あまりにも楽しいことが続いていて怖い。怖いけど、別に「不幸じゃなくてもいい」なんだよなあと思う。
朝、久しぶりに目覚ましをかけずに寝た。
でも寝るのが下手なので全然夜中に何度も起きたし、目を覚ましたのは7時台、完全覚醒は8時台だけど、まあでも、「起こされた」感覚はない。あ、今日は頑張れそう、と思う。
ずっと憧れていたことがあって、寒くなる前に大掃除、特に水場を掃除する、というやつだ。流石に全部は終わらず(本当はエアコンの掃除をやりたかった)だけど、気になっていた「自分のだらしなさ」の象徴のようなところをガシガシと磨いていく。
キッチンも、洗面所も。洗面所の下収納も。調理家電も。
お供は、大好きなラジオたちだった。誰かの喋り声や笑い声が響いてる中だといくらでもやってられそうに思って、すごい。脳内に心地いいアドレナリンがビシビシと広がっていく。友達と家事をしながらラジオを聴くことの話をしたけど、本当に最高の娯楽だ、と思う。ラジオと家事。これは、かなり、最高に良い。
家事を終えて、お昼も丁寧に作って作り置きも用意して、それから、友達と鍋を食べにいった。美味しいお店があるのだ、と連れられたお店で、ひたすらしゃべる。
喋りながらふと「私は本当に楽しいことを話すのが下手だなあ」と思う。
友達の「最近楽しく話してるよ」に私は「最近なんなんだよ」と思った話を返してしまって、なんとかならないもんかね、と思う。何を楽しいと思ってるんだろう、いや確かに楽しいと思ってるのになあ。
そういうことを一瞬考えて、考えながら、いや違うな、と思った。これが違う。なんなんだよ、の話をしたことじゃなくて、こっちか、違うのは。
ソラちゃんと飲んでいて、そういう、楽しいも嫌だってことも、好きなことも、色んなことをごちゃ混ぜに話せるから楽しい、だった。我々は。ただ楽しい話をしたい時は各々また別の友達と話すこともあって、ただの好きなもののシェアをしたいわけじゃなくて。そうじゃ、なくてだな。
「なんかあった時は話せるじゃん、我々は」
そんなニュアンスのことを、今日、ソラちゃんが言っていた。うん、そうだった。今年の2月。どんどんすれ違っていってるなーと思った時も腰を据えて話してふたりで結局爆笑して帰ったことを思い出したりもした。そうだよなー美味しいと楽しいとなんなんだよ、を詰め込んできたのだ、私たちは。ふたりで過ごす時間の中に。
ラジオを聴いていて、「当たり前に自分のことが好きかを確認したがるよな」という話にえ、みんなそうじゃないの?とびっくりした。
最近、特に思う。あ、別にこの人、私のこと興味ないんだな、好きじゃないんだな。そうじゃなくても「軽んじれるから好きなんだな」と思うとへらへらと遠のいてしまう。
ということに気付いて、でもかと言って私は好きでいてもらう努力をしたのか?と思うとだんだんと、誰かといる時ズルをしていないか、不安になってくる。誰かの好意にただのりしていないか?そうやって誰かの優しさを搾取してないか?いやそもそも「自分のことを好きな人とだけ一緒にいたい」なんて、結構傲慢じゃないか。おまえ、そんなに誰かに好かれるって思ってるのかよ。
そんな意地悪な自分の声に「でもさーーー仕事で頑張ってるから休みの日くらい、自分にとってやわらかな人たちと一緒にいたいよ。自分も好きで、少なくとも自分のことを嫌ってたり酷いことをしないひととがいいよ」と駄々をこねたくなることもある。
その辺はなんか、今、調整中だ。
調整中だけど、今日、鍋を食べてカフェで話しながら。こんな楽しいことをやりたいのだ、と企みながら、それに付き合ってくれる、楽しそうに笑ってくれる友達を見て「もういいじゃん」とも思ったのだ。十分にもう、幸せだ。
酷い目に遭うことがあってちょうどチャラになるくらい、幸せで恵まれてる。ならそれをじっと見つめて抱き締めていたいじゃん。十分だ、と思えることに相変わらずびっくりしながら今日を忘れずにいることにする。