リズムゲームだと思ってたあの頃、あれって結構、しんどかったんじゃないか。
そんなことをふと思った。人と関わるぞ、の時期を経てちょっと疲れちゃったかも、からの今。
とはいえ、結局人と話すのが好きなんだろうなあとぼんやりしている。
というか、それ以外を知らないのだ。喋りを武器にするしかないよ、といつか転職活動中に言われ、それもそうか、としたのもそうだし、
「好き」と「嫌い」で人付き合いを分けられないのもそうだ。
春だからか、仕事の人たちは友だちではない、という言説が巷には溢れている。それは全くそうだ。友だち、と聞いて浮かぶ人たちと職場の人たちは天と地の違いがある。
と言いながら、私は元ジョウシのことは大好きだし、友だちだと思ってる。
おそらく、よほどピンチにならない限りは世話になることはない前の職場の人たちとも度々飲みに行く。辞めて数年は出戻る可能性もあるからと嘯いたけど、さすがにもうそれは通用しないだろう。たぶん、私は自分の意思でそこに行ってる。
もっともそれもある日急に「もういいや」になるのかもしれない。でも、とりあえずは今、いってる。
し、度々は今の職場の人たちとも接待でも奢りでもないのに飲みに行ってそこそこの体重をかけて喋る。
なにやってるんだろうな、とは思う。
好きか、と言われると微妙なこともある。傷付く人だって時には混ざってる。でも、飲みに行く。
もちろんその「傷つく」のスタンプカードが貯まれば、普通にお別れもするんだけど。
今日、職浜の後輩たちと花見をやった。重い思いのお酒を買い込んで、おつまみなんて準備してそれからふわふわと楽しくお酒を飲んで大いにバカ話をした。
困ったな、楽しいんだよな。
とはいえ、年下も多いから「気を使わせて終わらせなかっただろうか」「楽しかったらいいな」とは思ってるけど。
去年一時期、職場で喋れば喋るほど、リズムゲーみたいだな、とうんざりしていた。
タイミングよく、音符マークを押してるだけ、相槌でもない、言われた音符を押してるだけ。それって、虚しい。
虚しかったんだろうな、と今思う。
リズムゲーだ、と思うのは相手のことも自分のことも馬鹿にした、その場しのぎだ。アホらしいし虚しい。
見下してる時に楽しい会話なんて生まれるはずはないし、きっとその空気はうっすら、伝わってただろうな。
今、そういうのはなくて、そういうのがある相手とは極力喋らずどうしても喋らなくてはいけない時は脳内に好きなラジオを流して直視しないように、ただ、大好きな人たちをリズムゲームにしないように注意しながら過ごしている。
大好きじゃなくても、佳き人たちを、リズムゲームには、しないように。
なんだよ、とは思う。もっと想像してよ、とは過ぎる。でも大好きな人だけの世界はきっとつまらないと、そう思う。だから、この人たちのことを「リズムゲーム」にしてはいけないのだ。絶対に。
そう思ってるから、今日、たくさん笑えていて本当によかった。