昨日の今日なので、お弁当を丁寧に作った。昨日時点からそりゃ仕事はやばくなるだろうな、と色んな準備をしたつもりだったけど、ほぼ無意味に「ああうまくいかね」が積み重なりつつ、それでもうまいこと立ち回れる自分に「あーやだやだ」と思ったりもする。
仮に、仮に今月の仕事の成果で残念な形になっても「まあまあまあ」と言うんだろうな。諸々が変わった直後ですし、なんて。それはそれとして、きちんとやること全部やるけど。
残念な形になっても、後悔しない。ために、まずは一旦、頑張る。
とかなんとか思ってたら、そこそこやれることをやったので「今日はちょっと早く帰ろうか」と思った。思いつつ、今日はそういや、友達が大阪に来てたっけ、と思ったりもする。
「何時に帰る予定ですか?」と送って、飲みに向かいながら、「おお」と自分に思う。
ここ数年。自分の中で「無理をしない」を決めてきた。
決めたら決めたで今度は、誰かと関わるのが無理になっていった。誰かと関わる、は私が無理をしてるか、相手が無理をしてるのかのどっちかな気がしてしまう。もうそういうのを越えた相手ならともかく、なんとなく人と関わるリズムを完全に忘れてしまって「あーあーあー」と思ってる間にどんどん遠のいてしまった。それを寂しいと思うのは結構な傲慢だとも思う。誰のせいだと思ってるんだよ。
ところが、この一年は友達を通じて友達が増えて、手探り、それはもう、完全に手探りだけど、かなり大人な友達たちに甘やかされつつ、「やっぱり人と関わるって面白いなあ」と思ったりもした。
みくのしんさんやかまどさんの記事やラジオに触れて「やっぱり関わるっているんだよな」と思ったりもした。
わかんねーと思う度にこの記事の中のみくのしんさんの
俺は全部を知らないけど人間関係ってそういうもんでしょ。相手のことを知らないから会うんでしょ。
に励まされたりそうかなあだと良いけど全然うまくいかないんだけどどうすんだ、と思ったりもした(どうでも良いけど直近あがった読書記事を思うとごめんなさいとありがとうを言う練習を私はしたのかもしれないね)(推しを道徳の教科書扱いすんな)
今日会ったそーさんは、一時期めちゃくちゃ会ったり通話したりしていて、でもなんとなく交流するタイミングが減って、また今年時々、ご飯を食べたりしている。前回はぽんさんも交えて、カレーを食べたりした。
そーさんとたくさんやりとりしていた頃の自分はまだ「人と関わる」の頃だったし、そう思うと今の自分のこの「ギクシャク」ってどうだい、と思う。それは、「そーさんだから」というよりも、基本的にほとんどの知り合いにある「ギクシャク」で、まして、普段なかなか会えない相手にいきなり迷惑だったり負担だったりのリスクがある行動を今の自分がとるとは、と「おお」と思った。ただなんか、そーさんは、「おっ、いっすよ」って言ってくれる気がしたし、気分が乗らないならちゃんと断ってくれるだろう、と思った。そう、それこそ「無理をして」で会ったりはしない人だろうな、と思ったのだ。それなら、一緒に飲む間「無理」を探ったりすることはない。
すごいな、人と飲むのにそんな小理屈をこねるなよ、とは思う。思うけど、私は大体ほとんどの瞬間にこういう「小理屈」を挟んでて、それが「ギクシャク」を生んでるんだよな。面倒くせーと、でもこうやってちょっとでも下せた日はいいぞ、と思う。
これを全部捨てたりはしないし、できないしなんならする必要もないと思うけど、「お、下ろせたぞ」とか、あらあら背負ってるなあとかそういう「あっても当たり前」にすることは出来るし、したい気がする。姉からの不意打ちの靴の贈り物を「嬉しい」の割合多めで受け取ったりとか。そういうことに、繋がる気がするので。
やっぱりそーさんは、なんならめちゃくちゃ明るく飲みましょう!と言ってくれたので1.2杯で去るつもりがしっかり2時間弱飲んで、あーだこーだと話をした。推しの話や楽しいことの話をしたり、そーさんの話を聴いたり、政治や生活の話をした。ごった煮だった。し、私はそれが好きだった。
そういうので良いのか。ちゃんと喋らなきゃとか、なんか、「こうしたい」とかじゃなくて「こんな感じだ」を確認しながらでもいいのか。
伝わらないね、って話をしていた。同じ音楽を好きでも、同じような生活を送っていても、時々、びっくりするようなことを言われたりもする。それは「同じ」が全くない人のそれよりも大きく深く傷付く。今日もそんな話をしていて、不意打ち、ぐっと体に力を入れるしかないくらいの「かなしい」を思ったりしたけど、途中で「いや、違うよな」と思ったりもした。
かなしい、を思っても良いけどそこに引きずられて、考えられなくなるくらい悲しむのはなしだ。しかも、それが目の前で起こったことじゃなくて、過去、話してる相手が聞いたことなら尚更。
どうだろうな、これも伝わってるのかな。伝わってないのかも。でも別に、どっちでも良い。伝わるから文を書くわけじゃない、だけど、文を書き続けたら、伝わることはある。
そういえばこないだ、この一年で友達になった方からLINEがきた。あまりにもしんしんとブログの中で落ち込んでいるのでほんの少しの心配とわかるよ、を言葉にして届けてもらった。なんとなく、その時「伝わった」と思った。
もしかしたら違うかもしれないけど、私の中で「伝わった」だったのだ。
今夜は、良い夜だったと思う。文にして、改めて思う。全部が伝わったわけじゃない。全部を理解し合えるわけでもない。でも、何かを一色に塗る必要はないと思うし、一緒に乾杯できて嬉しい、はその中でも一際しっかりと色がついていて嬉しいので、それで良いのだ。

2026年1月の文学フリマ京都に申し込みました!無事に日記が1年続けられそうなので記念に日記本を出す予定です。
自分である程度各月1本ずつくらいの日記を選んで振り返ったり補足したりしようかなーと思ってますが、もし「これ良かったぜ」というのがあれば教えてください。参考にします。
(タイトルだと助かりますが、数が多いので「こんな感じのやつ」とかでも大丈夫です!)
何より、私がニヤニヤします。