以下の内容はhttps://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2025/02/15/162346より取得しました。


カガミ想馬プロデュース2025熱海殺人事件 売春捜査官

熱海殺人事件というお芝居がある。
最初に観たのは小学生の時だった。ストーリーや台詞をある程度理解した今となってはさすがに親、何を思って連れて行ったんだと思う。思うけど、あの時訳がわからないなりに衝撃を受けたのは確かだった。
その時、本格的にお芝居を好きになったわけじゃない。だけど、確かに私がお芝居ってなんだかとんでもないかもしれない、と思った。
それから、何年も経ち、お芝居に衝撃を受けたり助けられたり分かんないな、と思ったり。そういう何年ものベースはたぶん熱海殺人事件とつかこうへいなのだ。

 


熱海殺人事件にはいくつかバージョンがある。だが、その大枠は同じで「木村伝兵衛」という凄腕の刑事が熱海の浜で起きた山口愛子が殺された事件の容疑者である大山金太郎を捜査する、という物語だ。

今回「カガミ想馬プロデュース2025」で私が観たのは『売春捜査官』というバージョンである。
(ちなみに調べて思い出したけど人生で初めて観たのはたぶん『モンテカルロイリュージョン』だった)

 


木村伝兵衛という名の女性捜査官。趣味売春、という破天荒な彼女は男社会の警察の中で自分の使える武器を最大限に使いながら成り上がってきた。
そこに熊田留吉という若い刑事が赴任してくる。実は伝兵衛とかつての恋人という因縁のある熊田。
また、伝兵衛の部下である水野はホモ(熱海殺人事件にはこういう強めの言葉が出てくる。本来的には私の価値観として使いたくない言葉ではあるけど、ここは一旦作中の言葉をそのまま使う)であり、そうした自身の嗜好から田舎に帰れずに悩んでる。
それぞれの因縁や故郷、愛情が複雑に絡む中で幼馴染を殺した大山金太郎とその被害者である山口アイ子、またふたりと同じ故郷の出身である李大全の自殺の謎を果たして解決できるのか。

 

大筋はこんな物語。
熱海殺人事件は根強く人気な演劇作品であり様々な団体が上演している名作である一方で「観るひとを選ぶ」とも言われる。その理由は大きく2つあると思う。
1つは兼ね役や早口で畳み掛けられる台詞など、ある程度「演劇表現」に慣れていないと戸惑ってる間に物語が進んでしまうところ。
しかしこの辺は「だからこそ」の良さではあるので頑張って慣れてほしい…!とは思ってしまう。

 


例えばこの熱海殺人事件では木村伝兵衛が山口アイ子を、水野が李大全を兼ねる。この兼ね役には物語そのもののメッセージを伝える役割があるし、演劇は物語やお芝居だけじゃなくてこんなに仕掛けにも伝えるものを込められるのか…!と震えてしまう。
また早口ではあるけど、役者さんの技量としての滑舌や、「伝える」技術、熱量を全力で浴びれる「つかこうへい節」は生で観ると本当にアドレナリンがドバドバでる。
あとこの早口は単純な演出というよりも元々つかこうへいが口立てという方法で脚本を作っていたことにも起因していた、はず。確か。
口立てとは稽古場で即興的に芝居をしつつ、スタッフさんがそうしてつかこうへいが語る物語を書き留め、作っていく、という手段だ。
一度でいいから生でその現場を見たかった、と思う。そんなの、命じゃないか。
それを、文字として受け取った役者さんが最大限表現したらあの速度の台詞回しになるんじゃないか、と思っている。

 

 


