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おまいう

友だちと遊び惚けて、飲み惚けてしまった。
大学の友達と回転寿司なんかを食べたりした。まず、これがたまらなく嬉しいということを、言いたい。
人によっては当たり前のことかもしれない。
でも、私は嬉しい。共通の趣味でもなく、節目でもなく、ただご飯を食べられるのは嬉しい。
なんでもない話をした。バカな話をしてふざけてそういうことってあるんだなあと思った。覚えてられたらいいとびっくらポンのキーホルダーをもらってしまった。ものに縋って記憶を残すのは幼い自覚はあるけれど、覚えていたいと思うことは間違ってないはずだ。

 


なんか最近、こんなのばっかだ。
嬉しいことを覚えていたくて形にしたくて「嬉しい!」と言いすぎて間違えたりもする。

 

 

 

脳みその中身が言葉重視か映像重視か、みたいな話でもあって、私は延々と喋りが渦巻いていて、「よくそんな口回るね」というよりかは、常に頭の中でこねていた言葉を出しているだけに過ぎなくて、と思うたびにこんなことを常に考えてるなんてどうなん、と思うし、準備してこれかよ、みたいなことがある。
というのを、回転寿司から誘われ、友だちと飲んで思う。
「あーこれが正しいんですね」と興醒めのように過ごしているくせにこうして友だちと過ごす1日があると「だってこうでしょう」と言いながら、正解が1つもわからなくてびっくりする。

 

 

全然分からない、仲良くしたいの方法が何一つ浮かばない。大切にしたいし、大好きだけど、かと言ってじゃあ「こうすればうまくいく」の対外モードで接したくなくて、そんなわがままを貫き通せば「おいおいおいおい」がやってくる。
さすがに、折衷案はなかったのか。
確かに対外モードでは失礼ではあるけど、じゃあだからと言って容赦なく好き勝手は猫以外は許されないムーヴメントである。猫は許される。許されろ。

 

 

なんならそもそも「こうすればうまくいく」は私の目から見えた世界の話だ。
ここ最近、このことを私は考えてはちょっと寂しくなる。世界、全然重ならねーじゃん。
例えば、「なんでそんなことも分からないんだ!」と怒鳴る人がいて、私から観たらそれは説明が足りないのだ。してはいるけど過不足はあって、その誤解は然るべきではあるから、誤解をしかたないねと飲み込むか、もしくはどうして?と聞くなり説明するなりした方が早い。
どっちにしろ、誤解は生まれて「分からない」にはなってるからそこで怒ってしまったとて「分からない」は変わらない。
その人から見て分かるが正常な道だったとしてももうそのルートは完全封鎖されてるのだ。

 

 


なんて理屈をこねるけど、その人の見てる世界は当たり前に正解の、分かるルートしかなくて、だからきっと怒りを覚えてるしパニックになってるのだ。えーむつかし。じゃあどうしますか。
なんか、この土日ずっとそんなことを考えてたかも。でもこれを考え続けて引きこもってた時期があり(精神的に)それは違うんだよ、と言われたから少なくともそれはそうだよな、と思ってる。間違えてでも一回しゃべりなよ、と私は気軽に言ってしまうことがある。それこそ、おまえが言うなよって話なんだよな。




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