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先立つ後悔

新年が明けるということをしみじみ考えている。
新年ってもっと特別だと思っていた。頑張って何かを特別にしたかったのになーと思っていたけど、そういうのはもういいのだ、と今年は思っていた。
もういいかもしれない。
験担ぎとかあるべきとか特別とか、疲れてしまったぜ。


だから私は今日、自分のそれなりを観ながら調整していた。し、調整されてる、とも思っていた。
本当はキレたかったろうにな。可哀想に、
でも、まあ、しかし仕方なく、そういうもんだよとひとりごちるタイミングはあった。「じゃああの時辛かった」と言えば、あなたは謝まれたのか、と聞いて答えてくれるなら私はきっと楽でしたよ。
そうやってやってきたのだ。それを忘れずに「最低だ」と思いながら「でもなあ」なんて思って、そうして各々の罪悪感と傷を抱えながらやっていくのかい。


なんてことを思いつつ、まあしかしだよ、と本を読んでいた。本を読んでいる間は穏やかでまだ「わかる」だけがある。それは、安心だよ。

 


こうしてブログを書けば書くほどに思う。私は私を悪者にはしない。絶対的に正しい存在としてしか描写できない。
そういう時に「これってどうなの」と思う。
自分は正しいということを言いたいだけなら文を書かずともいいんじゃないかな。そうじゃなくて,それ以外に意味があるから文を書いているのではなかったか。

 

そんなことを思っていても、自分の悪人性を書くのだと思っても「信頼できない語り手」としてしか文は紡げない。たぶん、もう少しスキルや経験があれば書けたのかもしれないが、言葉は語り手に寄り添い過ぎるのだ。私くらいのスキルなら、なおさらに。

 

正月を過ごしながら「じゃあ」と思う時に「ずっこいなあ」と思う。そうやっていい人をして誰か救われんのかい、自分だけじゃないかそれは虚しいじゃないか、と思うが、でもそういうことか。
許したいと思いながらそれはその余裕がある時なんだ。その時だけの何かを自分だと思うのはなしだろう。

 

今年もこうか。余裕があれば優しいけど凡そに「嫌だ」と思いながらやっていくのか。生きていくってそういうことか。それは、ずっと,そうだよなあ。
後悔してオエーってしながらやっていくのか。

 


去年、言葉を尽くそうと思った。そうして伝え続けるを選べるならと思った。でもそれは傲慢らしいとも思った。尽くす、が暴力になることは往々にしてある。なら、いくら、所信表明的に真摯にいても、意味はない。
でも、それでも、出来るのはこれにしかないのか、という諦めみたいなものがある。死ぬまでこうか。こうやって、間違えるのか。それはすげーやだけど、せめて何か、良かったも増やしたいけど死ぬほど後悔しながらそうして、生きてはいきたいのだ。




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