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R老人の終末の御予定

私はこのお芝居が大好きなのだ。
もともとそう思っていた。だけど今、確信に変わってそう思う。

 

※R老人の終末の御予定のネタバレが含まれます※

 


もともとが「確信」まで言えなかったのが確かな苦味があったからだ。
一生モノの宝物ではあった。あったけど、思い出すと「どうして」とぎゅうっと心臓が痛むような気がして、うまく自分の中で消化をしていない感覚があった。

 

それからも大事で、でも大事だからこそどう向き合うかいやもう「向き合わない」も含めて愛では、と思っていた作品が再演される。
いちもにもなく、チケットを取った。日々の劇団の呟きで、楽しみが増していく。
ふと、自分のアカウントで「R老人」と検索すると色んな呟きが出てきた。
それも、上演当時じゃなくてなんでもない、全く関係ないタイミングでの呟きもたくさん。

 

そうなのだ。私は「向き合いかたが分からない」と言いながら、このお芝居が大好きで大切だった。

あるロボットの夫婦の愛の物語。壮大で、でもささやかな物語。
その中には私としてはズキズキと痛むものもある。初演を観た時に大好きだったけどまさしく「心を抉り取られたような」気がして半泣きで面会に向かったことを昨日のことみたいに覚えている。
そして、それでも劇中描かれた事実が、ふとした瞬間、私の背中を支えてくれる。
音楽、表現、魂が知性に宿るということ。
そういう「分かる」をフックに私はこのお芝居と触れ合ってきた。

 

それから、7年。
昨日、そんな大切なお芝居を観た。
ある瞬間、ああそういうことだったんだ、と思う。あの時は受け止められなかったこと、分からなかったこと、悲しかったこと。
それを「分かった」気がする。
20代の自分には分からなかったことが、分かるような、ああそうだよな、と思うことがたまらなく嬉しくて同時にちょっとだけ切なくて心の中がぐしゃぐしゃになった。
だけどその時間はたまらなく大事だった気がする。
なので、そのことを覚えておくために感想を書く。

 

あの初演受け止められなかった、分からなかったことは2つ。
グレコ・ハミー編で「ハミーを助けたければ」とリオがあのメモリーチップをさすように勧めたこと
グレコが最後、自分で自分を「終わらせて」しまうこと
それぞれ「今の私はこう思った」を書いていきたい。

 


グレコ・ハミー編で「ハミーを助けたければ」とリオがあのメモリーチップをさすように勧めたこと

これは、シンプルに考えれば、辰郎たちのことを知って欲しい、という意図だとも思う。
でもちょっとだけ意地悪じゃないか、とも思ったのだ。
助けられないじゃん、最後まで見ても。
だとしたらそこにあるのはリオの……リョースケの願いだけじゃないか。
あの、長生きしたよ、のシーンは大好きだけど、どうしてもなんだか受け止められなかった。
これは後述もするけど、私が自分で自分を終わらせてしまう、自殺、という手段を極端に忌避してるせいもある。
理屈としては分かる、物語としてはわかる。
それでも、それを選んで欲しくなかった。
だから、それを示唆することになった彼の行動を肯定できなかった。


ただ、今回観ながら思った。たぶん、ハミーはどうやったって、助からない。助からないし、もしもあのまま離れ離れになったら。
グレコはもっと孤独で苦しんだんじゃないか。
愛しているということ、いつか、どこか彼らの魂が行き着く場所があるのだと信じられること。
それがあるのとないのでは、知ってるのと知らないのとでは、きっと全然、意味が変わる。

 


数年前。死んでしまったらどうなるんだろう、と考えていた時期があった。
思春期の時のそれとはまた違うニュアンスで。
安らかな場所にいてほしい、と願いながら、でもそういうのをうまく想像できずに、なんとなく、古今東西いろんな宗教でどう描かれるか興味を持った。
一般教養的な色んな宗教の解説本を読みながら、人間ってずっと同じことを悩んでるんだな、と思ったりもした。
必ず来る別れ。そこにある苦しみをなくすことはできない。だけど、「いつか」と願うことはできる。それがあれば大丈夫、とは言わないけどそれがないなら、苦し過ぎる。

いつかまた、と思うこと。安らかでいてほしい、と願うこと。

 

7年前も大好きだった守山の台詞がより好きになった。きっとそうだ、と思う。
それは願いでもあるし、なんとなく「知って」いる気もする。そうやって祈ることが本当なんだ、と今は思う。
そう思うと、色んな人の別れが苦しくて悲しくて、だけど、愛おしかった。


それから、

グレコが最後、自分で自分を「終わらせて」しまうこと

これは、本当に難しい。本当に個人的に、どうしても自殺が受け入れられない。受け入れたくない。どうあっても、生きてて欲しいと思う。
それは、今も変わらない。

だけど、思う。
わかるよ、死なずに生きててほしいし、介護の末のあの答えを全肯定はできない。
だけど、「わかる」とも思う。共感とかではないかもしれない。だけど、あの時、それぞれが考えて考えて考えて、悩んで、愛して出したあの答えを、7年前のように苦しくは思わなかった。
そうか、と思う。そうか、そうするんだね、とどこか穏やかな気持ちで見ていた。
彼らの人生が、私は大好きだ。


そのいく末がああであることを「悲しい」とあの時の私は思った。だけど今、強がりでもなんでもなく、事実として「あなたと暮らした1000年は楽しかった」と思う。そうなんだろう、と嬉しく愛おしく思ってる。

 

 

 

あなたは、もっと世界を愛せる。

そうフライヤー裏に書かれていたことをずっと考えていた。本当に、本当の本当にそうだ。
どうしようもないことたくさんあるけど。
それでも、私はこの世界が大好きなんだ。そうしていたらこんな日がやってくる。そのことが、心から嬉しい。嬉しくて愛おしくてたまらない。

 

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