昔住んだ家になんとか帰ろうとするけど全然帰れない、というさすがになんか、さすがにだろ、という夢を見た
— つく (@tsuku_snt) 2025年10月27日
さすがに、というのは「帰りたい」という郷愁と、「帰れない」と考えていること、しかもそれを悪夢寄りで考えている潜在意識的なものを感じる夢だったからだ。夢占いにかけるまでもない。
し、それを「意味がある」と捉えて解釈しようとする、出来てしまうことの薄寒さにもなんだか嫌悪感がある。
ともあれ、うっすらと不機嫌に目覚めてしまった。帰りたいのか、と言われたらそんなつもりもないけど、でも「帰れない」ということを直視していい気がしないし、それはつまり「帰れないんだなあ」と考え続けているんだと思う。
正直そもそも何かを楽観的に捉えるのが不安だ。朝が早い予定があれば寝坊する想像をする。
いつか、給与が下がったり職を失ったり病気にならないかと不安だし、家族の介護や看護を想像する。
さらに言えば些細な諍いがあれば「もしかしたら周りの人たちはみんなそんなふうに思ってるのではないか」と思うし、ちょっとした気遣いのない発言をしてしまった時に「ああきっとこんなふうに嫌われたに違いない」と考えてはこうして自分のことばかり考えているのが何よりも人間として浅いと自分にがっかりする。
戦争が起こるかもしれない、金融危機や食糧難が起きたらどうしよう。
残念ながら、今のご時世はその想像をより強固なものに出来てしまいそうな根拠が多すぎてそれを一つ一つ否定することの方が難しかったりする。
だからエンタメや、お酒を楽しむ方向に脳みそをシストさせているような気がする。
し、それにも限度はあるから、例えば、と考える。
例えばこんなふうに延々と悲しいことを考える自分の人生の意味はなんだろう。
いや、ここで無意味だ、だから前向きに物事を捉えようとするのは簡単だ。そう思うこと自体は簡単で実行するのは難しい。だからより深く落ち込んで、本末転倒だ。
だけど、そういうことを考えているからこそ「幸せ」を想像するのは下手くそで、それで「幸せ」にぶつかった時に殊更に嬉しい可能性はないか。
ないかーちょっと詭弁か。でも、たぶん、不安がりは治らないから、ちょっとずついいとこ探しするしかないじゃんか。
2026年1月の文学フリマ京都に申し込みました!無事に日記が1年続けられそうなので記念に日記本を出す予定です。
自分である程度各月1本ずつくらいの日記を選んで振り返ったり補足したりしようかなーと思ってますが、もし「これ良かったぜ」というのがあれば教えてください。参考にします。
(タイトルだと助かりますが、数が多いので「こんな感じのやつ」とかでも大丈夫です!)
何より、私がニヤニヤします。