なるほど、私はこれが必要だったんだな、と思っているけど、これ、は逆説的に存在しない、なんだよなあとも思ってる。
こんなに毎日文を書いているので、さぞやお喋りだろうと思われがちだけど喋るのが苦手だ。この喋るのが苦手、は必要容量喋れないの苦手である。だから「喋っていいよ」と言われるのが得意ではないし、かと言って「聞き役に徹する」が得意ではない。
ここが難しい。黙り続けるは得意ではない。私は私の中で延々と言葉のピンボールを弾ませてるから、いくらだって本当は喋れはする。でも、違う、それは「会話」ではない。その劣等感がある。
今日だって何回「何が言いたくてこの話をしたんだっけ?」と聞いただろう。知るかよ。
喋りたい、言いたいことがあるだけなら私にはブログがある。ペンと紙がある。でも違う。返して欲しい、あなたの言葉を聞かせてほしい。ただ、のわりには私は「聴く」が下手である。好きな本に惚れ惚れしているのはその「傾聴力」だと思うし、会話上手はまずは聴くことですよ、というハウツー本を読むたびにうるせえと叫ぶ。それが出来ないから困ってるんですよ。
だというのにモロモロになるまでお酒を飲み、会話と一方的の情報の狭間みたいな感じに好き勝手過ごしていま、ぼんやりしている。人の形は取り戻した気がする。好きなことはたくさんした。もうどうあっても「やりたいように」が浮きはするけど、これはさすがにもう、満ち満ち、だ。甘やかされている。
私はとりわけ、学生時代の友だちに寄り掛かりエネルギーをもらってるから難しいな。
でもまあ、良いかと思う。これは至極傲慢な感情でもあるけど、多少、やっぱりお互いさまなんだ。お互いさまだ、と思えるくらいに一緒のいるんだなあと寄り掛かりながら思う。
でもだよ。私はこの数日。数週間。元気はなくても「これを大切にしたい」があって「これがあるから大丈夫」があった。そういうのなんだよなあー。でも、全部大事で良くない?とも今思ってる。もう私は若くはない。老成も出来てないけど、そこそこ歳を重ねた程度の体力だ。だから、全部大事でいきたいし、「これがあれば万全」の特効薬がない代わりにたくさんの栄養剤的な、そういうもの、ひとに囲まれている。
特効薬がない人生は不安ではあるけど、同時にすごく丈夫だと思う。思っている。