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文武に秀でた戦国時代随一の教養者、細川藤孝(幽斎)の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

文武に秀でた戦国時代随一の教養者、細川藤孝(幽斎)の生涯と魅力 - 大河ドラマや信長の野望で知る戦国武将

細川藤孝(幽斎)は、戦国時代から江戸時代初期にかけ、武将としてだけでなく文化人としても極めて高い評価を得た人物です。

足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時代の権力者に次々と仕えながら、乱世を巧みに生き抜き、肥後細川家の礎を築きました。

ゲームの「信長の野望」シリーズでも必ず登場しますが、その経歴を知ったほうが、戦国時代を駆け抜けた一人の武将としてイメージしやすいでしょう。

そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、細川藤孝(幽斎)の生涯や魅力を解説します。

細川藤孝の出自・功績・逸話

細川藤孝は、室町幕府の幕臣から織田・豊臣・徳川の三英傑に仕え、文武両道の才能で戦国時代を生き抜いた武将です。

名前(読み方) 細川藤孝(ほそかわ ふじたか)
別名/渾名/二つ名 細川幽斎(ゆうさい)、長岡藤孝、幽斎玄旨
生年 天文3年4月12日(1534年6月3日)
没年 慶長15年8月20日(1610年10月6日)
三淵晴員(異説あり)
智慶院(清原宣賢の娘)
兄弟姉妹 三淵藤英、宮川尼、玉甫紹琮、梅印元冲、長岡好重など
正室:沼田麝香(光寿院)
忠興、興元、伊也、幸隆、千、孝之、加賀、栗

以降では、細川藤孝の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。

出自

細川藤孝は、天文3年4月12日(1534年6月3日)、三淵晴員の次男として京都東山で誕生しました。

幼名を万吉。

三淵家は室町幕府に仕える幕臣の家柄で、父の晴員も将軍の近臣として活躍していました。

兄は三淵藤英で(異母兄と伝わる)、藤孝と同じく幕臣でしたが、のちに織田信長の家臣になっています。

また、藤孝は5歳のとき、将軍・義晴の命により細川晴広の養子となっています。

細川家は室町幕府の管領を務める名門の分家筋にあたり、淡路守護細川氏の系統を継ぐ家柄です。

天文15年(1546年)には、13代将軍・足利義藤から一字を賜っています。
※「藤孝」と名乗るのはこの頃から。

藤孝は将軍の血筋!?
母の智慶院は、第12代将軍・足利義晴の側室だったと説があります。智慶院が三淵晴員に嫁いだ際、すでに身ごもっていて、これが実は藤孝だという伝承――つまり将軍の落胤説があるのです。
これが事実なら、13代将軍・足利義藤(のちの義輝)、15代将軍・義昭の異母兄になりますが、確たる証拠はなく、現在この説は否定されています。

家族や親類

細川藤孝の正室は、沼田光兼の娘・沼田麝香(じゃこう、光寿院)です。

天文13年(1544年)生まれの麝香は、藤孝より10歳年下で、元和4年(1618年)まで生きました。

信長の野望 新生から登場するようになった沼田麝香

信長の野望 新生から登場するようになった沼田麝香

ちなみに、麝香の兄は、陸奥国の戦国大名・津軽為信に仕えた沼田祐光(面松斎)の説があります。
※沼田祐光は、津軽為信の軍師と伝わる。

ただし、沼田祐光が津軽為信に仕えるまでの動向が不明なうえ、史料もないため実際のところはよくわかっていません。

津軽為信の軍師、沼田祐光

藤孝と麝香の間には多くの子が生まれ、特に長男の忠興は、明智光秀の娘・玉(ガラシャ)と結婚したことで知られています。

忠興は茶道にも造詣が深く、千利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられる文化人でもありました。

細川藤孝の嫡男、細川忠興

次男の興元は、後に下野国茂木藩1万石を立藩し、長女の伊也は一色義定に嫁ぎました。

また、三男の幸隆は、関ヶ原の戦いの際に父と共に田辺城籠城戦に参加しています。

孫の細川忠利は、忠興の三男。

後に肥後熊本藩の初代藩主となり、晩年の宮本武蔵を客人として遇したことでも知られています。

忠利の母はガラシャであり、明智光秀の血を引く人物として、熊本藩54万石の基礎を築きます。

現代でも細川家の血筋は脈々と続き、第18代当主の細川護熙は、平成5年(1993年)に第79代内閣総理大臣を務めました。

日本で屈指の名家であることは間違いありません!

