今日はなんか、起きた瞬間から疲れていた。頭が重い、体も重い。起き上がっても即座に布団に戻ってしまう。
でも今日はやらないといけないことがたくさんある、と思う。
ただなあ。気を抜くと眠ってしまう。頭が痛いとかじゃないけど、ただひたすらに「重い」感じがする。
疲れてるなあ、と思った。
思い出すと先週「一生懸命生きていた」ことは覚えているけど、何をやったかと言われると思えば、仕事だけをしていた気がするな。
だったら、と思う。だったら今日くらい寝ても良くないか。だめか。
と思いながら、遠慮なく寝てみたらちょっと頭がスッキリしたのでさくさくとやるべきことをやったりした。
やっと、更新したかった友だちとのキャッチボールブログも更新したりした。
文を書く。最近、予定がない日はずっとそうだ。やるべきことをやって「本当はもっと早くパソコンに向かうべきだったのに」と反省しながらコーヒーを淹れてから原稿と向き合う。
いつくらいになったら、これに出ますよって言えるんだろう。不慣れなイベントに申し込んだので抽選があるのかどうかもわからない。
しかも、不慣れな書き方で文を書いてるので「書けるぞ」になるまでに時間がかかる。こえー。
書きたい、と思っている。
ラジオが好きだという気持ちを煮詰めて書いた「推しラジオが終わったので本を作ることにした。」から、恥ずかしげもなく(とあえて言う)自分の話を本にするようになった。
誰も、お前の話なんて聞きたくないよ。
そんな風に毎回、自分の中で声がする。なにをもっともらしくと呆れる自分がいる。
ラジオ本はそれでも衝撃が大きかったから勢いで書けたけど、例えば「星の数ほどハッピーエンド」は星野源についての文を書く、と決めたから余計に。
「ファンのただの妄言だとしたら、Twitterでやってろよ」と声がする。ブログもあるんだから、本にする必要はないだろ。
難しい。たぶん、こういう意地の悪さは自分の中から出てくるものが一番強い。
有難いことに今のところ見えるところで怒られてはいないせいか、自分が一番自分にとって殺傷能力の高い読者である。
でもその自分に書きたいという自分が反論する。
べつに「ファンの文」のつもりはない。好きなことを言葉にしたいのは、言葉にして確認したいからだ。でもだから「ファンに共感してもらう」の文からは外れる。だから、なんだよこれ、と自分でも思うけど、自分の大切と向き合う一番の方法が文を書くことだからだから、諦めずにやりたいんだよ。
そういう「やりたいんだよ」を言い聞かせて、何冊か、ZINEを作った。次に作ろうとしてる本はさらにそこから自意識の色が濃いような気もするし、逆に自意識に頼っていては書けない(というか、読んでいて面白くない)本な気がしていて、難しくて「なにこれ!」と叫びたくはなるけど、でも、だから、ずっと楽しい。
何をつらつら、文を書くについて書いてるのだ、と言われるのかもしれない。原稿をするか寝るかだったにしても「知るかよ」な話かも。
でも今日、出した本の感想フォームの嬉しい感想を目にしたんだ。
なんだか、嬉しかった。繰り返し、読んだ。
『エンタメに生かされている』という本を今年の1月に出した。実はプロット版のつもりで、9月に、それの数年分の話を本にまとめて文学フリマ大阪で出したいと思ってる。
1月は、11月仕事が辛くて「もう無理だ」と思った話とそこからかまみくに触れてなんとか「戻ってきた」話を短いエッセイにした。
こないだ、ひょんなことからそれを自分で読み直して「どうだったかしら」と思ったりもした。
自分のことを書いてからじゃないと「なんで」かまみくがあんなに好きだったか伝わらない気がしてたくさん書いてしまったけど「辛かった」しか伝わらなかったらどうしよう。そうじゃなくて、この世界は結構クソだし、自分はこうだけど、でも「好きなものがあることが嬉しい」を書きたいと思っていたけど、それが出来ていたんだろうか。
そんなことを数日、考えたりもしていたんだけど、今日届いた感想に届いたのかも、と思った。
もちろん、さすがに、いただいた感想をあげたりはしない。心の中の宝物箱に入れた。
でも、本当に。ありがとうございます。
たぶん、私はこれからも自分のために文を書くと思います。自分のためにしか書けないことを、時々情けなくも思ったりもします。
言葉を尽くしても俺が俺がとしてしまって、好きなものの良さをどこまで表現出来るんだろうと落ち込むこともあります。
でも、誰かが受け取ってくれる。そう思えて、ちょっと、いやうそ、すごく嬉しい。
何かに恨み言を言うために文を書くなら、書かない方がいい。自分にとって大切を確認するために、文を書きたい。その自分の気持ちに逸れずにいれているのかも、と思うととんでもなく嬉しい。
これからも、文を書きたいな、と思います。