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そういう風に

もう人間であることを忘れた方がいいな、と思うことがある。
それは「人間だから辛いのだ」という気持ちもそうだし「お前みたいな酷いことが過ぎるやつが『人間でござい』みたいなツラすんなよ」という嫌悪もある。そういう、好きな人の言葉を借りれば、思考のマトリョーシカでボコボコになることがある。

 

 

 


今日は、そんな日だった。
以前言われてそうだねえとそれは甘えじゃないかしらという言葉で「つくさんは味わいすぎるんだろうね」という言葉があった。
曰く、「そんなもんすかー」で流せるものを一つ一つ形や温度を確認しては心を揺らすからそれはしんどくなるよね、みたいなことを言っていた。それが本当だ、と思うのは少し自分に甘すぎるけど、とはいえ、確かに「考えなくていい」を考える節は自覚がある。
一日中考え事をするような仕事をしているから、身に覚えは、あるにはある。

 

 

ただだから「考えている」まして、「感受性が豊かだ」なんて宣うのは、さすがにツラの皮が厚すぎやしないか。自分のキャパシティすら考えずにあれやこれやと考えるのは傲慢である。

 

 


そういうことをひたすら考えていると「生きていくって難しすぎやしないか」と途方にくれる。誰かを許せないことは自分を許せないことだし、自分を許すのは誰かを許すことだと思う。

 

 

 

どうすんだい、と夜、ぼんやりとホームで思っていた。他人も自分も許せそうにないけど。
そうして「許せない」モードになる軽薄さや品のなさも自覚があってどうしようかなあと思っていた頃、友達から「飲みいく?」と連絡があった。うれしい!とおもいながら、仕事をなんとか、ギリギリ終わったフリをするくらいにはこなして、飲みにいく。

 

 

なんなら、それだけじゃない。話聞くよと連絡をくれたり、また飲みに行こうね、と声をかけてくれる人がいる。そうなんだよなあ、と今、この日記を書いてる私は思う。思って、「あ、思い出したのか」と他人事のように気づくのだ。

 

 

忘れていた、思い出したのは飲みながらあーだこーだと話したからだ。
なんか、色んな話をしてしまう。
「愚痴を言ってもいいよなんて言われても話せることってないんだよな」なんて嘯いたのが嘘みたいに「これが嫌で」「これが悲しくて」と話してしまう。しかも、わりと、ユーモラスにすら話せない。おしまいじゃん。
でも、そうしてると「最近見たドラマが面白かった」「好きなラジオのトークが」と話せるようになるし、友達も友達自身の話をしてくれる。

 


そうしてるうちに「あ、人ってこうだった」と思い出す。

 


誰かを探ったり上げたり下げたり。なんか、面白くない不文律があるわけでもない。全部を理解し合えるわけでもない。
でもだから「言葉にするんですよね」という共通認識で、話すことはできる。

 


たくさん話して、飲んで、食べてしていたら「生活って楽しいなあ」に変わった。そんな風に生きているな、と思うし、そういう風に生かしてもらってるな、って話だとも思うのだ。

 

 

 

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2026年1月の文学フリマ京都に申し込みました!無事に日記が1年続けられそうなので記念に日記本を出す予定です。
自分である程度各月1本ずつくらいの日記を選んで振り返ったり補足したりしようかなーと思ってますが、もし「これ良かったぜ」というのがあれば教えてください。参考にします。
何より、私がニヤニヤします。




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