内政や合戦での功績

藤孝は細川家の養子となった後、室町幕府13代将軍・足利義輝に御供衆(おともしゅう)として仕えていました。

御供衆とは?
室町幕府の将軍が外出する際に常に供をし、将軍の身辺警護や日常の雑務を担当する近臣のことです。
将軍と最も近い距離で仕える立場にあり、幕府の要職の一つとして、主に名門武家の子弟から選ばれました。

天文21年(1552年)には従五位下・兵部大輔に叙任されるなど、幕臣として順調に出世を重ねていきます。

ところが永禄8年(1565年)、主君・足利義輝が永禄の変で暗殺されてしまいます。

この際、藤孝は義輝の弟・足利義昭を救出しました。

その後、明智光秀と共に織田信長の力を借り、永禄11年(1568年)に義昭を15代将軍に就任させることに成功します。

しかし、義昭と信長の関係が悪化すると、天正元年(1573年)、藤孝は義昭を見限って信長に仕えることを選びました。

信長からは山城国長岡(現在の京都府長岡京市)の所領を与えられ、この時から「長岡藤孝」と名乗るようになります。

天正8年(1580年)には、明智光秀と協力して丹後国の平定に成功し、宮津城を居城として丹後南部を治めました。

織田家臣になっても順調に功を重ねていた藤孝ですが、再び転機が訪れます。

それはもちろん、天正10年(1582年)6月に起きた本能寺の変。

織田信長を謀叛により斃した明智光秀は、藤孝に協力を求めます。

光秀は、旧知の仲の藤孝は必ず味方になってくれると信じていたことでしょう。

しかし、藤孝は光秀の誘いを断るのです。

さらに、信長への恩義を理由に剃髪し、「幽斎玄旨」と号して田辺城に隠居してしまいます。

何度も誘いの文が光秀から送られてきますが、首を縦に振ることはありませんでした。

これが決め手となったわけではないと思いますが、光秀は羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ……(以下略)。

一方で藤孝は、その後秀吉に仕え、天正13年(1585年)の紀州征伐、天正15年(1587年)の九州平定などに参加します。

ただし、秀吉は慶長3年(1598年)に死去。

細川家は、豊臣家より徳川家との親交を次第に深めていきます。

豊臣家と徳川家の対立が深まり、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起きることはご存じの通りでしょう。

この前哨戦として起きた1つが田辺城の戦い

忠興が家康の会津征伐に従軍した隙に、西軍の小野木重勝、前田茂勝らが1万5000の大軍で、藤孝の居城・田辺城を包囲したのです。

藤孝は三男・幸隆と共にわずか500の兵で籠城。

攻城軍の中には藤孝の歌道の弟子が多く、戦意は低かったとはいえ、圧倒的な兵力差は覆しようがありません。

しかし、西軍側が攻めきれない理由はほかにもありました。

藤孝が古今伝授の唯一の伝承者だったことです。

古今伝授とは?
古今伝授とは、『古今和歌集』の解釈や歌の詠み方の奥義を、師から弟子へ秘伝として伝える日本文化の最高峰の伝承です。
藤原定家の流れを汲む二条流の歌道として三条西家に代々受け継がれてきましたが、当時は三条西実枝の子がまだ幼かったため、特別に弟子の藤孝に託されました。武士でありながら正式な継承者となった藤孝は、当時唯一の古今伝授の伝承者として、朝廷からも極めて重要視される存在だったのです。

藤孝が命を絶てば、一子相伝の古今伝授も絶えることを意味します。

そこで、藤孝の弟子だった八条宮智仁親王が、7月と8月の2度にわたって講和を働きかけますが――藤孝は二度とも拒絶。

藤孝は使者を通じて『古今集証明状』を八条宮に贈り、『源氏抄』と『二十一代和歌集』を朝廷に献上します。

これは、自分が討死しても古今伝授が途絶えないようにとの配慮でした。

事態を重く見た八条宮智仁親王は、兄の後陽成天皇に奏請しました。

古今伝授の断絶を危惧した後陽成天皇は、三条西実条、中院通勝、烏丸光広を勅使として派遣します。

関ヶ原本戦の2日前の9月12日、ついに勅命による講和が成立

2ヶ月に及ぶ籠城戦により、藤孝は西軍の大軍を釘付けにし、結果的に東軍の勝利に貢献したのです。

晩年と最期

関ヶ原の戦い後、嫡男の忠興は豊前小倉39万9000石という大封を得ました。

一方、藤孝自身は京都吉田に居を構え、悠々自適な晩年を送ったようです。

この時期の幽斎は、もっぱら文化人として活動し、歌道の指導や著作活動に専念しました。

多くの門人を抱え、公家や武家を問わず、和歌の指導を行っています。

そして慶長15年(1610年)8月20日未の下刻(午後3時前)。

藤孝は、京都三条車屋町の自邸で静かに息を引き取りました。

享年77歳(満76歳)

