され、現在では市民の憩いの場。

光泰は甲斐国24万石を与えられた際、この地に本格的な平城を築き始めました。

それまでの武田氏時代の館を拡張し、近世城郭としての機能を備えさせたのです。

石垣の築造や堀の拡張に力を入れ、防御力の高い城郭を目指したそうです。

現在でも、光泰時代に築かれた石垣の一部を見ることができます。

特に、本丸跡や二の丸跡に残る石垣は、当時の築城技術の高さを物語っています。

堀の跡も一部保存されており、城の規模を想像させてくれるでしょう。

公園内には光泰の銅像が建立され、甲斐の治者としての光泰の姿を偲ぶことができます。

隣接する山梨県立博物館では、光泰の時代の甲斐国に関する展示も行われています。

光泰の築いた基礎が、その後の甲府の発展にどのように寄与したかを実感できるでしょう。

機会があればぜひお立ち寄りください!

加藤光泰に関する最新の注目ニュース

現時点では、加藤光泰に関する最新の史料発見などの大きなニュースは見あたりませんでした。

今後ニュースを発見次第、更新していく予定です!

加藤光泰の生涯と功績まとめ

加藤光泰は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将。

豊臣秀吉からの信頼が厚い家臣として数々の戦功を挙げ、甲斐国24万石の大名にまで上り詰めました。

内政でも手腕を発揮し、寺社の保護や領内の整備に尽力。

その最期は戦場だったあたりが、武将としての矜持を貫いている気がしてなりません。

今後発売される「信長の野望」シリーズでは、ぜひ能力値を改めていただきたい!!

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!




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