
明智秀満(あけち ひでみつ)は、明智光秀の重臣として活躍した戦国武将です。
光秀の娘婿となり、本能寺の変後、「琵琶湖の湖水渡り」伝説や坂本城での壮絶な最期で知られています。
ゲームの「信長の野望」シリーズでも必ず登場しますが、その経歴を知ったほうが、戦国時代を駆け抜けた一人の武将としてイメージしやすいでしょう。
そこで本記事では、大河ドラマやゲームの「信長の野望」シリーズの話も交えながら、明智秀満の生涯や魅力を解説します。
明智秀満の出自・功績・逸話
明智秀満は、明智光秀の家臣として丹波攻略や本能寺の変で重要な役割を果たした武将です。
| 名前(読み方) | 明智秀満(あけち ひでみつ) |
|---|---|
| 別名/渾名/二つ名 | 三宅弥平次、明智弥平次、明智左馬助、明智光春 |
| 生年 | 天文5年(1536年)? ※諸説あり |
| 没年 | 天正10年6月14日(1582年7月3日) |
| 父 | 諸説あり(三宅出雲、明智光安、遠山景行など) |
| 母 | 不明 |
| 兄弟姉妹 | 不明 |
| 妻 | 正室:明智光秀の娘(長女とも) 継室: 側室: |
| 子 | 三宅重利(島原の乱で戦死) |
以降では、明智秀満の生涯や功績を詳しく見ていきましょう。
出自
明智秀満の出自については諸説あり、その前半生は謎に包まれています。
同時代史料(『天王寺屋会記』など)では「三宅弥平次」と名乗っていたことが確認できます。
三宅氏は明智光秀の家臣として複数の名前が確認でき、美濃の豪族でした。
一説には父の名を三宅出雲、あるいは美濃の塗師の子、備前児島郡常山の国人・三宅徳置の子ともいいます。
一方『明智軍記』では、秀満は明智光秀の叔父・明智光安の子で、光秀の従兄弟だったと記されています。
※大河ドラマ『麒麟がくる』ではこの説が採用された。
弘治2年(1556年)に斎藤道三と義龍の争いで道三方に加担したため、義龍方に攻められ長山城が落城。
父の光安は自害したが、秀満は光秀らとともに城を脱出し浪人となったといいます。
※ただし『明智軍記』は江戸時代の俗書で、史料価値は低いとされている。
その他にも遠山氏説や土田生駒氏説など様々な説があり、出自は定かではありません。
家族や親類
天正6年(1578年)以降、秀満は光秀の娘を妻に迎えたと言われています。
彼女は荒木村重の嫡男・村次に嫁ぎましたが、村重が織田信長に謀反を起こしたため離縁されていました。
つまり出戻りだったわけですが、秀満はこれを快く受け入れたのだとか。
※出自が三宅氏説だと、このときから明智姓を名乗るようになる。
また、秀満には三宅重利という子がいて、後に島原の乱で富岡城代として戦死したとも。
重利の子・三宅重元は細川光尚に召し抱えられ、以後は熊本藩細川家の重臣として幕末まで続きますが……秀満の出自が謎なので子や孫の話も伝承レベルの域を出ません。
内政や合戦での功績
秀満が史料に登場するのは天正6年(1578年)頃からで、光秀の重臣として活躍します。
丹波攻略で光秀を支えるなど、各地の戦いで武功を立てました。

天正9年(1581年)、丹波福知山城代に任命され、光秀に代わって城と城下町を統治します。
天正9年10月6日、丹波天寧寺に諸色免許状を出し、明智弥平次秀満の名で署名しています。
同年、津田宗及が福知山城を訪れた際には饗応役を務めたようです。
明智光秀が信頼する家臣として、秀満は順風満帆な人生を送っていたのではないでしょうか。
ところが天正10年(1582年)5月、状況が一変する事態が発生します。
この頃、主君・明智光秀は織田信長からは中国地方への援軍を命じられていました。
その出陣準備のため重臣たちを亀山城に集めたのですが……。
6月1日の深夜、光秀は秀満を含む5人の側近だけを密かに呼び寄せます。
そこで光秀が告白したのは、主君・信長への謀反という驚くべき計画でした。
『明智軍記』では、重臣たちが沈黙する中、秀満が最初に光秀の決意を支持したと伝えています。
さらに同書には、秀満が「もはや後戻りはできない」と実行を促したという記述も。
そして6月2日の明け方、ついに明智軍1万3千が動き出しました。
西国へ向かうと見せかけ京都に入った軍勢は、「敵は本能寺にあり」の号令で本能寺を包囲。
秀満率いる先鋒部隊が本能寺に突入し、わずかな護衛しかいなかった織田信長を追い詰めました。

護衛の兵が少なかった信長は必死に抵抗しましたが、多勢に無勢。
最期を悟った信長は奥の間で自害し、その後、嫡男・信忠も二条新御所で討ち取られます。
主君を討ち取った光秀は、次の一手として秀満に安土城の確保を命じます。
信長の居城だった安土城は、天下の要所として極めて重要な拠点。
この大役を秀満に任せたことは、光秀の信頼の証なのでしょう。
