以下の内容はhttps://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2025/06/26/235349より取得しました。


孤独の海の底は行き止まりではない

※ほぼ日記ですが、星野源ツアーMAD HOPEの一部演出などを思わせる描写があります

 

 


あなたにとって、星野源とはどんな人だろうか?

 

 


そう、少し前に書いた本の書き出しで書いたことがある。私にとって源さんってどんな人なのか考えたくて、好きになって約4年ばかりを振り返った本だった。
私は、この人を好きになってよかった。たくさんの大切なものをもらってきた。

 

 

 

星野源 MAD HOPE Japanツアー、大阪2日目。幸せな気持ちで帰りながら、新たに私にとっての「星野源」を表す言葉が増えた。そんな気がしている。


孤独の中で、海を繋ぐ人。


そんな彼の印象が増えた。繋がれた手を、確認するために何度も何度も脳内で再生する、忘れたくない。そんなふうに思っている。

 

 

 


今回、大阪公演に行くことが出来たのは本当に人の優しさのおかげだった。
自力では見事に外れ、初回当落発表の日はうっかり仕事中涙目になるくらいの落ち込みだったその翌日。友だちの妹さんが「よかったら」と誘ってくれた。

 


そんなことある??????

 

 

この妹さん、源さんを好きになってから、度々私が書いた源さんについてのブログを読んで、感想をくれたり「もしこの作品が好きならこれも好きかも」と勧めてくれたのだ。


大好きで、今も心の軸の一つになっているプラージュも、そんな作品の一つだった。この作品を誰かに勧めてもらって観ることが出来た。それは、本当に嬉しいことだな。
そんなことを、私はふとプラージュを思い出すたびに、嬉しくてにまにましてしまう。

そうして、今回「もし良ければ一緒に行きませんか」と誘ってもらった。初対面だ。いつもなら、対人関係が総じて苦手な私はきっと断った。だけど、この妹さんにはお会いしたかった。会ってみたい、と思う。

源さんのライブに行きたい以上に、お会いしたい、しかもそれが一緒に源さんのライブを観る、ならどんなに嬉しいだろうと思って、一も二もなく、ぜひ!と返事をした。

 

そうして、当日。

 

 

開演前。グッズ売り場の奥で合流してから、時間が足りないくらい喋った。
源さんのこと、源さんを好きになったきっかけ。それからオモコロに好きなPodcast、ラジオ、文章を書くこと。そんなことを思いつくままに喋り続けた。


すごい。初めて喋った相手とこんなに喋れるんだ、と思うくらいに喋った。

 

会ったことがないどころか、文字でのコミュニケーションすらライブ直前の数回だけだ。だけど、そんなことを忘れるくらいに私たちはよく笑って次々と「これが話したい」と話し続けていた。
友だちの家族というのもある。だけど、まさか、とお互いびっくりするくらいに好きなものが重なる。しかも、ぴったり一緒ではない。だけど、それが嬉しい。


どういうところが?と聞き合いながら、それぞれの思い出を話して、話すと「ああ、面白いものってたくさんあるんだ」と胸のうちがぽかぽかと嬉しくなる。ああすごい。


しかも、その色んな「好き」や「面白い」が源さんにかなりな確率で繋がり、ああ、本当に、とふたりで笑っていた。

源さんの影響で、ではなくても、好きだと面白いと思ったものが源さんとニアミスする。そんな「好き」がまた違った人とも繋がる。
それは、なんだかあたたかく、嬉しいことだと思った。

 


ひとりで楽しんでいたものが、思いがけず、ひとりではなかったのだ、と思うような感覚。
目の前に広がる大阪城ホールに所狭しと観客がいて、その一人一人が源さんが好きで、ライブを楽しみにしていること。そのことにも嬉しくなるように、ひとり、がだれか、と繋がっていく。

 

 

 

それから。本当に有難くて、嬉しくて覚えておきたいことがある。
一年前に出した「星の数ほどハッピーエンド」というというエッセイを読んでくれた。そのことや数年前にやったお芝居のこと。
そのことを、覚えてくれていた。
文を書くのが好きなんですね、と読んだ文の感想をたくさんもらった。

