ず~~~~っと待ち望んでいたお知らせが来たので「この舞台を観てほしい」という話をします。
観劇をしたその日から、自分自身がもっかい観たいからという気持ちと、それから、もっともっとたくさんの人に観てほしいという気持ちがずっとずっとあって、なので、この知らせに飛び上がってはしゃぐくらいに嬉しい。
本題に早く入れという感じだけど、「この舞台を観てほしい」という感情は私の中ではSSSレアだ。人に何かを勧めるというのが苦手だというのもある。
自分の好きなものを観てもらった時に思ったような届き方をしなかった時のことに怯えているのもある。これは、「怯え」だし、情けないことだなぁと思っている。
勘違いをしないでほしいのは、自分の好きな面白さや素敵さを信じていないわけじゃないのだ。ただただ、自分の容量が小さくて、好きなものを「勧める」という形で共有するのが苦手なだけだ。
ただ私は好きなものに触れると事あるごとにその話をするので結果的に「勧めている」ように見えているような気もする。
ともあれ、そんな私が、そんな自分の怯えを押し黙らせてでも勧めたいのがこの「最終兵器ピノキオ~蜃気楼の向こう側~」という舞台だ。
【配信決定!】
— エクスクエスト(X-QUEST) (@babaquest) 2025年5月23日
X-QUEST
『最終兵器ピノキオ〜蜃気楼の向こう側〜』
定点映像アーカイブ配信
5/27(火)21時~
3000円https://t.co/BOHYJxW5Vc
★視聴期限は2週間。6/10(火)まで、何度でもご視聴いただけます★#最終ピノ
シンプルに感想はこっちで書いているのでここではネタバレなしにひたすら「観てほしい」の話をする。
①X-QUESTとは?
まずそもそもこのX-QUESTという劇団ってどんな劇団なの?という話である。
高速ダンス・魅せる殺陣 関東で活躍するエンターテインメント劇団
と公式サイトには記載されている。実際この「最終兵器ピノキオ」をはじめ、多くの彼ら舞台では、ダンスと「便利棒」と呼ばれる小道具を使った殺陣が見ごたえの一つとして挙げられる。
今回は一般的な舞台のスタイルだけど、「リング舞台」と呼ばれる四面を客席が取り囲むスタイルの舞台も得意で、ともかく身体能力が凄まじい。
また、そうした情報とメインビジュアルの印象などからビジュアル系に思われたりすることも私は度々あるんだけど、それはまたちょっと違う。ファンタジーを題材とした物語も多くあるけれどがっつりザ・ファンタジー!というよりかは現実の苦みが前提にあったりする。
何よりそういった「ビジュアル」や「身体能力」も間違いなくこの劇団の強みだと思うけれど、私は、このクエストさんが大好きな理由はそこにない。圧倒的にそこにある物語や台詞の強さが、この劇団の魅力だと思うのだ。
一見、シュールに見えるような設定、台詞、脈絡もないように進むシーンたち。だけど、引き込まれているうちに、ある瞬間、台詞に打たれたように感じるシーンがやってくる。
どこか感覚的な台詞たちにも思えるけど、韻が散りばめられていて感覚に気持ちいい工夫がされていたり、そもそもその台詞を発する役者さんの演技力や台詞を届ける力が真っ直ぐで、音楽を聴いたような心地にもなるのだ。
…私はいつも、クエストさんの魅力を語る時、自分の語彙力・表現力、何より知識のなさにへこむ。感覚で感じる、気が付けば心の奥に深く刺さる。そういう世界観・お芝居だから、と言い聞かせもするけど、そういう、広い・深い、だけど単純に面白くある、彼らのお芝居を語りきる力がまだ私にはない。
だけど、あえて一言に無理やりまとめるなら「演劇ってこんなに面白いんだ」と思わせてくれる、演劇だからこその表現に出逢わせてくれる。それが、この劇団の最大の魅力なんだと思う。
②最終兵器ピノキオの魅力
どうするんだ、もうすでに1500字を越え始めた。これ、全部読んでもらえるくらいの文量でまとめられるのか?
今はもう廃れた工場跡地。ピノキオと再会したシンキロウは道化師に導かれるまま時間旅行の旅に出かける。
ノスタルジックな冒険の先で二人が辿り着いた驚愕の真実とはー
蜃気楼の向こう側には、あの罪とその罰が待っている…。
X-QUESTが贈る切なく激しいファンタジー
(公式公演パンフレットより)
さて、じゃあなんでこの物語を特に勧めたいか、といえば、この物語がクエスト作品の中でも特に分かりやすく、また何よりこの物語が私の中で「大切」な要素がたくさんあるからだ。
また、クエスト作品、①に書いたように演劇の魅力や面白さをフルで感じられる!と思う一方で抽象度が高かったり、シーンの文脈を感じるのが難しかったりするものだと演劇を見慣れていなかったり抽象舞台が得意じゃない人にはちょっと取っつきにくいにくさを感じるのもまた事実だな、と思う(だけどそれもまた最高なんだけど!)
