「必要」ではない買い物だったかもしれない。
生活に使うものではないし、元々欲しかったものでもない。たまたま出会って「良いなあ」と思い、でも即決できたわけでも買うために自主的に戻ったわけでもないのに。使うものでもなく飾りだし、残念ながら私の家は私なりのこだわりはあるものの、何かを素敵に飾るタイプの家ではない。

この子である。名前はカペだ。自分でつけた。愛嬌のある顔をしている。
昨日の日記でも書いたとおり、大学時代の友だちたちと旅行に行った。本当にいけるのか?と数週間実はそこそこにビビっていて、楽しみだけど、でも本当に楽しめるのか、行っていいのか、本当に行きたいのか、とぐるぐる考えていた。
それは昨日の日記で書いたみたいな自意識と人見知りもある。大学時代の友だちとは言え数ヶ月、人によっては数年単位で「久しぶり」の相手もいるし、なんなら、その友だちの友だちも来る。会ったことはあるし漫画や映画の話も趣味が合う、良い人なので、すごく好きだな、とは思う。けど、旅行だ。数時間遊ぶでもないし、いつもみたいに「しんどいかもしれない」と思ったタイミングで「ちょっと帰るね」だって言えないのだ。
なんてことをぐるぐると考え、でも昨日の日記に書いたような理由で決心したのだ、と楽しみと心配が入り混じった友だちと話しながら、友だちに言われた。大学時代の友だちなのに、じゃなくて大学時代の友だちだから、かもね。なんとなくそれで思う。ああそうかも。
自分でどっか許せないと思ってるから、それでちょっと困っちゃってるのか。きっと君以外誰もそんなこと思ってないのに。そう言われながらそうかなあ、と考え込んでいた。そうかなあ、そうだったらいいな、いいな、と思うのも、なんか、ちょっとどうなのかな。
私は、大学時代を楽しかったと思う。色んなことはあったけど、でも、良い大学時代だった。好きな人たちがたくさんいる。
でも、やっぱり否定出来ないくらいには大学時代の自分がやなやつだったな、とも思うのだ。やなやつだった、たぶん。今以上に。
わがままだったと思うし感情のコントロールが今以上に出来ていなかった。若さと言ってしまえばそれはそうかもしれないけど、かと言って、だから傷付けて良いわけがない。
卒業後も真っ当に関係を続けていればもしかしたら「そんなこともあったね」と笑い合える自信もあるかもしれないが(実際そういう友だちもいる)自分の都合で繋がりが薄い友だちたちもいる。
そんな中で、「一緒に遊ぼう」と言ってもらえることをものすごく嬉しいと思うと同時に、でも、当たり前ではないし、だったらこう、大切にしたい気持ちもある一方で不安もあるんだよな。なくしたくないから。でも、だからと言ってほんの少しの距離をとってる自分はちゃんと、ずるいし「そういうところだよ」と思う。
コロナ前は、もう少し普通に関われていたけど、あれから数年。色んなことがあって、それも関係してなんとなく。ちょっとだけ「どうして良いか分からない」があった。
旅行中ずっと楽しかった。たくさん笑ったし食べたし、ボードゲームもたくさんした。しすぎて徹夜して、朝もぐっすり寝て、ギリギリまで遊びながらも拍子抜けするくらいあっさりとみんなで帰った。「また遊ぼうね」「次はあのゲームがやりたいね」「これやりたいんだよねと帰り道賑やかに話しながら「またね」と言った。
その間、「どう思われるだろう」なんてことは一瞬も考えなかった。
カペを買った。玄関とかに飾ろうかな、なんならそのための飾り棚を買っても良いかもしれない。家具を買うのが苦手なのに、一丁前にそんなことを考えている。
愛嬌のある顔のこの子が、これから帰ったらいると思うと嬉しい。このバスタブに何か入れたって良い。
たぶん、見るたびにこの2日間を思い出すのだ。うんうんと悩む私に賑やかに買いなよと言ってくれた友だちのことも。それは、なんだか、とても嬉しいことのような気がした。