ハーゲンダッツのカバンだ、と思いながらすごいことだと思った。ほぼ確実にハーゲンダッツはあのカバンに入ってない。入ってないけど、ああ「ハーゲンダッツのカバンだ」と思うだけでしっかりと嬉しい。
すごいよな、きっとあれはあの人が嬉しいと思うものを詰め込んだ記憶なのだ。
例え、仕事を乗り越えるための弁当が今入ってるとしても、だよ。
昨日あんなブログ書いたけど、口裂け女の口が裂けたの、ハサミで切られた、だった気もする。だから被害者のこともハサミで切る的な。その場合でも治療できるんだろうか?
出来てほしいなー。
ハサミで切る、は完全に傷害事件だし、違う話が生まれ出すよな。でも、私はただただ、口裂け女が自分の顔を好きになる、そんな物語が良かったんだ。なんとかなるか、なるのか?わかんないな。
なーんてことを考えたり、日中、ふわふわと頭がおかしいことを考えている。
仕事中ふと「あー!」とか「やだ!」とか「イッッッッッ」とか叫びそうになる。でも、人は叫びたくはならないらしい。え、ほんとに?まじで?
昨日しみじみと歩きながら「どうにも私っておかしいんだろうな」と思った。
毎日学校を通うのが無理だった。みんなが同じ顔をしているのが無理で、かと言って不登校にもなれず、ならず、ただ「なんか気持ち悪いんです」と言ってふらふら帰ったりしていた。
高校時代は文を書く筆がのったなんて言ってサボったりもした。
そういう自分をなんでいつの間にか「社会でやっていける」と思ったんだろう。
それでも、社会で叫ばずになんとかぎりぎり、仕事をしてる。にこにこへらへらしていることを後輩から「いつも笑顔ですごいなって思います」と言われた。そうかな、そうだといいなと思う。
天才でもない人間は、せめて笑顔でいてほしいと自分が願ってるからだ。
だけどそれもこれも、昼間、ラジオを聴いて「よし、よしよし、よし」と言い聞かせているからだ。
自分の中での「上手くいかなさ」を笑って、まあ、ほら、そんなもんだよな、と思う。そういうもんだよ、たぶん。良いも悪いもわからない。自分以外はまともだと思ってるけど、案外そうでもないんじゃないか、と思う。
何もわからない、としたら人は傷つけたくない。傷つけずにやっていきたい。やっていけるかな。わかんないや。