今日は、楽しかった。楽しかったからだな、右目がずっと、痙攣していた。
こえ。
なんか、ふとした瞬間にぴくぴくと目が震える。これって、外から見えてるの?見えてるとしたらすげーやだ。
なんせ、今日は、楽しかったのだ。
たぶん、楽しかったから疲労とストレスがピークだと気付いたんだろう。
📝宣伝📝
6月1日東京ビッグサイトで開催のCOMITIA152!むせお(@takikomisan )と合同サークルで出ます!
東2け11a「えす、えぬ、てぃ」
既刊のエッセイも持っていきますが、メインは新刊の小説の予定!小説!出ます!ほぼ書き上がりました!
118ページの「とりあえず一杯のんで」という小説です。これが書きたかったんだ、と思える本にはなりそうで、安心してます。
📝宣伝終わり📝
10年以上前の約束だと言われてそんなにか、と驚いた。ついでに言えば、実はかき氷のことを自分がそんなに好きじゃなかったこと、だというのに、この相手と私は数年毎年「夏にかき氷を食べる」を楽しみにしていた期間があったのか、ということを何故か唐突に思い出し、不思議すぎるというおかしさと思えば遠くにきたもんだ、という感慨がやってきた。
伊勢神宮へ、お参りにいった。人生初だ。
お参りはもちろん、あと、赤福が入ったかき氷が食べたかったのだ。
日頃の行いがいいのか、大雨予報の割に道中は順調で、お参りの時は傘をささなくても良いくらいの雨だった。
なんだかしっかり非日常の神宮を進みながら、この景色を見た気がする、と思った。もし前世というものがあるなら、ここに来たことがある江戸時代の人間だったかも、なんて悪ふざける。
単に、江戸時代、いやそのもっと前から「一生に一度は伊勢神宮に詣りたい」として、そこから詣った人たちの絵を見たことがあるから「ああ、ここ知ってる」と思ったんだろう。そんな体験のない景色のはずなのにデジャヴを起こせるのは本当にすごい。池袋のスクランブル交差点なんかもこれに近い感慨を覚えることはある。
ともあれおみくじもなく(ここに来ることができただけで大吉、というのもあるらしい、この考え方は物凄く好きだ)何かを祈るのではなく「今日まで生きた」ことを感謝する場所だとする考え方もあると知って、それは、なんか、良いなあと思った。神頼みをする場所じゃなくて「今日まで生きた」を感謝する。感謝して、頼むのでも祈るのでもなく「明日からもよろしくお願いします」という気持ちでお詣りなどした。
今日まで生きたおかげで、私は、随分前の約束の赤福かき氷を食べれたのだ。
そしてそうしながら、かき氷そのものではなくてそういう「非日常の食べ物」かつ、「その時しか食べれないもの」をこの相手と食べるのが好きなのだな、としみじみと思った。生きててよかった。
道中ああだここだと話をしていた。おおよそまとまりもなく、答えもパンチラインも求めてない。覚えてるけど、覚えてない。
それは、意味だとか価値だとかを求められる毎日の感覚とは大きく違って、そうしていると気張ったまぶたも多少、緩んでぴくぴく、動いたんだと思う。だけど、本当に楽しかったんだ。
本当は、ずっとこういうところにいたい。先週の源さんのライブだってそう。その前のお芝居を友だちと観たのだってそう。この人たちとちゃんと向き合って大事にしたい。頭も労力も、全部全部この人たちとの時間を豊かにするために使いたい。
だけど、たぶん、そういうわけにはいかない。そうじゃない、が大多数で、その時間や空間で過ごすことを「大事なひとたちを大事にするために引き出しを増やすんだ」と言い聞かせて見たりした。
でも、本当に、やなんだ。そんなの知ったこっちゃないよ、大事な人たちと一緒にいる時にかなしい話や腹立たしい話をさせないでくれ、もっともっと良いやつでいさせてくれ。そんな無茶なかつ自分勝手なことを本気で思ってしまって、かなしい。
楽しかったことをちゃんと思い出すから、右目、落ち着いてくれよ。
過ごした時間にはせめて「しあわせ」のラベルを貼りたいんだ。