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愛しいひとが正直でした

日傘をささずに歩きたいと思った。
ふと、友だちとの約束のあと、ひとりふらふら歩いて、ルーティンの八百屋に行った帰り道。どうせなら電車にも乗りたくないし、日傘だってさしたくないし、このまま、歩いて帰ってみようか。頑張れば歩いて帰れる距離である。

 

 

 

肌のケアをそこまで頑張ってこなかったから、本当は日傘なしで歩くなんてやるべきではない。そもそもお酒を飲んだ後だし熱中症リスクも高まっている。でも、そうしたかった。

 

 

 


昨日の余韻がまだ残っているし「がんばるな」という言葉が残ってるからかも。自分が嫌だと思うことをやらないこと、についてぼんやり考えたくて、そうなると電車も日傘もちょっとずつ不便だ。
聴きたいと思っていたPodcastをぼんやり聴いてるような聴いてないような曖昧さで流しながら歩いた。

 

 


怒ってるし、傷付いている。どうやらそうらしいと少し前から思っていたけど、昨日その影がハッキリしてとなると、どうしたもんかなあと思う。本当に一旦休みたい気もするし、かと言って休んでどうにかなるものでもないから飛び込み続けたい気もする。これを越えたら何かが見れるような気がするという気持ちと、そういうのもう良いんじゃなかったのかっていう気持ちがある。
どうなったら、自分に価値があると、評価されてると思うのか。というか、なんだよ評価って。そんな話を昨日つらつらとしていて、なんなら私は「評価されてない」とは思ってなくて、じゃあこれは一体全体、なんなんだろうなあ。

 

 


本当は「理解されない/できない」が嫌っぽいことは分かっているし、今日も「ああそうだな」と考えれば考えるほど思う。そういうのがあると、私は大事にしたいものすら、大事に出来なくなるのだ。それは、私のキャパシティの問題だけども。

 


だから、そういうのが全部嫌だよと思いながらふらふら歩いてぼんやり木陰で漫画を読んだりした。好きなものでの武装を今日はしているな、と思ってぼんやりしてると意外に風が涼しかったりする。
なんだ。夏の外は、少しでもいたらもうダメになっちゃうかと思っていた。そんなことないのか。ぼんやり、漫画を読めたりもする。
何年も読んでて何回も何回も読み返した漫画に、またちょっと救われることってあるよな、と思う。聴いてるラジオやPodcastの言葉に「無理解」で終わるだけじゃないのだ、と思う。

 

 


そういや、期日前投票に行った。見たことないくらい人がいて、ほんの少し、うれしい。
ああもうだめだと思う一つは、たぶん、政治のことでもあったから。暴力だとか差別だとか、そういう、「ありえない」がありえるのだ、いつだか、授業で「なんでそんなことになってしまうんだろう、少し考えればわかることなのに」の「なんで」の答えを知ったような気持ちになることもある。考えないからだ。想像しない。自分の世界だけで立ち止まって、引きこもる。

 


でも、そうじゃない。そうじゃない人もいる。なら、私だって引きこもらないように、足にグッと力を入れたほうがいい。




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