そして飲み込みにくい理由の1つが「ホモ」や「ブス」、それ以外にも良くないとされる言葉が飛び交う。かなり暴力的だし、今の倫理観でいけば「聴きたくない」言葉がたくさん出てくる。
売春捜査官については朝鮮の問題なども出てくるので、それに纏わる言葉もかなりきつい。
聞いていて嫌な気持ちになる、は、まあ、そうだろう。
だけど思うのは、それを「良いもの」としていたわけじゃなくて、むしろそうして踏み躙られていたことの証左じゃないか、と思う。
売春捜査官は、かなり暴力的ではある。誰が加害者で被害者なのか。誰が誰に暴力を振るったのか。
それなのに、言葉だけ整ってても違和感だよな、とふと振り返って思った。
朝鮮の問題も、男女差別や性的マイノリティに対してのことも。そういう中で踏み躙っていたこと。整えたとて、そこに綴られてきた言葉たちが誰かに実際にぶつけられたのは消えない事実なのだ。
(とはいえ、観つつ水野はこれでいくとホモ、ではないのでは、と思ったりもしたけどその辺も当時の背景ではそう括って表現されてたんだよなあ…)

 

 

 

ここまで書いてても思う。好きなんだよな、このお芝居が。ともかく。
正直思い入れがあり過ぎて、書きたいことが尽きない。のだけど、そろそろ「カガミ想馬プロデュース2025」の『売春捜査官』の話がしたいのだ。

 


ただ、このまま思いつくままに書くとすごい文量になりそうなので、各キャストに分けて思ったことを書いていきたい。

 

 

 

まずは、木村伝兵衛を演じる「舞川みやこ」さん。
この木村伝兵衛という役は苛烈であり、暴力的で、だけどどこか寂しさもある人だ。
今回、女性の木村伝兵衛を観るのは数回目だったはずだけど、その中でも舞川さんの伝兵衛はその寂しさや愛情を求める姿が印象的だった。
山口アイ子と兼ね役であるこの役。
木村伝兵衛はもちろん、山口アイ子については売春宿で働く女であり、かつただ働いているだけでなく「ブス」だとして「コケ女」と呼ばれる。1000円で売られ、トップの売春婦の準備や後処理を任される。そこで踏み躙られてきた人としての誇りと、木村伝兵衛が警察の中で生きていくために捨てざるを得なかった誇りの重なりが私はこの役の魅力だと思っていた。
また、その中で折れずに自分を信じる姿が、真っ直ぐに立ち、最後の「女」としての決め台詞が同じように社会の中で(またこれはかなり私事ではあるが、営業職というどちらかといえば男性が多い社会の中で生活しているからこそ)生きている私にとっては印象的な役なのだ。

 


ただ、今回舞川さんの演じる伝兵衛を観て、その印象が少し変わった。
語弊を恐れずにいうならなんならこの舞川みやこさんの木村伝兵衛はこれからその地獄により踏み入れるような、そんな地獄でこれから生きていくのだ、という宣誓の1ページだったような気がするのだ(それの良し悪しについては今、判断に迷ってる。格好いいとも思う。だけど彼女(木村伝兵衛)には幸せでいてほしい。そう願ってしまうような可愛らしさと愛おしさがあった)


その中で、ああ、伝兵衛、と思った瞬間がこれまで観た他の売春捜査官とは違った。
私はこれが嬉しい。
同じ作品を同じ台詞で演じても、演出が、役者が変われば違う景色が見える。なんて豊かなんだろう。すごい。

 


舞川みやこさんの木村伝兵衛は強い。強いし劇中言われるとおり、ひとりで生きていける強い人だ。そうだろう。そうなんだけど、絶対に違うのだ、と芯から思った。
そんなわけがない。分かる、分かる。強いし、一人で生きていけるかもしれない。だけど、それでも。守ると言われたい、お前だけだと言われたい。
それは「女」の話ではなくて、なんなら人間の話じゃないか、と泣きそうになった。
アイ子を演じる舞川さんの1000円の絶望。先輩の前で笑った顔。
私のことをみんなが好きなのだ、と言っていた時の表情。
誇りの話でもある。だけど、傷付いたその顔が小さな女の子みたいで、私はそのことをずっと思い出してる。
抱き締めてあげてくれ、と思った。水野の部長は寂しくないのですか、と問うた、そのことに寂しさと嬉しさを覚えた。
話は水野に逸れてしまうけど、ああだから彼は彼女の一番の恩のある、信頼できる部下だったのか、と思う。
彼女を不用意に持ち上げず、消耗もせず、憎みはしてもそれでもその奥底の優しさや寂しさを知っていること。それがどれだけ木村伝兵衛の力になったのだろうか、と思う。
それをより濃く感じたのは、水野への感情移入もあるけれど、それ以上に伝兵衛の寂しさを劇中痛いほど感じたからだろう。