秀満は安土城に入り、守備を固めて光秀の天下取りを支える――はずでしたが。
晩年と最期
天正10年(1582年)6月13日の夜、山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗北します。
そのことを知った秀満足は、14日未明、安土城を出て坂本城に向かいました。
このとき大津で秀吉方の堀秀政軍と遭遇しますが、愛馬とともに琵琶湖に乗り入れ、湖を渡って坂本城に入城したと伝わります。
これが後世に伝わる「明智左馬助の湖水渡り」伝説。
14日に堀秀政が坂本城を包囲すると、秀満はしばらく防戦します。
しかし落城が避けられないと悟ると、光秀が収集した天下の名物が失われることを恐れました。
国行の刀・吉光の脇差・虚堂の墨蹟などを荷造りし、目録を添えて堀直政に贈ったのです。
ただし、光秀が秘蔵していた郷義弘の脇差は「死出の山で光秀に渡すため自ら腰に差す」と答えて渡さなかったのだとか。
14日の夜、秀満は光秀の妻子を刺し殺し、自分の妻も刺殺。
その後、城に火を放って自害したそうです。
押さえておきたいエピソード
明智秀満にまつわる逸話は、以下を押さえておくといいでしょう。
- 本能寺の変の謀議で、光秀から謀反の相談を受けた際「一度口にした以上、決行するしかない」と進言した
- 琵琶湖を馬で渡った「明智左馬助の湖水渡り」の伝説は、狩野永徳が描いた羽織を着用していたとも伝わる
- 坂本城が堀秀政軍に包囲された際、一番乗りしようとした敵将・堀秀政軍の武士、入江長兵衛に対し、『武士とは空しいもの』と説き、黄金300両を与えて商人になることを勧めた
- 天下の名物を敵将に譲り渡す際、光秀秘蔵の郷義弘の脇差だけは渡さなかった
- 兎の耳を象った「兎耳兜」を使用したとされ、東京国立博物館所蔵の南蛮胴具足がそれと伝わる(兎は俊敏さと子孫繁栄の象徴)
ほかにも興味深いエピソードがあれば教えていただきたくっ!
信長の野望シリーズでの明智秀満
「信長の野望」シリーズといえば、戦国時代のシミュレーションゲームでおなじみです。
ここでは、「信長の野望」シリーズのなかでもおすすめのタイトルで、明智秀満の能力がどのように設定されているのかを見ていきましょう。

タイトル別能力
明智秀満の各タイトルでの能力値は以下で設定されています。
| タイトル | 政治 | 知略 | 武勇 | 統率 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 47 | 52 | 76 | 63 |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 47 | 52 | 76 | 63 |
| 信長の野望・大志 | 内政47/外政47 | 81 | 77 | 74 |
| 信長の野望・新生 | 48 | 80 | 82 | 74 |
タイトルごとの所持戦法や特性は以下のとおりです。
| タイトル | 戦法 | 特性・個性 | 志 | 奉行特性 |
|---|---|---|---|---|
| 信長の野望・創造PK | 急襲 |
|
- | - |
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 | 急襲 |
|
- | - |
| 信長の野望・大志 | 急襲 補佐:猛攻 |
|
家名存続 | - |
| 信長の野望・新生 | 攪乱 |
|
- | 旗奉行 (母衣衆結成) |
ゲーム内で向いている役割
「信長の野望」シリーズでは、当初は武勇・統率が60台後半~70台で、知略は平凡でした。
ところが、「信長の野望・大志」から知略が80超えとなぜかパワーアップ。
特に「信長の野望・新生」では戦法に「攪乱」、特性に「堅陣」が付き、敵将なら厄介な武将に成長しています。

「攪乱」は敵部隊の体力を削るため、敵の能力を低下させるうえ、撤退を早めてくれます。
「堅陣」は要所・退き口に敵が迫ると自動で守りにいくのですが、防御が+20されるんです。
そのほかの水上での攻撃上昇する「海神」は、使いどころが限られるものの、「破策」は所属城にかかる調略の成功率減少する有難い特性。
能力値だけは平均より高めだけど、あまり目立つ武将じゃなかった秀満が、大幅にアップデートされているのです。
そのため、城主・軍団長を全幅を持って任せられる武将と言ってもいいでしょう。

ステータスはあまり変わらないですが、戦法と特性は斎藤利三より優秀かも。
明智光秀の天下取りを邁進させる軍団長の1人目は、秀満がベストでしょう。
明智秀満プレイにおすすめのタイトル
明智秀満プレイにおすすめの「信長の野望」シリーズは、以下4つのタイトルです。
それぞれでおすすめポイントが異なるので、プレイスタイルに合うものを選びましょう!
