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わたしはにせもの

さーーーーーライブだ!
前回時間休とった時は罪悪感に死にそうになっていたけど、ごめん、今日は無理。
なるべきだけど本当に無理。
なんせ、今の私の中では「絶対にいる」なんだよ、と思っているからだ。それは楽しいとか面白いとかじゃなくて、生きていく中で必要だよ、と思ってるからだ。
推し活とかではなくて、まあそうなんだけど、どちらかというと「生きていく」ために頑張るために必要なんだよ。今のところ。

 

 

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「映画を餌に自分語りをするな」

 

 

そんな一言を聴いてたラジオで聞こえてきて「そうなんだよなあ」としょげてしまった。
映画の感想を話す時にあるあるで、例えばエピソードなどに対して「〜っていうことがあって」と自身の語りをしてしまうことは、わりとある。あるが、同時に嫌われることだよなあ、とずっと思っている。

 

 


例えばその作者の作家論や同じジャンルの何かと比較しての比較論など、第三者視点での考察は、私自身読み応えがあるよなあと思う。
すごい。

し、そもそも自分について語りたいという衝動を大体の人は抱えていると思っていて、それをやること自体が悪いとは思わないけど、とはいえ、誰かが心血を注いで作ったものをフックに語るのは確かに品はないよなあとも思うのだ。
自語りするなら誰かの力を借りずにしろよ。

 

 

 

と打ちながらひたすら、今、心が痛い。
「ああその通りだよお」と泣いている。ずっと、そう思ってきた。
自分の何かへの感想、好きだという文はいつだって「自分」がでしゃばってくる。それってどうだとずっと思ってる。
でも、同時に自分は生きていく中でだんだんと「でもこれがしたいんだ」と思うように変わった。
冒頭の話じゃないが、私は自分の生活と「好き」がくっついていて、生きているな、の感覚を好きと感じることで得ている、そんな気がしている。となると、どうしたって「好きだ」「面白い」と自分がセットになるのだ。
それをずっとどうなんだと思っていたのに歳を重ねるうちにそれはそれでもいいじゃないか、と思ってしまった。
いいか悪いか、この時々の気持ちで決めてもいいはずだ。

 

 


でも、やっぱりちょっと考察にも憧れてる。どうやったら出来るようになるんだろう。知識か教養か、経験か。全部な感じ、すごいするなあ〜〜〜〜。




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