こうやって生きてければいいのになあ。
と、ふわふわの脳みそで思う。これがいいなあ、ずっと。そうもいかないけど。
いつだか、源さんが「深夜ラジオに出会った」リスナーのメールに小さく笑いつつ「生き辛いぞぉ、ここは」と言っていた回があった。私はそれが大好きで、もちろん、繰り返しは聴けていないので、記憶に残ったものを再生している。
最近、そのことをよく考える。
仕事中、昼休みにはずっとラジオを聞いている。家にいる時も、テレビを点ける気力はなく、かと言って無音だと脳みそがピャってするので、ラジオをずーーーーっと流している。
なるほど、ここには「行き着く」って表現がしっくりくる。
とは言いつつ、最近「ラジオを聞けない」と思う瞬間があった。
リスナーのメール、なんでもないオープニングトーク。着慣れていない洋服みたいにちくちくとした違和感に「いっ!」と叫んでしまった。かなしい。
好きなものが「聴けない」脳みそは悲しい。
仕方なくさっさと寝ることにした。
たぶん、脳みそが疲れてるのだ。
だから「新しい刺激」を感じていっ!になったんだろうな。
そう思いながらなるべく刺激が少ない回を選んだりもう何回も聴いた音源を聴く。
そうだよなあ、そりゃ、こうなることを「深夜ラジオに行き着く」と表現するなら生きづらそうだ。
ラジオのパーソナリティが「わかるよ」と相槌を打ってくれる。たったひとり、自分のためだけ居場所が生まれる。そういう場所だとそもそもラジオで思ってるからかもしれない。
ここは自分の居場所だ、と思ってる。
自分のためだけの居場所、逃げ場。そういうものだとラジオを思ってる。
だからこそ「あ、ちがう」と思った時に逃げる。なんかでも、それってどうなんだろうな。
電波にのって、かなりな数の人に届く。そんな場所ででもたったひとりだと感じる。自分に「わかるよ」と相槌を打ってもらってる。
そんな気がする場所に逃避行して、だからなんとか人と関わることが出来てるのかもしれない。
仕事で「どうしてですか」と後輩に聞かれた。
いつか思った苦しさで、なんなら今も悩んでて、でもかと言って「だよねえー」なんて言うわけにもいかない。そこって、たぶん、立場的にがんばれ、と背中を支えた方がいい。
いつかにしてもらったみたいに。
言葉を探したし、その上でやれるだけやったとは思う。
思うけど、果たしてパーソナリティのあの人が「わかるよ」と言ってくれたように「わかるよ」と言えてるかは分からない。でも、そう言いたい、とはずっと思ってる。