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笑うのだ

かまみくを聴き終わった後にお礼状の気持ちでブログを書くのだ、と思っていたけど、あまりにも今週のかまみくが心に残りすぎているので、ブログを書こうと思った。何回思考を巡らせても気が付いたらかまみくのことを考えている。

 

 

 

ともかく、ここ最近のかまみくはすごい。
9月中旬にみくのしんさんのお家がお水ゴクゴクハウスになってしまい……もとい、床上浸水して、面白さが留まるところを知らない。というのは、ほんの少し心苦しさはもちろん(出来ればみくのしんさんにはご飯の肉の数だとかだけでやきもきしてて欲しい)あるけど、でも実際、この数週間のトークの磨きがかかってる感じは、本当にすごい。
それは、体験しようとしても出来ないような悲劇に遭いながらも笑ったり怒ったりしているみくのしんさんや、笑って聞かないと聞いてられないと言いながら寄り添うかまどさんのトークが面白いから、というのはもちろんある。
かまみくの味であるところの「人生」をここにきて、ハプニング的により色濃く刻み込んでいるトークたちは、毎週本当に輝いている。

 


今週のかまみくは不動産関係で何か困ったときや詐欺に遭いかけた時の具体的な対処法がリスナーから寄せられていたりと実用的なお役立ち情報も多くあったりした。だけど、何より、心にグッときたのは、後半、リスナーからのメールをみくのしんさんが読むコーナーだった。

 

 


コミティアに参加したリスナーが、心無い言葉を見知らぬ参加者に言われたエピソードと共に「お二人も『あの時言い返せたら』と思ったことはありますか?」と送ってきたメールから始まったトークを、私は繰り返し繰り返し聴いている。

 

 

大事になった理由は、たくさんある。
誰かが作ったものを不条理が襲った時に怒ってくれるひとがいること、逆に「無視していい、無視した方がいい」というひとがいること。
それから、そう、そもそも、不条理ということ。

 

 

かまどさんは、言い返せたことを否定するわけじゃないけど、と言いつつ、そんなことは放っておいて、もっと別のこと、自分で本を作ったこと、そしてその本を半分売れるほど、手に取ってくれた人がいることを覚えておいた方がいい、と言っていた。

 

 

 

私が、無性に好きだったのは、そのかまどさんの言葉たちだった。
一つは、今過去の彼ら二人のラジオを聴いていて、それこそ過去の彼なら一緒に怒っていたかもしれないな、と思ったりもする。

今ちょうど、同時並行的に過去のラジオを聴いてるから思う。いつかの彼は、ラジオでリスナーの鼓膜をぶち破るくらいに怒っていたし、そんなところに「救われて」いた。
口が悪いとか、過激なことを言うとか、そんな枠に収まらないくらい、私は夢中になってラジオを聴いていた。

 

 

 

そうして、だから(同時並行で聴いてるからなおさら)思う。歳を重ねているのだ、彼らは。
いつかの彼らから確実に変わって、それを成長と安易に言っていいのかわからないくらい、しなやかに、歳を重ねてきている。別人というとズレるけど、でも、やっぱり、絶対に。同じ人だからこそぐっときてしまうくらい圧倒的に、彼らは変わった。

 

 

実際、今回のトークの中でも「もう飽きた」と口にしていたし、少し前の同じコーナーでも「過去の自分にどんどん飽きていってる」と話していた。
ここ最近、私はそのことをずっと考えている。
過去のラジオを聴きながら、そんな彼の怒りに「わかるわかる」と頷いたり、勝手に代わりに怒ってもらえたような気がして安心することがある。それだけじゃない。自意識で雁字搦めになって訳がわからなくなるたびに落ち着くために聴くエピソードもたくさんある。

 

 


そんな彼がその頃の自分を含めて「過去の自分にどんどん飽きていってる」と口にすることは、なんだか無性に嬉しかった。ほんの少しの寂しさだって滲みかねない気も我ながらするんだけど、いやそんな「気がする」さえ過ぎらないくらいに「嬉しい」が自分の中の感覚には近い。

 

 


そして何より、そうした不躾で無礼な言葉を向けてくる、そんな「不条理」はいくらでもあるのだ、と言ったかまどさんの言葉をずっとずっと覚えている。

 

 

 

何もあなたは揺らがない、と言い切った、表現欲があるからこそできるのだ、と言った言葉に、こうしてネットの片隅で文を書いてる無関係な私にも、なんだか、大切すぎる回になった。

 


自分では飲み込めないようなことが覆い隠した嬉しいを、他でもない彼らがこんなに良いものなのに、と取り出したこと、それが、本当に嬉しいな。だし、これが、リスナーさんに届いたら良いと思う。

 

 


何より。そうか、と思った。

 

 

 

去年、仕事に少しの間行けなくなっていた頃、延々とかまみくを聴いていた。それ以外にも友達と喧嘩した日、ひたすら聴きながら夜中散歩したこともあるし、職場の嫌な飲み会終わりには、いつもイヤフォンを耳に突っ込んで彼らのラジオを聴いていた。
なんでこんなに絶望に効くんだろう。
そんなことをずっと考えていたけど、だからか、とすっきりした気がする。
理不尽や飲み込めない色んなことの話を彼らはしながら、くだらない話をして彼らは笑う。その全てを吹き飛ばすような笑い声が聴けるから、きっと、私はこのラジオが好きなのだ。

 

 


スカッとすることも、解決することもない。
一瞬「救われた」としても、毎日は変わらずくだらなくて理不尽で「なんなんだよ」ということが満ち満ちている。優しくて、面白い、こんなに良い人が水没したのだって、本当にそうだよな。
そういうことが、平気で起こる。
起こるけど、私たちは笑える。

 

 

 

だから私たちは、ラジオを聴いて笑うのだ。

 

 


 

 




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