細い木が立ってる。霞みたいな桜だと思った。満開ではない、詰まってはないけど、でも、そこそこ咲いて霞みたいだ。
また冷えた。寒すぎる。寒くなりますよ、という予告があってもギリギリ許せないくらいの寒さだ。コートをどうしようかと思いながら誕生日クーポンが使いたくて、冬用のコートをえいやっとクリーニングに出したので痩せ我慢で春用のコートを着るしかない。なんならマフラーもない。だって半額なんだもん。
でも、まあ、いける、と思う。陽も差しているしいけるよ、だいたい。耐えたら。しっかり歩けば。
そうやって歩きながら、桜が咲いているなあと思う。桜を見る、花見をする予定がチラホラと入り出したりそもそも、桜が咲いてそわそわする気持ちが「春だ」と思う。多少、寒かろうがなんだろうが、関係ないのだ。春だ、春なんだよ。
ただ、見かけた木は細い木だった。
最近新しく移築、移築か?違うな…移植か。されたばかりの木たちだ。そりゃ、長細い。まさか、移植するのにがっつりとその土地に根を張った木は無理だもんな。
その場合、その木は、「細い若い木」を選ぶのか。それともそもそもそういう木を育てているのか。
きっとそこには何かしらの技術があるのだろうと思うしあってくれ、と思う。
何か新しい街や建物が作られるときに植栽を、とそういう細い木たちが連れて来られる。近い環境から来てるのかな、だといいな。
自然は豊かであって欲しいけど、その細い木をほんの少し寂しく思う。でもそもそも、その「寂しい」自体もエゴなんだろうなあ。
半月を終えた。絶望的な気分だったのによく終えたよ、とも思うし、でもそうやって「お前は良くやってる」が「頑張ってるのになんで」になるとどうしようもないミスをしたりもするんだよなあ、と思ったりもした。最近は、私はずっとこれが怖い。ちょっと傲慢で独りよがりで、そういうのが「世界に誰もいない」なんだよ、と思う。
自分に寄らずに、世界に誰かがいたまま、他人を大事にしながら、そうしていたら自分を大事にできる。
わざわざ、植えることじゃないのだ。当たり前に「そこにある」としながら、ただそのままを大事にできたらいいのになぁ。
ともあれ、一旦自分を労ることにした。お酒だって飲んでいいじゃないか、と思う。こんなに頑張ってるのに更にジムにまで行くのか?と思ったけどそうボヤいたら元ジョウシから「でも運動すると気持ちが喜ばない?」と言われた。確かに。こんな中でも頑張ったな、と思うと誇らしくてニヤニヤする。
そういう夜は、確かに悪くない。
うーんそうか、やっぱり「頑張る」には効果があるのか。