藤孝の死後、その所領6000石は息子たちに分配され、細川家の基盤をさらに強固なものとしました。

ちなみに墓所は、京都の南禅寺天授庵をはじめ、大徳寺高桐院、熊本の立田自然公園(泰勝寺跡)など複数の場所にあります。

押さえておきたいエピソード

細川藤孝にまつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。

  • 剣術を塚原卜伝に学び、和歌は三条西実枝から古今伝授を受けた当代随一の教養人
  • 本能寺の変後、明智光秀からの協力要請を拒否し、信長への恩義を理由に剃髪して幽斎と号した
  • 古今伝授の唯一の継承者だったため、田辺城の籠城戦では後陽成天皇の勅命により講和が成立
  • 勅使の烏丸光広に贈った愛刀「古今伝授行平」は、現在も細川家に伝わる国宝
  • 室町幕府12代将軍・足利義晴(足利義輝・義昭の父)の落胤説がある(確たる証拠はない)

ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!

信長の野望シリーズでの細川藤孝

信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。

ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、細川藤孝の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。

信長の野望シリーズの細川藤孝の歴代顔グラ

タイトル別能力

細川藤孝の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。

タイトル 政治 知略 武勇 統率
信長の野望・創造PK 90 85 77 77
信長の野望・創造 戦国立志伝 90 85 77 77
信長の野望・大志 内政91
外政97
89 79 78
信長の野望・新生 92 88 78 77

タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。

タイトル 戦法 特性・個性 奉行特性
信長の野望・創造PK 臨戦
  • 敏腕
- -
信長の野望・創造 戦国立志伝 臨戦
  • 敏腕
- -
信長の野望・大志 逆撫で
補佐:参謀
  • 剣豪調練
  • 朝廷人脈
  • 教養人
  • 名奏者
家名存続 -
信長の野望・新生 足止
  • 右文左武
  • 能弁
  • 数寄
- 守城奉行
(城郭普請)

ゲーム内で向いている役割

信長の野望」シリーズでは、政治が90超え、他も70台後半~80台と超優秀です。

信長の野望 新生の細川藤孝

剣豪かつ古今伝授唯一の伝承者としてのイメージが、如実にあらわれいるステータスと言ってよいでしょう。

内政・外交・軍事・調略、なんでも任せられます。

軍事面は多少弱いものの、これくらいどうってことありません!

心配なら、武力・統率が80超えの優秀な猛将を付けてあげれば問題なし。

城主や軍団長も難なくこなしてくれますが、この手のタイプは側近として大名の片腕のように起用するのもいいでしょう。

もちろん、大名として天下を取るに足る器量も持ち合わせています。

ただ、個人的には……足利義輝将軍の右腕として、室町幕府復興に邁進する姿を見たい!

足利義藤(義輝)の元、室町幕府再興を目指す細川藤孝

細川藤孝プレイにおすすめのタイトル

細川藤孝プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。

それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!

タイトル おすすめポイント
信長の野望・創造PK
  • 内政と軍事、どちらもほどよく楽しめる
  • 複雑すぎないゲームシステムで遊びやすい
  • 築城で支城を作れば戦略の幅が広がり、より楽しくなる
信長の野望・創造 戦国立志伝
  • 大名プレイのみならず家臣プレイも堪能できる!
  • ゲームシステムは創造PKを踏襲しているので遊びやすい
  • 異次元世界にある領地を発展させるのが楽しい!
    (個人的には、領地の兵力はあまり増やさないほうが楽しめる)
信長の野望・大志
  • 戦国時代のリアルな戦闘の雰囲気を味わえる野戦が楽しい!
  • 「志」システムが大名の個性を引き出している
  • 他国との外交が天下統一への肝になっているところに現実味がある
  • 正室以外に側室も設定できるのがうれしいw
信長の野望・新生
  • 籠城戦はシリーズNo.1の作りこみ!籠城戦楽しい!
  • 大志同様、外交戦略も必要な点にリアルさを感じる
  • コツさえわかれば小国でも乗り切れる(序盤はかなりきつい)
  • 武将ごとに設定された「奉行特性」は、効果の説明を読むだけでワクワクするw

