散歩をした。しかも、思うままに。その上、自炊もしたので、今日はなんだか、誇らしい日曜日だ。
起きたらしっかりと昨日の遠出の疲れが出ていて夢うつつをふらふらとしつつ「何時に仕事するんだっけ」「他に何をやらなきゃいけないんだっけ」と考えて起きるかどうかの審議を続けた。寝ようという結論とやるべきことを考えてみようの保留とそろそろ起きた方が良さそうだの結論を繰り返してのそのそと布団から出る。
特に何もないし、と思ったあと、神社に行かねばならなかったのだ、と思い出す。
信心深い方ではないけれど、最近の私のやぶれかぶれっぷりにちょっと大丈夫か、と心配されると、そういや、去年いただいたお守りの類を奉納してなかったな、と思い出す。奉納?返納、か?
結局その辺も分かってないけれど、ともあれ、一年お世話になった相手にお礼を言わないのはなんだか、さすがに、不義理である、といのは神さま相手だろうが人間相手だろうが一緒だろう。
だから怒ってる、とまでは思わないけど、思い出したなら早めに行ったほうがいいわな。でも、こんなに筋肉痛なのに?と思いつつ、思い立ったが吉日と、お札をいただいた神社に伺った。
私は基本的に外出は、人と一緒じゃない限りイヤフォンが欲しい。ただイヤフォンをしていればいいわけでもなく、好きなものを流していたい。無音で、街の音を楽しめるのはよほどコンディションが良い時だけである。
かと言って、神社内でそれが無礼な気はなんとなくするので鳥居のギリギリまで音を楽しんで、外す。手早くお礼を済ませて(ちょうど再来月、他の神社にお参りするのもあって、あんまり長居はそれはそれで何かしら良くない気がした)それから買い物やら銀行回りやらがてら、散歩をした。ああそうだ、本も買いたかったんだ。思いがけず、家の近所にそこそこ立派な本屋があることも知る。もう何年も住んでるのにな。
聴く予定だったラジオを聴いて、他のを聴くか、と思いつつなんとなく、音楽をシャッフルで流す。普段は聞かない、だけど大好きなアーティストの新譜はとても良くて、何が、と言語化できる感覚とは少し遠いけど、良いなあ、と思う。教えてくれた人にお礼が言いたいな、と思いながら頭にメモする。
私は、こういうのがいるんだろうな。
少し前から「人と関わりたい!」と思っていた。その文はもう少ししたらアップする予定だけど、その気持ちが今はしゅるしゅると大人しくなってる。いやまあ、いっす、別に。引きこもっても。私、こういうの大好きなんで。
そう、一人をぎゅっと抱き締めようとする自分をどっか俯瞰して「こういうとこだよなあ」と思う。こういうところがあるから、私は交友関係を広げるのが下手くそなのだ。
さっきまでのハイテンションはどこへやら。いきなり「あ、いやでーす!」と引きこもる。私ですら振り回されるその感覚を、周りの人にまで影響させたくない。もはや昔馴染みは諦めてもいるだろうけど。新たな知り合いに「そんなこともあるけど許してください」なんて厚顔無恥にも程がある。
と同時になにもそこを潔癖に線引きすることが正解ではないし、なんならそんなこと、誰もやっていませんよ、と自分を嗜めたくもある。もう良い歳してなんの物思いだ、これは。多少の気持ちと裏腹、うまくやる術くらい、身につけてくれよ。
言い訳をするなら、適当な相手ならできるのだ。でも、大事にしたいなら適当にお行儀よくなんてしたくない。しなきゃいけないなら、引きこもってたい。
でもなあ、そのどっちもなんか、違うんだよな、感覚として。
大事にしたい、引きこもりたい。そのどっちの気持ちも否定せず、抱えたまま、無理をしすぎず、ドラマチックにもせず。大事にできる気がするのだ。大いに「そうであれ」と願ってるだけかもしれないけど。でも大体、そんなもんだろ。