| タイトル | おすすめポイント |
|---|---|
| 信長の野望・創造PK |
|
| 信長の野望・創造 戦国立志伝 |
|
| 信長の野望・大志 |
|
| 信長の野望・新生 |
|
「信長の野望・創造 戦国立志伝」以外のタイトルの場合、大名プレイをするには以下どちらの方法が必要な点に注意してください。
明智秀満が登場する小説・書籍・アニメなど
続いて、各メディア作品で明智秀満に関するものをピックアップしておきます。
秀満は、あの織田信長に謀反を起こした明智光秀の重臣なので、さまざまな戦国時代ものの作品に登場します。
興味がある書籍や作品があればぜひ!
登場する小説
- 『明智左馬助の恋』 2007年 日本経済新聞出版、2010年 文春文庫 著:加藤廣
「本能寺三部作」の完結編として、秀満を主人公に描いた歴史小説。秀満の純愛と智将としての姿を描き、特に「湖水渡り」の場面を劇的に再現。本能寺の変に至る理由と秀満の心情を詳細に描写しています。
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登場するマンガ
- 『センゴク一統記』 2004-2022年、週刊ヤングマガジン連載 著:宮下英樹
仙石秀久を主人公とした戦国マンガ。本能寺の変や山崎の合戦を詳細に描いています。秀満が登場するのはチラッとだけですが、史料を元に戦国時代を丁寧に描写した良作です!
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明智秀満の関連書籍
- 『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』 2019年 著:小和田哲男
2014年以降の新発見史料を基に、信長の政策転換が光秀を追い詰めた過程を分析しています。秀満も参加した本能寺襲撃の背景にある政治的要因を、実証的に検討しています。
リンク - 『明智光秀伝:本能寺の変に至る派閥力学』 2019年 著:藤田達生
信長の対毛利政策・四国政策の転換が光秀を追い詰めた過程を分析している書籍です。明智光秀・足利義昭・長宗我部元親の三者連携説を提示し、秀満も参加した本能寺の変の構造を解明します。
リンク - 『本能寺の変』 2020年、講談社学術文庫 著:藤田達生
2003年に中公新書から出版された『本能寺の変』を、新発見史料を踏まえて大幅に改訂。山崎の戦い後の明智軍の崩壊過程も含め、秀満が参加した歴史的事件の全体像を史料批判的に検証しています。
リンク
登場する映画やドラマ(NHK大河ドラマ以外)
- ドラマ『敵は本能寺にあり』 2007年12月16日 テレビ朝日系 演:市川染五郎(現・松本幸四郎10代目)
加藤廣の小説を原作としたスペシャルドラマ。明智秀満を主人公として、本能寺の変の真相を秀満の視点から描きます。視聴率12.6%を記録し、琵琶湖を馬で渡る「湖水渡り」の場面も映像化されました。DVD化されていないのが残念です。 - ドラマ『明智光秀〜神に愛されなかった男〜』 2007年1月3日 フジテレビ系 演:大泉洋
唐沢寿明主演の新春スペシャルドラマ。秀満は光秀の娘婿として登場し、信長への対応に苦悩する姿を描きます。光秀の忠実な家臣かつ戦略的助言者として重要な役割を担いました。
大河ドラマでの明智秀満
明智秀満は、大河ドラマでは以下の10作品に登場歴があります。
- 『太閤記』(1965年) 演:片岡秀太郎
- 『国盗り物語』(1973年) 演:三ツ木清隆
- 『おんな太閤記』(1981年) 演:川口啓史
- 『徳川家康』(1983年) 演:大林丈史
- 『春日局』(1989年) 演:磯部勉
- 『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年) 演:小野了
- 『秀吉』(1996年) 演:青島健介
- 『功名が辻』(2006年) 演:冨家規政
- 『軍師官兵衛』(2014年) 演:鳥羽潤
- 『麒麟がくる』(2020年) 演:間宮祥太朗
大河ドラマでは、もちろん明智光秀の重臣として描かれます。
以前は「明智光春」の名で登場することが多かったようです。
近年の『麒麟がくる』では「兎耳兜」を被った秀満が登場し、SNSでも話題になっていました。
明智光秀と必ずセットで出てくるとは限りませんが、それでも登場確率は多いほうでしょう。
今後も、本能寺の変が描かれる作品であれば、登場機会がありそうです。
また兎耳兜の秀満が見たい!
