以下の内容はhttps://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2026/03/07/223159より取得しました。


うちそと

万年筆って育てるものなのかもしれない。なくして、買い直した万年筆と、まだ仲良くなれていない。だから、まだ原稿には使えない。
結局買い直した万年筆はまだインクが馴染んでいない。ので、書き進めたい、と思った速度と馴染まずに他のペンを使ってガリガリ書いている。
今回の本は急遽出すと決めたこと、またどうしても間に合わせたいタイミングがあって、自分の内面の変化に合わせたスケジュール感ではなくてカレンダーに合わせたこともあって、自分の中にまだ完全には出来上がっていないらしい。
おかげでいつも通りスマホやパソコンで執筆しようとすると速度が馴染まなくて出てこない。
そんなわけで、ほぼほぼ、手書きで書き上げてる。これをパソコンで打ち込んで、その作業中に推敲することになりそうだ。
そんなわけで、万年筆の速度だとせっかく「身体の速度」に合わせようとしているのがまた変にズレるので仕方なく、他のペンで書いている。書きながら、前の万年筆の時はどうだったっけ、と考えて、2026年をどうやって過ごそうかと考えながら言葉を探し探し書いて、そうしているうちに馴染んだんだっけ、と気付く。
ああそうか、大事な時間を、あの万年筆と過ごしたんだ。それを思い出したら、失くしたことが、またちょっと寂しくなる。

 

 


今日は、午後からお茶をした。楽しみだったこと、また最近散歩に行けてないことを思い出して散歩をしながら、お店へと向かった。好きな音楽を聴きながら歩くことは嬉しいし、何より「楽しみ」な予定へと出掛けることは嬉しくて楽しい。

 

 

 

お茶の相手はしばらく前の文学フリマで本を読んでくれて、そうして相互フォローになってくれたフォロワーさんだった。
とても優しいひとで、感想一つ送る時も「傷つけないか」を逡巡して言葉を選んだんだろうなあっていうのが伝わってくる。そしてそれは明確な誰かへの言葉じゃないツイートの時にも常に発揮されている。
素敵だな、と疲れてしまわないかの僅かな心配が過ぎるようなそんな人が「お茶をしませんか」と誘ってくれて嬉しい〜〜〜!と思いながら、今日を楽しみにしていた。嬉しいな。
私ははしゃぎすぎると周りが見えなくなるからはしゃぎ過ぎないぞ!と思ったけど、全然、はしゃぎ過ぎていた。なんせ、誕生日かのような褒められ方をしていて、「え、これは私が受け取って良いやつですか?」と思ったのだ。こんなに褒めてもらっていいんですか?でも、誰かがせっかく手渡してくれたものをテレで誤魔化すのは、本当になしなので、その分、嬉しいを何度も何度も、繰り返していた。

 

 

 

 

私は。
今日読んだ違国日記を読みながら「私も、続ける才能だけあったな」と文を書くことについて思ったりした。もっとも、作中の槙生ちゃんは仕事にしているが、私の文は下手の横好き的にやっているだけで、何もなっていないけど。
そんなことを思ったのに、でも「何もなってない」なんてことでも、ないのかもしれない。ないんじゃないか、というか、そんなことを言ったら失礼だ。
こうやって誰かが受け取ってくれて、心を寄せてくれる。誰かのなかで私の存在があるということもそうだけど、自分の文のなかに誰かが存在してくれるって本当に、奇跡じゃないか。
それを資本主義的に、あるいは名誉的に、意味や存在のあるなしを決めてしまうのは、あまりに寂しい。
私はむしろ、こういうものが欲しかったのだ。こういうものを欲しいと思いながら、でも、欲しいなんて思っても仕方ないよな、と思いながら、諦めずに書いてきた。
それが、思いがけず「あるんだ」と思って、まだ頭がふわふわしている。

 

 


Wavebox始めました。絵文字だけとかメッセージとかを匿名で送れるやつです。

 

ぽちぽち、ありがとうございます。このスタンプにも「誰かが読んでくれたんだ」と思って毎回嬉しくなってます。

 

こんな感じで私の元気が出るのでよければ〜。




以上の内容はhttps://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2026/03/07/223159より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14