この「大丈夫」を心底信じていたいけど本当の「大丈夫」だろうか。本当であれ〜〜〜〜。
仕事のことであれやこれやと元ジョウシと話して、なんとなく、目線下がってたなあ、とか、ああ、我が我がになってたから苦しかったのかあ、とか思っていてようやく視界が開けた気がするんだけど頼むわ、これ、錯覚じゃありませんように。
9月14日インテックス大阪開催(なんと入場無料!)の文学フリマ大阪にて「そ-26 えすえぬてぃ」というスペース出ます!
6月コミティアで頒布した「とりあえず一杯のんで」の既刊ほか、新刊の「エンタメに生かされている」というエッセイ本が!出ます!
Webカタログにも登録したのでぜひ。
新刊「エンタメに生かされている」のサンプルとして、新卒の時代、まさしく『演劇を食べるように』過ごしてた時期のエッセイをアップしました。
【文学フリマ大阪13 出店!】
📍ブース:そ-26
🗓9/14(日) 12:00〜開催
※当日は15時前くらいまでの滞在予定です
✅入場無料
🏢インテックス大阪2号館
📕イベント詳細→ https://bunfree.net/event/osaka13/ https://c.bunfree.net/e/f4n #文学フリマ大阪
音楽はメロディで楽しむ人、歌詞で楽しむ人がいると認識されつつあるけど、会話だって実はそうだ、と思う。
そうだ、というか、少なくとも私はそうだ。
音楽の高低が分からないたちではあるけれど、音楽を聴くように「会話」を聴くことは結構ある。かなりある。
この会話を聴けば大丈夫。このシーンを見れば大丈夫。
そういうのって、内容如何ではなくて、メロディの話だと思うのだ。
一時期は延々と好きな演劇のシーンを録音して聴いていたし今もずっとラジオを聴いている。
毎日更新されるラジオもそうだし、何より私は「お気に入り」の音源を聴き続ける節がある。
それこそ、寝る前、ざわざわと落ち着かず泣きそうな時は「これ」というお気に入りの回があるし、ふとした瞬間に好きなラジオを思い出してはその会話のリズムで自身のバイオリズムを取り戻すことがある。
あれって、私だけだろうか。
会話自体のウィットさもあるけど、その言葉の抑揚、間合いにテンポ。そういう全体の流れにきゃらきゃらと喜んで楽しんでいる。
なんだろう、私はもちろん、内容それ自体も大切なんだけど響きなんかにも喜んでいるのだ、きっと。言葉選びもだし、その言葉の発し方も大切なんだ。
これが掛け合わされてドンピシャ刺さると私はたまらなく嬉しい。
例えば、今朝、ふと思い出して嬉しくなったのはこのかまみくの回だ。
このエピソード内で「(俺のダメなところをちゃんとダメだって)言ってよ!」とごねるみくのしんさんに「言ってきただろ!」とかまどさんが叫ぶシーンがある。そのテンポの良さ、声の勢いがたまらなく好きだ。さらには後半の「パーフェクト算数教室」でのみくのしんさんの怒涛の計算での「食べたかったヨォ」「あなたが多く盛るからぁ!」なんかも思い出すだけで笑顔になる。
どちらも会話自体の面白さもあるんだけど、音として心地いいのだ。
みんなは、音楽の代わりに会話を聴いたりしないのか。
私は、それが結構お守りとして協力だったりするのだけど。そういうタチにとって、ラジオってのは、かなり、ありがたいんだよな。