良い日になるんだな、と思った。
今日もどうしようもない気分でなんならちゃんと泣きそうになり、これはまずいと思った。昼間、ああもう無理かもしれない、という気持ちをそれでも前に前に、と進めた。進めるのか、私は、もう。
📝宣伝📝
6月1日東京ビッグサイトで開催のCOMITIA152!むせお(@takikomisan )と合同サークルで出ます!
東2け11a「えす、えぬ、てぃ」
既刊のエッセイも持っていきますが、メインは新刊の小説の予定!小説!出ます!ほぼ書き上がりました!
118ページの「とりあえず一杯のんで」という小説です。これが書きたかったんだ、と思える本にはなりそうで、安心してます。
📝宣伝終わり📝
昨日、同僚と話しながら「もう無理だって言えるようになったのって劣化なんですか、成長なんですか」と言ったら「成長にしときなよ」と返された。
そうかな、そうだと良いな、と思いつつ「いやでもさ」がついて回る、自分の狭量さに嫌になる。
良いやつでいたいなんて嘯くのは、そうじゃない自覚があるからに他ならないし。
そうして、上司と喋りながら「こういう理由で不安なんじゃないの」と言われた。それから、「心配しなくていいよ、それは杞憂だよ」とも。
存在意義をそんなに見失わなくていい、と言われて、そうだなあ、と思った、その通りで、私は自分の存在意義がわからない。
まぐれ的に(客観的に観てそんなしょっちゅうまぐれが起きてたまるかよ、とも思うけど)仕事はそこそこ出来るみたいな顔をしてはいるし、でも文を書くのだって頑張ってるつもりじゃいるけど、にしたって、素人のサブイボブログってやつだと思う。
その他諸々、自分を下げる言葉ならいくらだって出てきてしまうのだ。
それでも、誰かに「これが存在意義だよ」なんて言ってもらうことこそ申し訳なくて、じゃあ、と気合いを入れて頑張ってるつもりだけど、それでもたまに「あーあ疲れちったよ」になってしまう。
そんなことを繰り返しているんじゃないかと言われて「ああもう、そうです、その通りです」と思った。結局、他人に苛立ってるのだって、自分への不満・不安のせいだ。
そんなことに追い立てられて、悪意に飲まれる必要はない、と言われて「それもそうかあ」と思った。何より、先週末の、大切な好きなものがまだ心の中にある。
さらには、明日は、星野源のライブがある。友だちにも、たくさん会う。だから、絶望しなくて良い。
いや、違う。
絶望なんて「してて当たり前」で良いのだ。絶望をしていることをそんなに重たく背負わなくても、自分を責めなくても良い。
帰って、好きな役者さんのツイキャスを聴いた。好きなお芝居の広がる世界にふれた。
大好きな雪見だいふくを食べた。明日、またどれだけ絶望しても、明日、「ああ、幸せだな」って笑って終える自信がある。だから、大丈夫。