ゆかりの地:明智秀満と歴史を感じる場所
明智秀満のゆかりの地を紹介します。
福知山城(京都府福知山市)
福知山城は、天正7年(1579年)頃に明智光秀が築城し、秀満が初代城代を務めた城です。
京都府福知山市にあり、現在は復元天守が建っています。
秀満は天正9年(1581年)から天正10年(1582年)まで、城代を務めていました。
城の石垣には、墓石や仏石を転用した「転用石」が特徴的に使われています。
また、深さ50mの日本最深級の井戸「豊磐の井(とよいわのい)」は、今も水を湛えています。
見どころは、復元天守内の明智光秀関連展示と、転用石の石垣、城下町の風情ある街並みでしょう。
JR福知山駅から徒歩15分で、入館料は大人330円、子供110円です。
明智左馬之助湖水渡りの碑(滋賀県大津市)
明智左馬之助湖水渡りの碑は、琵琶湖畔にある記念碑です。
滋賀県大津市打出浜の琵琶湖文化館前にあります。
伝説では、秀満が馬で琵琶湖を渡った出発点がこことされています。
山崎の戦い後、坂本城へ急ぐため、ここから湖上を馬で駆け抜けた……本当か!?w
ちなみに建立されたのは近代になってからです。
対岸の坂本を望む眺望が素晴らしく、近隣の大津港からは遊覧船も出ています。
京阪電車石山坂本線島ノ関駅から徒歩5分です。
坂本城跡(滋賀県大津市)
坂本城は、明智光秀が築城し、秀満が最期を遂げた城です。
滋賀県大津市にあり、現在はその跡地が公園として整備されています。
1979年の発掘調査では、10-30cmの厚い焼土層が発見され、秀満が火を放った跡と考えられています。
また、2024年には工事中に元の石垣が発見され、保存活動が進行中です。
見どころは、琵琶湖を望む景観と明智秀満の碑、琵琶湖の水位が下がった時に現れる湖中の石垣。
JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩30分、または京阪石山坂本線松ノ馬場駅から徒歩20分です。
西教寺(滋賀県大津市)
西教寺は、天台真盛宗総本山で明智一族の菩提寺です。
滋賀県大津市にあり、聖徳太子創建と伝わる古刹です。
明智一族の墓所があり、秀満の墓も存在します。
坂本城から移築された城門が現存し、毎年6月14日に光秀忌が営まれ、秀満も供養されます。
本堂は1739年建立の重要文化財で、小堀遠州作と伝わる庭園も有名です。
見どころは明智一族の墓、坂本城移築門、紅葉の名所として知られる境内。
JR比叡山坂本駅から江若バス7分「西教寺」下車、拝観料は大人500円です。
明智秀満の生涯と功績まとめ
明智秀満は、主君・明智光秀への忠誠を最期まで貫いた武将でした。
前半生は不明な点も多いですが、「琵琶湖の湖水渡り」の伝説や、兎の兜など興味深い逸話が残る人物でもあります。
「信長の野望」シリーズでは、軍事に優れた武将として登場します。
ゲームで明智秀満を見かけたら、兎耳兜かどうかをまずはチェックしてみてください!!
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では今回はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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