コートがいらない。
身支度しながらそんな気もしながら、でもいつもの習慣でコートを着て、街中、人を見て気付く。いや、これ、コートいらないな。
コートがあってもいけるな、と正直なところ思ってたので、最初は「この風体で街を歩くのが恥ずかしいな」だった。気まずい。え、あの人暑くないの?みたいな目線を想像していっ…!となる。ので、遅刻を覚悟で家に帰り、ごめん!という気持ちで玄関にコートを置いてきた。
大正解。歩いてるうちに薄く汗ばむ。日が照ってるなあと思うし「このままどこまでも歩いていこうかしら」なんて思う。行きてえ〜、ついでにまた缶チューハイなりを買ってぶらぶらしたい。コンビニコーヒーだって良い。行儀が悪くても「あ、春きてますね」と見つけに行きたい。
そうできたらどんなに良いだろう。
そんなわけにもいかないから諦めて出勤する。出勤しても「暑かったな」「春、きてるな」とにこにこそわそわする。どう考えたって仕事をしてる場合じゃないことくらいはわかる。
どう考えたってそうだろ、今日は春を楽しむ日だよ。
これが明後日には冷え込むんだよなあ…かなしい。明後日は遠出もするつもりなのでそれもあって「おいー」とは思う。お出かけ日和とはいかなさそうだ。
でも、冷えたら桜は長持ちするだろうか。
何より、また冷えたらもっかい「あったかくなったな」とそわそわ喜べるんだろう。そう思うとちょっとだけ「良かった」と思う。嬉しいをもう一回だ。
1年と半年。札幌に住んだ。九州育ちなので、雪なんてほとんど縁がなく、なので、ずっと「雪だ!」とはしゃいでいた。
し、日照時間って大事なんだなあとしみじみしたりもした。それはそれとして緯度や経度について考えるのは悪くなかったし、あと空が本当に綺麗だった。
札幌の夜空、好きだったんだよなあ。
それから何より「春が来る」という嬉しさをあんなに知れたことは人生の中でも最高なことの一つだった。
「生き延びた!」と思う、あの瞬間。
春が来て街も人も生き物も、植物もグンっと色づく。生きている!と主張する木々はあの時初めて見たんじゃないか。
春を喜びたいし夏にわくわくしたいし秋にそわそわして、冬を楽しみたい。結局そうなんだよなあ。そのためにもちょっとばかり、もうあとほんの少し、心にスペースがほしいよ。
ちょっとだけ、悪意について考え過ぎて疲れている。