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「お前は全部間違ってる」

今日は心底疲れていたけど、終わってしまえばいい日だ、になる。まあ、良い日だ、にしたのは私だけど。

 

 

 

昨日ずたぼろになってしまい「ああもう無理だ」と思いながらも、かと言って無理だ、の原因は自分で立ち止まる場合じゃないのでぐっとお腹に力入れながら出勤することにした。
奇しくも今日は金曜日。好きなラジオもある。そう思うのに、妙にトークが頭に入ってこない。それはちょっとまずいですよ。

 

 

 

「お前は全部間違っている」とは、このブログでも何度も書いてるいつかの源さんのラジオでオードリーの若林さんが口にした言葉だ。ああうん、そう、そうなんだよ、と私が何回も繰り返し聞き返した回。
お前は全部間違ってると言われながら、それでも歩き続けて、自分の立ってる場所を正解にしてきた人たち。

 

 


そうだよな、そうだよな、私だけじゃないのか。間違ってると言われても、別に「間違ってない」と言う必要もなくて、ただただ、でもこう思うんだよ、と静かに生きててもいいのか。いいなら、いいのになあ。

 

 

どうにも。本当に社会と歩幅が合わない。今日そんな話をしてたら、失礼だけど、拗らせてますもんねえとしみじみに言われて「失礼ですねえ」と言いつつ頷いた。客観的に見て、ずっと私は「なにをそんなこと」ということで定期的にもがいて、泣いているし、腹を立てている。
かと言ってそれを貫くほどの意思があるわけじゃなくただ、小さく「こう思うんだけどなあ」と呟くだけだ。

 

 

 

出勤の道のり。じりじり照らすお日様も嫌で、電車の中、息がしづらいと思う。このまま、どこか遠くに行かないか。行っちゃ、ダメなのか。

 

 

 

少し前からずっと人と喋ることが出来なくなっている。相手が何を言ってるのか、本心、理解できない。
「こういうことですか?」と尋ね返しても「いやそういう話じゃなくて」と戸惑われる。違ったのか。
それは「聴き間違えた」なのか「伝え損ねた」なのか。それも分からない。分からないけど、ただずっと、喋れない、と思う。そうすると、宇宙に放り出されたような気分になる。

 

 

 

でもそれもこれも、「お前が全部間違ってる」なんだろ。

 

 


そう思いながら、電車を降りようとして耳元、イヤフォンから、米津玄師の毎日が流れてきた。

 

 

鼻白む月曜 はみ出す火曜 熱出す水曜 絡まる木曜
後の金土日言うまでもなく以下同文

 

 

 

わかってんだこのクソボケナス、という米津玄師の啖呵に溢れそうになった嗚咽を噛み殺した。そうだよ、まじで、わかってるよ、黙ってくれ、ハイホーハイホー、そうして働いて働きながら、自分なりに頑張ってるんだよ。

 

 

 

ただ、なんだか、背中を押された気がした。一人じゃないというか、ああそうか、どこかにクソボケナスと中指立てながら、生きている人がいる。そういう音楽は確かに「正解にするまで」歩く、手助けになる。

 


だとて、楽にならないと知ってる。自分が、心底「生きてて楽しい」とだけ思う日はこない。生きててよかったと思う次の瞬間にはああもう全部最低って思うけど、まあでも、別にそれでいいか。


諦めというとネガティヴすぎる。でも生きてる、と思う。生きてる。大丈夫。
社会で生きていけない、たかがそんなこと、で何度も何度も何度も何度も傷付く。だから何だって言うんだよ。

 


知り合いを呼んで今後どうするかを話したりもした。拗らせてるなあと言われながらも、でもそれは怒るよ、と言われてそっか、と思う。それでいいのか。いっか、別に。

 

 

そうなのだ。生きるのが下手なりに、味方がいないわけじゃないのだ。だから、「お前は全部間違ってる」という言葉は私を深く刺しはするけど、殺すことはできない。




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