 

細川藤孝プレイでの注意点

信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。

  • 大名プレイをするには、元々仕えている大名の娘婿になり、大名を隠居して家督を継がせる必要がある
  • 信長の野望・大志」(PK版のみ)や「信長の野望・新生」の場合、ゲーム開始前に大名を変更する。

個人的には、「信長の野望・大志」または「信長の野望・新生」がおすすめです。

戦好きなら野戦がアツい「信長の野望・大志」、籠城戦で大軍を寡兵で退けるのが好きなら「信長の野望・新生」!

 

 

 

細川藤孝が登場する小説・書籍・アニメなど

続いて、各メディア作品で細川藤孝に関するものをピックアップしておきます。

細川藤孝が主人公の作品もありますが、主人公じゃなくても、戦国時代ものの作品には登場する機会が多いです。

興味がある書籍や作品があればぜひ!

登場する小説

  • 決戦!本能寺』 2018年 木下昌輝
    累計6万部突破の人気シリーズ第3弾。本能寺の変で明智光秀の誘いを断る幽斎の苦悩を描き、「目の前に情景が浮かぶよう」「戦の舞台は人の心の中」と読者から高評価を得た珠玉の短編です。
  • 裏関ヶ原』 2018年 吉川永青
    関ヶ原の表舞台ではなく、全国で起きた「それぞれの関ヶ原」を描いた連作集。細川幽斎の田辺城籠城戦は「家の意地と志」を懸けた壮絶な戦いとして、読者に「長編で読みたい」と言わしめた感動作です。
  • 古今伝授 細川幽斎と和歌の道』 2018年 新谷弘
    武将としてではなく、古今伝授の唯一の継承者としての幽斎の文化的側面を描いた歴史小説。戦に明け暮れた生涯と並行して、和歌の第一人者として生きた知られざる姿がここに!

登場するマンガ

  • 信長の忍び』 2008年~ 重野なおき
    教織田信長に仕える忍者・千鳥を主人公にしたギャグマンガ。藤孝は教養人として和歌を詠みながら登場する親しみやすいキャラクターとして描かれています
  • センゴク天正記・一統記』 2008年~2015年 宮下英樹
    『センゴク』 2004年連載開始 著:宮下英樹:仙石秀久を主人公に戦国時代をリアルに描く歴史マンガ。藤孝は光秀との複雑な関係や織田家での立ち位置が丁寧に描写されています。
  • 信長協奏曲』 2009年~ 石井あゆみ
    現代の高校生が戦国時代にタイムスリップし、病弱な信長に代わって信長として生きる歴史マンガ。藤孝は義昭を将軍に押し立てる過程で冷静な判断力を持つ武将として登場します。
  • へうげもの』 2005年~2017年 山田芳裕
    古田織部を主人公に茶の湯と戦国を描く文化系歴史マンガ。藤孝は文化人かつ猛将として、織部の前衛的な数寄に批判的な古典主義者として描かれています。

細川藤孝の関連書籍

  • 細川幽斎(コレクション日本歌人選 33)』 2012年 加藤弓枝
    江戸時代の逸話集『随聞録』を基に、藤孝(幽斎)から五代・綱利までの細川家当主の人物像を史料と共に詳細に分析。単なる逸話集ではなく、細川家の政治的・文化的功績を体系的に理解できる専門書です。
  • 細川三代 ―幽斎・三斎・忠利―』 2010年 春名徹
    ノンフィクション賞受賞作家による渾身の歴史評伝。激動の約100年を生き抜いた細川家三代の軌跡を、豊富な史料と綿密な考証でまとめられた決定版です!

登場する映画やドラマ(NHK大河ドラマ以外)

  • 映画『戦国自衛隊』 1979年公開 角川春樹事務所 演:石橋雅史
    タイムスリップした自衛隊と戦国武将が交錯する中、藤孝も戦国武将の一人として登場します。ちょっと古めの作品!

    • 千葉真一

大河ドラマでの細川藤孝

細川藤孝は、大河ドラマでは以下の14作品に登場歴があります。

三英傑以外の武将ではかなり多いほうでは!?