 

こういう時、嬉しくて「今この瞬間に私の脳みそに録音・録画機能つかないかな?!」と思う。人並みには記憶力があると思ってるけど、嬉しすぎると記憶が分からなくなることがある。あと、嬉しすぎて「現実だっただろうか」と思ってしまう。だから、出来たら、録音録画したい。でも、それをしたらもったいないと思うくらいに特別であるから困るな。なので、こうして、書く。

 

 

有名でも、上手じゃなくても、誰かのもとに届くことがある。誰かが心を揺らしてくれることがある。ほんの片隅、心の中に残ることが出来たりもする。
もし、そうなら、と思ってきた。と同時に最近、私は長いこと、自分が何かを「作る」ということを恥ずかしいと思ってきたことに気付いた。いやなんなら、自分がやってることを「作る」と称するのも驕りだろうと思っていたし、ずっと、ちょっと恥ずかしくて、でもどうしてもやりたくて、それでえいやっとやってきたのだ。
それを、笑われないどころか、いいねと言ってもらえる世界ってあるんだなあとほやほやと嬉しい気持ちで身体をいっぱいにしていたら、音楽が高まって、照明が消える。

 

 

 


始まるのは「星野源の音楽」だ。届くといいなと思いながら、届かないと絶望しながらもそれでも、と作り続けてきた、そんな音楽たち。
また、今回のライブは私的には限りなくお芝居に近い、と感じるし、それだけじゃなく、ラジオや文筆業など、これまで彼が作り上げてきたものを広げてきたものが集まって結晶になった、そんな風に感じる。

 

 

ああそうだ、届くのだ。

届くのだ。
思えば源さんも「届ける」と思ってきた。私はそんな姿に励まされてきた。やりたいことをやってもいいと、やるんだ、と言った、その姿に何回「そうだよな」と思ってきただろう。

 

 

 

この2020年からの約5.6年。酷いことがたくさんあった。ありすぎた。なんで、この人がこんなに傷付かないといけないんだとうんざりしたことも、たくさんあった。
だけど、彼は世界を閉じたりしなかった。音楽で繋がったたくさんの人と生み出したものを見つめながら思う。
何度も何度も傷付いた、その傷の深さを私たちは知らなくて、知らなくても、時々怯んでしまいそうな痛みに見えていた。それでも、そこに立って作り続けた。人と関わって音楽を生み出した、それが今日、ここに広がっていた。

源さんがいった「表現という橋」のことを思った。ひとり海の底、そこにいたらまた違う誰かの海に繋がっていたのだと語っていたインタビューを思い出す。

彼ばかりじゃなかった。私たちリスナーも、そうして潜った海、源さんの表現に出会って、それを楽しんでいたら、こうしてまた他の誰かに出会う。そんなことがある。

 

 

 

それを心の底から嬉しいと思った。
その一緒にものづくりをする源さんの同志たちは、きっと、かけがえない存在なんだと思う。それが伝わってくる。音楽に身体を揺らし、楽しそうに演奏する。その姿に心の底から、よかった、と思う。
閉じなかったから、繋がれたところがある。
そうして生まれた美しいものがある。
それって、奇跡じゃないか。

 

 

何より、それが「源さんが作りたくて作った」ことがわかっている。この5年、源さんの活動を遡って楽しんできた、驚いた笑顔をたくさんその時その時、浮かんできたから「知って」いる。
作りたいこと、楽しいこと、「やりたい」の衝動。
その動力に何度も何度も、心を動かしてきた。

 


「作りたいから作る」


そういえば、始まる前に妹さんとオモコロの話をしていた。その時にARuFaさん、恐山さんのゲストの回のオールナイトニッポンの話になった。私は、あの回が大好きだ。

 

 

なんでやるのか、って話をしていた、あの時。なんで、ふたりはものづくりをするのかと聞いた源さんにふたりが「やりたいからですからね」と話していた、あの時間。
珍しくリアルタイムで聴いていて、震えるくらいに嬉しかった。
ぱつぱつになるくらいに心の中「これをやりたい」と思うこと、そうして生み出されてきたものたち。
そうだよな、そういう結晶が私は好きなんだ、大好きなんだ。