抱き締められてくれ、と思う。でも、思うからこそ、最後の真っ直ぐ立つ姿に格好良さを感じた。
舞川みやこさん、格好よく可愛く愛のある女優さんだった。

 

 


さて、キャスト順でいけば水野なんですが、高田淳さんはどうしても特別思い入れが深いため文が長くなるので一旦、門野翔さんの熊田留吉の話を。

いやもう!!!!!!!!!!
熊田留吉て!!!!!!!!!!
キャスト表を観ていたはずなのに門野さんが出てきて熊田だ!!!!!!!と天を仰ぎそうになった。死んでしまいます。そんな、そんな、熊田はやばい。


熊田留吉。過去、木村伝兵衛を心から愛し、今は憎んでいる若い刑事。

 


このいわゆる「若い」役である熊田留吉を、門野さんが演じるともう、それは魅力が詰まりまくる。
顔立ちの甘やかさと機動力抜群の身体能力で演じられる熊田留吉は、たまらない魅力があった。
後で書きたい土田卓さんの演じる大山金太郎もそうだけど、熊田と金太郎はそれぞれこの脚本の「弱さ」を担っているように思う。種類の違う弱さ。
熊田の弱さは、若さ、だろうか。
こはちょっと表現に迷う。若気の至りというには、そこにある切実さに対して失礼だと思う。
そもそも若さを弱さっていうのもそれはどうなんだ。
だけど、だ。
それでも熊田の弱さは熱く瞬発的で、観ていて心配になるような感じもあった。
伝兵衛を愛していて、愛していたからこそ許せずに、生きてきた熊田。でもさあ、熊田もどうなの、ってやっぱり思ってしまう。
熊田と大山、やっぱり売春捜査官だとずるい、と思ってしまうんだよなあ。なんだよもう…。
ただ、彼女に向けての挨拶に、違うんだよ、待ってよ、と縋りたい気持ちと、なにより一時の感情に流されずに生きていく真っ当さを愛おしく思う気持ちとでぐちゃぐちゃになってしまった。
なんなんだよ…。
でもこういう真っ直ぐな人が真っ直ぐ生きていく世界を美しいというのかもしれない。ささやかで、くだらないと人が言うような生活でも。
何より、好きだからと一緒に破滅を選ぶことが愛なのかとも思う。思う。いやけどなあ…。

 

 

 


そして大山。大山金太郎。
私は、大山金太郎という男がもともと好きだった。
愛していた幼馴染の変わってしまったことに絶望し、締め殺した男。
もともと、そういう印象だった。「1000円」だってなんなら不幸な、あるいは無邪気な(それはそれでグロテスク)事故だと。
そう、どちらかといえば、無邪気や無知をこれまで観てきた大山金太郎には感じていた。それはそれで許せない、と思うが、それを罵るのもまた違う気がしてきたのだ。
それが、まさか、こんな感情になるとは。
清濁合わせ飲む強さも優しさもなく、真っ当に踏ん張る強さもなく。軽薄で、集団で、無知で、でもだからこその愛おしさもあり。
アイ子を想う気持ちも嘘ではなくて、金先輩を慕う気持ちもだというのにその家族に笑いながら加害できる人間性も、そのどれも、嘘じゃない。
多面性にも見える。いや、むしろ、多面性であれ、と思う。
だけどむしろこの土田卓さんが演じる大山金太郎の恐ろしいところは、それがひどくシンプルにも感じることだ。分かりやすい複雑性ではなくて見えるのはあっけらかんとすらしている。
それが、苦しい。
ある意味で、初めて「大山金太郎のこと、嫌いかもしれない」と思った。それはむしろ、いい意味で。
土田卓さんの目や頭、身体を通して示された大山金太郎。
そこに何か語るのも無粋な気がする。
彼のしたこと、彼が気づけなかったこと。それを尤もらしくジャッジすることこそ、彼がしていたことと繋がっているように思うから。
でも、やっぱり。みんなで、五島に帰り笑う、あの青い海と空のそば、笑って過ごす未来を願いたかった、と思う。そうなんだよ、結局、大好きなんだ。それでも、

