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1月4日飛行機のなかで

当たり前に、この日の飛行機は子どもが多い。保護者の人たちは大変だなあと思いながら、なるべく意識してにこにこと笑いかけて、私は子どもが嫌いじゃないですよ、もし泣くことがあっても大丈夫ですし、何かあればお声がけくださいね、の気持ちを込めて。まあそれは、かなり自己満足な行為でしかないんだけど。

 

 

 


実家で、それでも1週間を過ごしたのだ、としみじみと思う。しっかりと数キロ太った気がする。全ての予定は果たせなかったけど、それでもいくつかはきちんと終えた。父と母とも話し、母の手料理を食べて、父とお酒を飲んだ。姉とも少し話したし、弟ともなんだかんだと結局会話をした。そのそれぞれの配偶者とも。

なんとなく、ぼんやりと、不謹慎にもいつか近付く不在について考える。両家の祖父母がそこそこ早くこの世を去ったからかもしれない。さらに言えば、私はそこまで、年齢や時間を捉えるのが得意ではないから、後から「ああまだあのくらいの歳だったか」とびっくりしてしまうからかもしれない。

 

 


いなくならないで、と思うと苦しい。いつかくる不在を怯えて過ごす勇気がない。

 

 

 

 

父が、弟との不仲を嘆いていた。
決して、いわゆる「九州の」と揶揄されるようなひとでは父はないけど、でも、子ども目線から見ても不器用で、また、なんとなく疎ましがられるような瞬間を不用意に生む人ではあると思う。父を好ましく思うのと同じくらいに「ああまた面倒なことをして」と思うし、そんな自己嫌悪に苦しんでもどうしようもないでしょうに、と不遜にも思うことがある。
(とはいえ、書きながらそれは私自身の特性の中にも見る部分な気がするし、そう思うと親子だ、とも同族嫌悪か、とも思う)


背中を小さくして「分からないよ」と嘆く父に母とふたり、気にしなくて良いんだよ、受け流せばいいよ、と声をかける。そして心の中で弟に「いつか後悔するぞ」と思う。別れが来た後に「優しくしてれば良かった」と思う苦味に比べれば、可愛げにも似た不器用さなんて愛してしまえば良いのに。ほぼ同世代の私や姉に冷たく接するのはもはやあなたの価値観だけど、父母と健やかにいれる時間は、そんなに長くはないんだぞ。

 

 

 

ただ、社会人生活も長くなり、家庭を築いてとしている人間としてピリピリすることもあるんだろう。弟なりの自負を不必要に刺激していることも、まあ、ある。
順風満帆ではなく、弟なりに苦労する瞬間もあって、そこを踏ん張っているからこそ、看過出来ないと意地になることもあるのかもしれない。
そう思うと仕方ないか、と思うし、「仕方ないよ」と口にする。それを弟の可愛げだとも思わないこともない。

 

 


そんなことをオブラートに包みながら漏らせば父に「つくはすっかり大人になったね」と言われて苦笑した。そんなことはない。私は現実を直視してない、いや、直視し続けるという子どもじみた現実逃避をしているのだ。目の前のあなたたちの向こう側の不在をじっと見つめて「だから今、なるべく柔らかに話せるような最善を探そう」としている。それはある意味で、目の前のあなたたちから目を背ける狡い行為だとも思うのだ。

 

 

それでも、可能な限り、穏やかで優しい時間を過ごしたいから、私はこのズルを続けるつもりだ。




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