 


ライブ中のあるパート、赤い照明に照らされた源さんの姿に「よみがえる変態」を思い出す。絶望のなか、何度そこに触れても、よみがえる。作り続ける。

 

 


ここから書くことは、怒られるかもしれない。
だけど、正直。正直、もう、こんな源さんが傷付くことになるなら、好きなことだけやれるような、そんな場所があったらいいのに、と思った。開かれたところで何かを作ることでこの人がこんなに傷付くことって、あんまりだ。
私は、源さんの表現に触れたい。触れたいけど、でもそうすることで傷付くのって、どうなんだ。
もうやらないほうが、という残酷なことすら過ったこと。
だけど、そうじゃない。そうじゃないのか、この人は止まらない。
止まらずに、またよみがえって、作り続ける。蘇ったってその体や心に傷は残る。残るから、どうか、なるべく健やかでいてくれ、と願っている。だけど、それでも、例え傷付いても、この人は、やるんだ。作るんだ。

 

 


それに圧倒されるような気持ちと嬉しさと、ほんの少しの怖さで、なんだか泣きそうになった。
同時に、でも、そうして何かを作ってくれている人がいることに、たまらなく幸せで、嬉しいと思った。ああだとしたら、私だって諦めたくない。
生きることも人間もクソだ。だけど、いつか、それも全部、終わるから。終わるなら。意味なんてなくても、むしろ、ないからこそ「やりたい」でいいんだ。

 

 

そう思った。そう思うし、そう思えるまでに源さんが届けてくれていた。
そして源さんが「届いた」と笑ってくれる、そのことが嬉しかった。
届いた、と信じてもらえるってこんなに嬉しいのか。

 

 


星野源の音楽は「受取手」を信じる音楽だった。その上で、伝わっても伝わらなくても、「やりたいからやる」だった。

 

 


じゃあ、やろう。やりたいから、でやっていこう。信じて、どっかで受け取ってくれる誰かのことをやりたい自分を心から信じて。やるんだ。やりたいを殺したりしなくていいんだ。

 

 

 

そんなことを、今回、妹さんと観れたことが嬉しい、と噛み締めながら改めて思う。嬉しい、心の底から嬉しいし、この人と一緒にこの時間を過ごせてよかった。

 

それは、私にとって「届く」や「伝わる」の相手だからだ。それは、自分の文を読んでくれた云々だからだけではなくて、そうじゃなくて、初めて会ったひとと「笑い合える」の実感だった。好きを源に、楽しいを源に、私たちはまったくの他人でも笑い合えるのだ。

 


ふたり、色んなことを話しながらしんどいことってありますよね、と話しながらふと「私は文を書いてなんとか乗り切ってて、でももう無理だ、って思うことがあって、そういうのってどうですか」とまとまらないままぼそぼそ尋ねてしまった。

そしたら、その人は「大丈夫ですよ」と言っていた。ひとはそれぞれ、自分のやり方で、やっていけますよ。

 


そっか、そうなのか。そうかもしれない、と思う。
ここ最近、ずっと落ち込んでいた。人間ってもうどうしようもないんだ。分かり合えないし、関わり合いようがない。だったら一人の方がいい、何に期待して傷付くなんてどうなんだよ。
だけど違ったんだ。違う、でいい。ばらばらでいい。だから時々重なったら嬉しいじゃんか。

 


だって今日、こんなに嬉しいことがあったんだ。分かったような顔をしてそんなに簡単に諦めていいものじゃないだろう。

 

 

そして何より続けていたら、生きていたら。そうやって絶望に負けなければ。
きっとこんな幸せな日を越える。そんな日と出会える。そう今は、信じている。

ああまた、会いたい。源さんにも、妹さんにも。その時、違うくて一緒の、ばらばらだけどつながっているそんな毎日の話を、私はしたいのだ。




以上の内容はhttps://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2025/06/26/235349より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14