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単発的な、偶発的

不思議だ、と思う。いつもの自分の生活のリズムが掴めないけど、当たり前に生きていた自分の時間がある。不思議だ。
なので、癖なら伝わってしまっているから嘘は通じないし、かといって、いつもの自分のままではいられない。そこには幼かったり、少し違う自分がいたりする。これは結構不思議だ。

 

 

 

 

とはいえ、じゃあそれが「自分ではない」と言ってしまうのも、それこそ「幼い」んだろうなあと思う。それこそ、時間は連続性があるし、頑張って取り繕った末がいつもの自分かもしれない。
それでも不意打ち、家の中でいつも聴くラジオを聴くと、その声に安心したり「これこれ」と思ったりもする。不思議だなあ。みんな、こういう感覚は「あるある」なのか。
だとしたらどうやって付き合っているのか、聞いてみたい。

 

 

 


というかそもそも関わる他人の数ほど自分ってのはいるんだろう。今日もぼんやりと仕事のことを考え、うまくやれない相手のことを考えた。それこそ、親族の仲良くなれない相手に「本当にどうあっても仲良くなれないな」と確信したりもした。
ただ、相手だって自分を得意だとは思ってないだろう、と思う。たとえば、いつもなら当たり前に出来る思いやりを「そこになければないですねー」って流したりするし。きっと寂しいらしい相手の気配に「そうですか」と知らないふりをした自分はとんでもなく冷めた顔をしていた気がする。
そういうとこだよな、人を大事にしたいと足掻いてきたつもりだなんて嘯きながら自分に何もないような不安が襲ってくるのは。困ったもんだよ、本当に。
確実に今年傷付けてきた相手を一人一人考えて、その人たちと話すことができたら何か変わるだろうかと考える。目の前の誰かに優しくも出来ないくせに?と思って、それもそうだ、と思う。

 

 
そうなるともう、単発的な優しさを狙ってやっていくしかないし、そのためにもなるべく長期間上機嫌でいた方が良さそうだ。




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