職場でやーんわり、無視されている。
これって難しい。無視してんなよ!と怒るには無視してない気もするし。いやでも、2.3度あった偶然を偶然と呼ぶほど私はお人よしではないし、いじめられっ子=年齢の人間は自分に向けられた悪意には敏感なんすよーなんて、思う。
ああやだな。ちょっとだけ、去年の夏の終わりを思い出す。お前が気に食わないっていう矢印を倍のサイズにして受け取って、そしたらだんだん「いちゃダメなことはわかりました」と自分を諦めていたあの頃。あの頃に書いてたメモを見るといまだに、自分のことだけど「もういいよ」と言ってやりたくなる。もういいよ。もう諦めていいんだよ。
でも、その手を引いてくれた人もいるし、そうして虎になっていた自分に「虎でもいいけど人間でいる時の君はよりいいよ」と言ってくれた人もいる。そうなんだよなあ、とつらつら、考えていた。
つらつら考えていたら友だちが「ムカつくからケンタッキー食べようぜ!」と言ってくれたので、もりもりとケンタッキーとミスドを食べた。すごいな、ハイカロリーだ。
そうしながら、寂しいと思う暇がないな、と思う。
そういや仕事でも「でもこれくらいで傷付いちゃダメなんですよねえ」と久しぶりにぐぅっとお腹に力を入れていたら「痩せ我慢のしすぎは身体に悪いしたかが仕事だよ」と言われた。
きょねん。去年、私は自分は成果を出さないと価値がないと思ったのだ。
プライベートでもそう。なるべく良い奴でいて、面白い奴でいて、関わるに値する自分でいないと。でも本当はそうじゃないから,だから頑張らないと。
今はその「がんばらないと」はもうほぼほぼない。たまには顔を覗かせるけど、でもそれやると悲しむんですよねえ、みんなねえ、と、思う。本当に寂しいと思う暇がない。
嫌な奴なこともある。成果が上がらないこともあるし「最低だぞ」と呆れられることだってあるかも。そうしながら「それでも」と思ってくれる人がいるのだ、と思うほうが明るい方に歩いて行けたりするのだ。期待やルールよりも「この人たちが自分のことを好きなんだよなあ」の確認の方が結構、有効だったりする。
そして大事なことのためにも自分を削る暇はない、と確認したので、あとはお風呂を沸かして自分を労って。それから、明日の生活の準備をする。ああ、生きてる。生きてるな、今日も。