白桃風味の烏龍茶が気になってる。烏龍茶の美味しさに最近じわじわ気付いてきて、それでいくと「白桃風味」はたまらなく「合う」のではないか、と思うのだ。どうなんだ。
問題は私が、甘味料で表現された類の桃が嫌いなことだ。500mlで合わない味だった場合は地獄だ。一口だけ試飲で振る舞ってくれないかな。振る舞わないか、普通に。
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あいもかわらず調子は悪いのでぐるぐると考えている。
そんな中でふと数日考えていることがある。
つくさんは、感情的な人間だと自分を言うけどどちらかというと合理主義的な人間じゃない?
ほんの少し飲みに行った相手からそんなことを言われた。なんらかの計算が苦手であり、お世辞にも情緒が安定している人間だとは思えないので、今まで自分を「感情的な人間」と思っていたけど、その人からするとそうではないらしい。
人間関係でも合理的に、と考えがちじゃん、と言われた。
不適切な例えだけど、ちょうどその時は「不倫って全てにおいてパフォーマンスが悪い。大事にする、好きだと表現するのは恋愛以外でもいいはずなのに。そこは性愛が必要だからか。でもそう指摘するとそれはそれで行儀が悪いんだよなあ。なんすかね、これ」とぽやぽや言っていたからだと思う。まあそもそも恋愛的な情が薄い人間だから理解できないのだ、と言われたらすいませんと言うしかないけど。
あと、例えば少し前に言っていた「無視をする」もそうだ。そのタイプの嫌いである、という表現は自分の表現も下げるしやっぱりコスパが悪い。メリットがない。溜飲が下がるかと言えば陰湿過ぎるし。
私も別に出来た人間ではないので、私だったら絶対に言い返せない環境でぐうの音が出ないくらいに正論をまくしたてたくなるし、かと言って、それをやるのも現実的じゃなかったりかかる労力と得られる快感が釣り合わないからやらない。
嫌いな人間にはそっと自分の生活環境からいち早く消えてくれるよう祈るくらいが結局ちょうどいい。
でもそうじゃないらしい人もいて、その人たちへの分からない、に私は延々と考え込んでいるわけだけど。
そういうやりとりの後でその人は「合理主義」と言った。
なるほど。確かに以前姉と住んでいた頃、「つくは突然情緒をなくすことがある」と言われたことがあったっけ。例えば昔は大切だったけど縁が切れた相手からもらったものは躊躇いもなく捨てられる。それが普段情だのなんだのという人間性とのズレで怖い、という。
そういうこと…?いやでも、普通というかみんな大なり小なりそんなもんじゃないのか。無意識にやっていることを私が言語化してるから殊更目立ってるだけじゃないか。
うーん、小理屈感がすごいする。だけど、こういうことを考えれば考えるほど思うのだ。全然、いい奴になれないな、私は。