今日も一日、無事に終えたな。
なんというか、ここ最近はずっとふわふわしてるようなかと思えばやっと地に足をつけようとしてるような、そんな不思議な感覚がずっとある。不思議だな。
仕事でもなんとか節目の一週間を乗り切ったので「お疲れ」の気持ちでいっぱいだし、まあとはいえ、終わりではないんですが。ないんですか?
土日思う存分過ごして、仕事も思う存分やって。仕事はほどほど、みたいなのも無理で、もっと手を抜くも嫌だし、かと言ってそこに全振りして土日を休息に充てるのも無理。
結局、昨日の続きみたいになるけど、やりたいことが多過ぎるってことなんだろうなあと思う。
それでもどうにか、自分のことだけにいっぱいにならないようにしたいけど、でもこの辺もちょっと練習がいるんだろうなあ。
季節がゆっくりと動いているので、今日はちょっと蒸し暑かった。コートがいらないのはもちろんのこと、眩しくて日差しが暑い。まさか、もう日傘がいるなんて季節じゃないだろうな、と戦々恐々としている。いやたぶん、本気で日焼け対策をする人はとうの昔に日傘さしてそうだな、これ。
この間まで寒い寒いと言っていたのに、と思う。変なの、あんなに寒かったのに。
確実に四季が変わってきていて、子どもの頃からはすっかり様変わりした気がする。それはある程度仕方ないと思うし、でも「仕方ない」じゃダメなんだよな、とも思う。この辺考える時の怖さ、戦争の足音を想像する怖さに似てる。
何かをしないと、あるいは出来る立場にあるような、でも知らんぷりも出来てしまうような居心地の悪さ。あと、正解がない感じの難しさもある。
ともあれ、四季が変わっていく。
私が子どもの頃感じていた春夏秋冬は今はないとして、例えば夏はこんなふうに命の危機を感じるものじゃなかったし、春はもう少し穏やかで親しみやすかったかも、とか、考える。
でもとなるとそれらを表現するための言葉たちもちょっとずつズレていくんだろうか。旧暦、みたいな感じで。
覚えにくいなあ、紛らわしいなあと旧暦にぼやいたこともあったけど、それより何より、そうしてズラすことになったのは人類の自業自得なのは少し寂しいな。
どうするよ、数十年後に「なんであの時代のひとたち、春があったかいとか言ってるんですか?暑いよ」とか言われたら。なんなら、それが数年後だったらより悲しくなりそうだな。
などなど考えながら通勤路を歩いて自分が思ってる以上に四季が好きらしいと思った。
生きてる間は四季を四季のまま楽しみたいなあ。