スマートウォッチをなくした。
塩と砂糖を間違えたし洗剤を入れずに洗濯をした。小麦粉もうまくは実は管理できてないし、あとなんだ、二日酔いで死んでたし、原稿も目標のとこまではあと一歩って感じだ。ああそうだ、コークオンのドリンクチケットも無駄にしたっけ。
自分って、結構ダメな人間である。
ここって難しくて「社会的に無意味な人間である」とするには、胆力がいる。
なぜなら、これは残念ながら含めて「無意味な人間」は生きにくい世の中で無意味なままでやっていくって難しいからだ。
だからこそ、頑張ってどうやったら「意味がある」「居てもいい」としてもらえるかの創意工夫を私はずーーーっとやっている。やんなるよな。
でも、私は全然にダメな人間である。社会性もなく、最低限を出来ずに迷惑をかけてきた。ていうか、スマートウォッチを失くさないでくれ、いい大人なんだから。
そういう本来「いい大人」がやらないミスをしながらも「生きていていい」と自分に許可を出す必要がある。なんてことだよ。
例えば。
ここで「あーやだ、価値がないです、死んでくれ」と自分を責めて良いなら楽だった。そういう自己嫌悪の文なら正直いくらでも書ける。
しかし、私は、明日もきちんと身支度を整えた出勤しなくちゃいけない。
今日の私はそこそこ酔ってはいるが、それもこれも、地元の友だちと飲んだからである。バカな話をして、罵ったり庇ったりしながら楽しく酒を飲んだ。酔う、とは友だちと飲むことを言うのだとこの連休中、何度も思った。それはそれで、どうかとは思うけど。
アルコールがない中で仲良くなった人たちとアルコールで悪ふざけをするのは、どうなのだろう。
もしかしたら、しゃんとするべきなのかもしれない。だけど、だ。しゃんとしたくない。ろくでもない。スマートウォッチを失くしたどうしようもない人間のまま、へらへらしていたい。
そんなことが、こんな時にあると実感する。
でもさ、なんとかやっていけるのだ。
地元の友だちと飲んだ。この人たちと仲良くやっていきたいと思う。し、この人たちが健やかに生きて欲しいと思う。そういう、ギリギリがある。
自分が、越えようかと思う線の手前に自分の好きな人たちがいるのだ、と思って、そうだよな、と考える。それって必要なことなのだ。
最低限の当たり前ができることよりも。
6月1日東京ビッグサイトで開催のCOMITIA152!むせお(@takikomisan )と合同サークルで出ます!既刊のエッセイも持っていきますが、メインは新刊の小説の予定!小説!出るのか?!音楽と文字の合同サークルになりそうですがよろしくお願いします!初東京イベントだ〜!🗼