その中でこの「最終兵器ピノキオ」は、冒険譚でもあるのでストーリーラインも見やすい。また軸にあるのも友情と親子の物語だったりするので、比較的共感しやすい要素の物語だと思うのだ。
【1】「親子」の物語としての「最終兵器ピノキオ」
この物語に出てくる「ピノキオ」は、シンキロウの父親・ジュンキロウが息子・シンキロウに贈った人形である。
物語は、そのシンキロウが人生に絶望した時にこの友人ピノキオと再会、なぜか物言わぬ人形のはずのピノキオが喋り・動き出して、冒険の旅に出かける、というところから始まる。
このジュンキロウがともかくダメな親父で、事実、奥さんには出ていかれてしまっている。飲んだくれてダメダメな父親が、なんとか幼いシンキロウのためにと一念発起し働いて、そうして買い与えたピノキオ。
シンキロウは、人生に失望してしまっているけど、一つにはそんな父親のダメさにもうんざりしている。だけど、父親は父親なりに必死に「父親」たろうとしていたり、でもダメだったり…。
この父親から息子への、また息子から父親への感情については、観終わってからもしばらく考え込んでしまう。親子の物語は普遍的といえばそうなのだけど。
この親子のシーンはそう多くない。そう多くないのだけど、例えば、ダンスで表された父親の気持ちはきっと心の柔らかなところに残る。そう思う。
②ピノキオとシンキロウの友情物語
何よりメインのこの二人の友情物語が魅力的過ぎる。
誰しも一度は「このおもちゃである大親友が口を聞けたらな」と思ったことはあるだろう。え、ない?あるでしょ、絶対。
私にも、「かんちゃん」というカンガルーのぬいぐるみの親友がいた。
無機物で、自分勝手に声をあて、一緒に遊んでいただけだけど、独りよがりの「あそび」だったと片付けるには本当にそこに心があったような、そんな気がする。
そのことを改めて思い出した。そういう演劇がこの「最終兵器ピノキオ」である。
しかも、ピノキオは人生に絶望したシンキロウの目の前に現れる。
そんなふうにもしあの時一緒に遊んでいたかんちゃんが目の前に現れたら、自分はどうするかな。きっと、泣いてしまうし、たまらなく嬉しいだろうな。自分のことを大切にあの頃の友だちが、思っていたら嬉しいし、でもふと、それくらいあの友だちのことを、自分は大切にできただろうか。
「ずっとこうしていたかった」
そう二人が笑い、旅をする。色んなところで「ずっと一緒にいる」ための旅をして笑い合う。その姿を観れる。それだけで、色んな人に観てほしい、と思ってしまうのだ。
ちなみにこの「ピノキオ」を演じる高田淳さんがもう10年来の大好きな役者さんである。台詞運びが美しくて、何より物語を体現する、その姿が好きなのだ、と私はこのお芝居を観て、何度も何度も噛み締めた。
この「最終兵器ピノキオ」は初演・再演を経ての再再演。もともとピノキオはまた別の役者さんが演じていた。そのピノキオが大好きだったらこそ、どんな気持ちになるだろう、と思ったけど「でも淳さんだからまた大好きに絶対になるな」と観る前から確信があった。し、実際それは開始5分もしないうちに「大好きだ」と「嬉しい」の実感になった。
こんな素敵なひとのお芝居を自分が10年観ることが出来ている幸せを、私はこの舞台で改めて実感した。ありがとうございますすぎるよ。
③想像力を信じる力
物語は、ピノキオがシンキロウとずっと一緒にいるために「人間になろうとする」ことで進んでいく。
人間って、なんだろう。何があれば、人間だというのだろう。
何より人間になるって、幸せなことなのか。
そんなことをこの「最終兵器ピノキオ」は問い掛ける。
また、物語を楽しむ心・想像力について「それがあることは幸せなのか?」とも。
おもちゃが喋り、一緒に冒険をする。そのことは、想像力があるからこそ成立しうる。
何より、クエストさんのお芝居ではこの「想像力」をフルに使う。目の前で生身の人間が、ワイヤーも使わず「空を飛ぶ」
私は、この想像力が好きだ。時々、それによって大きく傷付くことは、あるけど。
それでも。
この物語が「本当に?」と問い掛ける。だけど、同時に「信じられる」と思う。
私のブログをわざわざここまで読んでくれるひとにはこの「想像力」を、信じているひとが多い。そんな気がする。だから余計に、勧めたいんだ、この舞台を。
私は、この舞台が好きだ。ただただ想像力を「いいもの」ともしない。だけど、そのうえで、その力を心底信じる、この舞台が、映像でも良いから、一人でも多くの人に届いたらいいな。そう願って、この文章を書き終えたいと思う。
観てね!!!!!!!!!!!!!!!