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26年京都文学フリマが終わったのと、文を書くこと

文学フリマ京都が終わりました!
いつも思うけど、私は9月大阪と1月京都を出るようにしているんだけど、どっちもそこそこバタバタしててなんでこの時期に?と自分に引いてしまう。
でも、やっぱり「ここで」出たいんだよなあとも思う。思うほどの宣伝を出来てはいないけど、でも「いま」なんだよ。

 

 

 

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そして今完全に文フリの余韻にひたひたになってて、350mlにしたが良くない?と思いながらも気持ちに従って500ml飲んで、そのくせ「あれもしたい」「これもしたい」と思ってる。あの文も書きたいしこの文も書きたい。ドラマも観たいし音楽を聴きながら踊りたい。
でもそのどれも、嫌な感じがしないな。

 

 

 

文フリに出るのも随分手慣れてきたし、京都も「二度目まして」だから安心だ。
そう思いながらも「とりあえず少し早く出るか」と思っていたのにしっかりとギリギリ到着、になっていて電車の中で首を傾げてしまった。予定では、1本前の電車に乗る予定だったのに。
あともっと楽な道のりが確かにあったのに、なんかめちゃくちゃ歩くコースしかでない。半分は自力で搬入なのでできればそんなに歩きたくない。でも、どう行けば歩かずに済むかは思い出せない。
お手洗いに行っておくか、と駅に着いて迎えばおろおろしてる親子連れに出会ってええかっこしいをしてトイレを譲り、でも変にこの後待っていても気まずかろうと歩き出してソワソワすることにもなった。考えなしすぎる。
それでも「奮い立たせて」歩き出そうと姿勢を正したらその勢いで持っていた不織布の鞄が勢いよく破れた。え、と思わず声が出る。キャリープラスαの持ち込みを詰め込んだ鞄が紐をびろーんとした持ち歩きにくい袋へとすっかり様変わり。
しかもその袋(元鞄)には大切なステッカーをたくさん貼ったケースが入ってるのでうっかり落として割ろうものならわんわん泣いてしまう自信がある。
そうしてノロノロと慎重に歩く羽目になり、しかも変にトイレを我慢したせいで頭がぐるぐるする。お腹が空く気がする、と不安になりながら、でもこれ以上のロスタイムは、と会場への道を急いだ。

 

 


全然、順調じゃない。だけどその「順調じゃなさ」がなんか、いっそ、嬉しい。
私の中で文フリは「誰に頼まれなくてもやること」だ。みっともなくても、ダサくても、やる。やりたい、と思うなら、絶対にやるのだ。

 

 

 


数年文フリに出ているけど、今回はやけに「フォロワー○○人!」という煽り文句を見たりした。これはたぶん、私の劣等感の影響もあるし、でも、たぶん、トレンドなんだろう。

 

 


何者であること。バズれること。キャッチーであること。

 


そういえば去年、文フリでエッセイを出すことに「そもそも何者でもない、どこの誰とも知らない相手のエッセイなんて読みたくない」という言葉を聴いて「確かにね」と思ったりした。悔しいとも思わない。それはかなり、まともな意見だとも思う。

 

 

 

なんてことを思いながら、未だかつてないほどの「自分の話」しかしていないエッセイを出した。誰も読みたくないよ、と言われたら「へへ」と笑いかねない本をでも、出したくて出した。
それを全然後悔してない。別に「売れる戦略」も持ってはないけど、そんなんもひたすらどうでもよくて、出したいのがこの本だったのだ。

 

 

 

文フリで「これはこんな本で」と説明しながら、日記に特に私は出来事を書かないな、と思い出した。大阪に住んでいるので、大阪が舞台ですか?と聞かれて「舞台だ!と言い切れるのは万博の日記くらいかもです」と答えて、確かに私は脳内で完結してる話しか日記に書いていない。
そんな話をしたら少しびっくりされたような顔で言われた。その言葉が心に残っている。

 

 

「内省的な日記ばっかりかもです」と言った私に「え」とその人は驚いていた。

 

 


内省的なことを書くのってなんでですか、恥ずかしくなりませんか、と言われて「確かに!」と思った。確かに、内省的って、しかも素人の内省って恥ずかしいかも……?


いやしかし、だ。

 


そもそもがラジオの最終回で情けないくらいに取り乱し「せっかくこんだけ感情が動いたんなら『何か』にしないと悔し過ぎる」と思って本を出すようになってはや数年。
毎回、好きなものを軸に本を出して、去年からはブログで日記を毎日更新して、今回はその本を出した。

 

 


このブログを見てくれている方ならお察しのとおり、私の日記にはほとんど「出来事」が出てこない。ほとんどが私が日中考え続けていることであり、「頭の中」で完結する。
そこには恥ずかしいくらいの自意識と、世界への嫌悪と、駄々捏ねみたいなものが詰まりまくっている。我ながら「情けない」という言葉がしっくりくるよなあ、とは思う。思うけど、私は、この日記たちが嫌いじゃない。

だから「確かに」と思いつつ「まあでも私野日記はこうだもんな」と思って、そうして本について説明してたら勝手に口が動いていた。
「でも、その頭の中の言葉を出したら『こんな形だったんだ』って思うこと、あるんですよ」「それが楽しいんです」。そんなことを言っていて「そうなんだ?」とも「確かにそれが面白くてやってるのかも」と思ったりもした。

 

 

 

頭の中の言葉って、別に出しても出さなくてもずっとあるけど、外に出して初めて違う形になったりもする。し、ずっと持っておけるようになったりもする。そのことに私は、結構、かなり、安心してるのだ。

 

 


その人はそんなことを言ったら「なるほど」「なんとなく分かる気がします」と笑っていて「それなら嬉しいです」と私も頷いた。分かってくれても、わからなくても嬉しかったし、実際どちらかはわからないけどあなたが「分かる気がする」というなら、きっと、それはそうなのだ。

 

 


不自由だよな、と思う。書くひと、読む人。たくさんいて、全部じゃあ「おんなじ」かと思えば、むしろってこともたくさんあって、でも、だから良いのか。良いのかもしれない。
言葉にしたら本当にはなるけど、100伝わるわけじゃない。
でも、伝わらないかもしれないから言葉にするんだ。それが楽しくて、私はずっと文を書いてるんだ。

 

 

 

 

そんなことを思ってると自分が自分の思ってるよりも文を書くのが好きらしいことが分かって、笑ってしまう。なんになるわけでもないのに、とすかさず意地悪な私が言ってくるけど「なのに書きたいからいいんじゃん」とふわふわに励まされた私が言い返す。そうすると「それもそうか」と苦笑いしたくなる。
なんにせよ、今日は良い日だ。ずっとずっと、文を書いていたいと確認できたから、私はすごく、嬉しいんだ。

 

 

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