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もつ鍋

もつ鍋を食べたかった。

そもそも全体、ラジオの影響だった。寒いし。寒い中で、ラジオで語られる「あの頃のもつ鍋」は効果が抜群すぎた。

 

ここらへんが難しいんだけど「九州出身」と名乗るには、自意識が九州から遠い。

熊本弁を「喋らない」と決めていた期間もあるし、となると実質的に私が「九州にいる自分」を好きだったのは高校と浪人の期間だけである。

そんなわけで、九州のあるあるにどこまでのっていいか分からないし郷土愛はない方だろうとは思う。

 

ただ、とはいえ、完全に「熊本弁」でなくても九州訛りの言葉を聞けば(祖父母がそうだったこともあり)安心もするし、そんなわけで「あの頃」のもつ鍋の好きなパーソナリティふたりの記憶は絶妙に里心を刺激してきた。

なんなら「九州での記憶」ではなくて「九州と東京の記憶」が混ざり合ったからこそ余計に。

 

そんで「もつ鍋食べたいなー」と言ってたらあれよあれよともつ鍋を食べることになったのである。

 

 

この辺だよ。この辺が、私の生活の中にはないリズムだ。あったのかもしれないけど、と思って、いや、なかったな、ともっかい思い直した。なかった。友だちの友だちとじゃあ飲みに行こうか、と思えた記憶がない。

多少、人との交流を「頑張って」いた時期はあったけど、頑張っていた頃すら誰かの何かにフッ軽に乗りに行く体力はなかった。だからこそ、尊敬してしまう。それは「体力」だし「胆力」でしょうよ。

 

 

友だちの友だちかつ、「仲良くなりたい」人たちだったので「まあ酒を飲めばなんとかなるか」という浅はかさと勢いでもつ鍋を囲って今、楽しかったなーで大の字になってる。

小さなつくさんの大冒険すぎるが、でもこれを「大冒険」という幼さはどうなのだろう。

 

そもそも、自分の世界の狭さにうんざりしていて、なら広げたら良いのに、と思うけど結局自分の決まった世界の安全性にあぐらをかいてるんだよなあ、と自己批判ならいくらでもできる。出来ちゃうが、どうですかね、楽しく飲んだ後にそういうのは良くない気がする。

 

何より、それこそ好きなラジオそもそも人間嫌いということ自体が幼く、ちょっとどうかなという自意識の拗らせだよという自己分析を聴き「ああその通りだよ」と膝に受けた私である。

あんまりこの辺を、掘り下げるのは違うというか、掘り下げるのは極論、楽になろうとしてる、なんだよなあ、と思う。

 

 

でも、だというのに触れたいのは。

たぶん、そういう自分だから今日余計にもつ鍋が美味しかったんだよなあーと思うからだ。

たぶん、もつ鍋食べたい!とか、仲良くなりたい!で動ける人間だったらこんなしみじみ噛み締めていないと思うんだよなあ。噛み締めるのがキモいかキモくないかは、まあ、ともかくとして。

 

 

でもなんとなく、今日が嬉しかったのはあのラジオのエピソードトークで「すきだな」と思う感覚に繋がっていた。そんな気がする。

一旦、その輪郭を確認している。




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