 

 


そして、最後。水野。高田淳さんが演じる、水野を観れたこと。いまだに震えるように嬉しい。
「ホモ」と劇中表現されているけど、今の言葉で表現すると、と彼の特性について思いを馳せようとして、でもそれもまた違うのかも、と思う。男性が好きで、女性の性を自身の性だと感じているひと。
それだけ、と言えばそうかもしれないし、でも、水野という人を属性だけの役割だとも思えない。
もう一つの兼ね役である在日朝鮮人である「李大全」、李先輩を演じることでそこにあるのはマイノリティ、という役割、ポジションなのかもしれない。
だけど、それ以上に私が「彼」のあの物語で果たした役割は「愛」や「優しさ」だったように思う。
前半はどちらかというとコメディ的ポジションに徹しながらも、ふとした瞬間、過ぎる木村への敬意や愛情、そしてだからこそある怒り。
強さも感じるのに(これは水野にも、李にも)同時にたまらなく弱く、脆さもある。でも、そりゃそうだよね、人間なんだもの。どうしようもなく、人間臭く、でもそれを露悪的に示す役ではなくてその中でも優しく強くあろうとする、そんな人だったと思い返す度に思う。
木村伝兵衛を侮辱された時によぎった心配の眼差しも、逆に伝兵衛に自分の大切なものを傷付けられた時に握られた拳も(もうあの拳の表現、あまりにも好き過ぎる)

 

 


熱海殺人事件『売春捜査官』は、決して「ハッピーエンド」と呼べるかは分からない終わりを迎える。
それでもどこか清々しく劇場を後に出来たのは、水野のあの終わりがあったからだ。
それは、水野から伝兵衛への、伝兵衛から水野への愛情があったからだ。
恋愛の物語だ、と感じた今回の熱海殺人事件
それだからこそ起こった痴情のもつれ。
だけど、同時に描かれた水野と伝兵衛の関係性のように愛には色んな種類があること、また李先輩とアイ子のやりとりの中で描かれた優しさ。
そのことが、まだ、と私に思わせてくれる。悲しかった、辛かった。だけど、たまらなく愛おしかった。地獄のような時間のなかにも、きっと、優しさや思いやりはあったはずなのだ。

 

 

 

それを表現するところに自分の大好きな役者さんがいたことを噛み締めている。何より高田淳さんはその理性的な台詞回しや立ち居振る舞いもたまらなく魅力だと思うけれど、それ以上にその優しさや言葉にしない柔らかさや人間の美しさを表現する天才だと思っているので、そんなお芝居が観れたことが嬉しい。
分かりやすさというよりも滲むような、強い盾や矛ではなくても、ただ、絶対になくならない日差しのような強さがあるように思うのだ。
本当に水野を演じる淳さんを生で観ることができてよかった。

 

 

 


あ、やっぱり最後に一つだけ。
この「カガミ想馬プロデュース2025」を観て、2020年に観た熱海殺人事件を思い出した。
これもまた私の大好きな役者さんである椎名亜音さんが出演され、木村伝兵衛を演じていた。
舞川みやこさんとはまた違ったその伝兵衛のことを私は今回、劇中何度も思い出した。それは比べてどうこうの話ではなくて、好きが重なって増えていく、そんな感覚だった。
私はあのお芝居が強烈に好きだった。そして目の前で広がるこのお芝居も。
それを何度も何度も、劇中噛み締めた。それが、嬉しい。
演劇はどこまでも豊かだ。

 

 

f:id:tsuku_snt:20250215162255j:image




以上の内容はhttps://tsuku-snt.hatenablog.com/entry/2025/02/15/162346より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14