大河ドラマで、織田信長が中心の時代なら、必ずといっていいほど登場します。

足利義昭と織田信長の間を取り持つ調整役や、信長に謀反を起こす明智光秀の盟友など、歴史の大きな転換点で重要な立場にいることが多いからでしょう。

今後も、戦国時代の作品なら登場する確率が高い武将です。

2026年の「豊臣兄弟!」でも登場するのではないでしょうか。

配役が気になる!

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ゆかりの地:細川藤孝と歴史を感じる場所

細川藤孝のゆかりの地を紹介します。

勝竜寺城公園(京都府長岡京市)

勝竜寺城は、永禄11年(1568年)から天正9年(1581年)まで細川藤孝が居城とした場所です。

天正2年(1574年)には、この城の天主で三条西実枝から古今伝授を受けた記念すべき場所でもあります。

また、天正6年(1578年)には、嫡男・忠興と明智光秀の娘・玉(ガラシャ)の婚礼が行われました。

現在は勝竜寺城公園として整備され、土塁や堀、城門などが復元されています。

園内には細川忠興・ガラシャ像が建てられ、ガラシャに関する資料展示もあります。

春には桜、初夏には花菖蒲が咲き誇る市民の憩いの場となっているようです。

JR長岡京駅から徒歩約10分とアクセスも良好です。

田辺城跡(京都府舞鶴市)

田辺城は、天正10年(1582年)の本能寺の変後、藤孝が隠居した城です。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍1万5000の大軍に包囲されました。

藤孝は2ヶ月にわたる籠城戦をわずか500の兵で戦い抜き、古今伝授の断絶を恐れた朝廷の仲介で講和が成立します。

この籠城戦は、結果的に西軍の大軍を釘付けにし、東軍の勝利に貢献しました。

現在、城跡は公園として整備され、復元された城門や石垣を見れことが可能です。

また、城内には田辺城資料館があり、藤孝をはじめ歴代城主の歴史が詳しく紹介されています。

JR東舞鶴駅から徒歩約20分、または市バスで約10分の場所にあります。

桂林寺(京都府舞鶴市)

桂林寺は、田辺城に隣接する臨済宗南禅寺派の禅寺です。

実はこのお寺、慶長5年(1600年)の田辺城籠城戦で重要な役割を果たしました。

当時の住職・大渕和尚と弟子たちは、幽斎の籠城に協力して共に戦ったのです。

戦後、その功績に対して忠興から仏涅槃図と梵鐘を寄進されています。

現在も細川家から寄進された梵鐘が残っているそうです。

仏涅槃図は通常非公開ですが、2月の涅槃会の期間中のみ特別公開されます。

JR東舞鶴駅から徒歩約20分、田辺城跡と合わせて訪れることができます。

南禅寺天授庵(京都市左京区)

天授庵は、南禅寺の塔頭で、細川藤孝が再建に尽力した寺院です。

藤孝とその妻・麝香の墓所があり、細川家の菩提寺の一つとなっています。

枯山水庭園と池泉回遊式庭園を併せ持ち、特に紅葉の名所として知られています。

また、本堂の襖絵は長谷川等伯の作と伝えられ、文化的価値も高い寺院です。

藤孝が愛したであろう静寂な雰囲気は、文化人としての彼を偲ぶのに最適な場所。

地下鉄東西線「蹴上駅」から徒歩約10分、または市バス「南禅寺・永観堂道」から徒歩でアクセスできます。

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細川藤孝の生涯と功績まとめ

細川藤孝(幽斎)は、室町幕府の崩壊から江戸幕府の成立まで、激動の時代を生き抜いた武将です。

足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時代の権力者に次々と仕えながら、常に冷静な判断力で家名を守り続けました。

特に本能寺の変での決断は、細川家の存続につながる最善の一手だったと言えるでしょう。

文化人としての素養も高く、当時の古今伝授唯一の継承者。

さらに、剣術・和歌・茶道・連歌など、あらゆる分野に通じた教養は、戦国時代随一!

子孫も肥後熊本藩54万石の大大名として繁栄し、現代まで続く名家です。

「信長の野望」シリーズでも、オールマイティに活躍できる武将として設定されています。

「信長の野望」シリーズ」で細川藤孝を見かけたら、ぜひ重用してあげてください!

また、ゲーミングPCのサイト「ツクモル?」で「信長の野望 新生」のプレイにおすすめのゲーミングPCを紹介しているので、ゲーミングPCの購入を検討している人は参考にしてみてください。

tsukumos.com

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!

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