春だなあ、という感情はもしかしたら何度も思っても良いのかも。どんな季節よりも春が「ああ春だ」と思う。
クリーニングに出してたコートとマフラーを引き取って歩きながら、ああ、春だなと思って無性に嬉しかった。
今日は忙しいぞ。週末の家事をぎゅっと午前をこなす必要があるしその午前中に排水溝の掃除の業者さんは来るし歯医者にも行くし買い物も色々やりたいし、昼間は花見で夜は友だちと遊ぶのだ。私が何人いる前提なんだ。
一時期、予定を3.4つ詰め込みたがる私に友だちがしみじみと「それやりすぎると倒れるからね」と説いたことがあった。あとひとつひとつを楽しめた方がいいでしょう、疲れちゃうでしょ、と言っていた。確かに。
そう思って、じゃあと2つまでにと留めるようになっていたんだけどここ最近はジムで運動しているおかげか「いけるぞ」と思ってしまった。
やりたいことをやるぞ、時間が足りない?じゃあ詰め込んだら良いじゃないか。
そんなことを思ってたら本当にきっちりタイムアタックをすることになってしまった。
その中で「ああ春だな」と静かな感覚になる時間が嬉しくて頭の中で春だ春だと繰り返した。
そっからは「そんなに飲まないからね」という表現がなんだったのかってくらいちゃんと飲んでだらだらと話し、
そっから更にソラちゃんと喋った。なんなら「ドラマの続きを観よう」と約束していたのに、延々と話してしまった。話したっていうか、聴いてもらったというか、でもなんか、嬉しかったな。
最近、「人と関わる」を軸において過ごしていたけれど、そうすればするほど、適切な距離ってなんだろう、と考えてしまう。
どうも私はそれが下手なんじゃないか。相手の顔色を見ずに結構話したいことを喋ってしまうことが多い気がする。
でも、それを一緒に腰を据えて考えてくれるひとがたくさんいて、だからはしゃいで話してしまうんだよな。
「人の惨めな話は面白い」
だが、情熱はあるの中で、若林さんが藤井青銅さんに言われる言葉だ。ラジオで自分が惨めだった話を熱を込めて話せる。それは、すごいことだし、それを人は面白いって思うのだ。
最近、このことをよく思い出す。そうかもしれない。
惨めな話、というか、お腹の中がちゃんと見えるような温度と体温、体重がしっかりのってるような話。
そういう話が、私は好きだし、そういう話を出来るような人でいたい、と思う。
だし、なんというか、人と関わるって傷付くし傷付けられる。ソラちゃんと話している時、ふと思った。
つい最近もお互いが「何に傷付いてたか」みたいなことをこんこんと話して、なんならラジオごっこをしたりもしたけれど、それなんだよな。
そういう時って不意打ちでざっくりと刺してしまったりすることがある。自分の言葉の不用意さに愕然とする。
そういうのが嫌なら、当たり障りのない話をなんとなくしてた方がいい。良いんだろうなってことは知っている。知っているんだけど、でも私はそういう話が好きなんだよなあ。
せっかく人が関わって熱量が生まれるなら、ちょっと摩擦があったとしても、その人としか出来ない、今しかない話がしたい。
でもそれってちゃんと迷惑でもあるはずだからそれを「楽しいね」って言ってくれることをちゃんと嬉しいと思って噛み締めたい。
軽やかにだって話せるようになる努力はしたいけど、でもこれだって大事なことなのだ。