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がまじいの引き出し

バカの考え休みに似たり、という言葉をよく思い出す。

バカな人がどれだけ「考えた」と思ってもそれはもはや休むのと同じようなもんだ、無意味、という意味だと思う。文字にするとひどいな。

 

ともあれ、私はそれをよく自戒を込めて思い出していた。考えすぎ、と言われるタイプの人間ではあるし、そういうことをやりすぎて結果自家中毒みたいになってウンウン唸ることもあるので、そういう意味で休んでるのと同じになるなら考えすぎるなよ〜とよく釘をさしていたのだ。自分に。

でも今日ふと、考えて考えて考え続けたことでフラットになるというか、いい意味での無、静みたいな、武道のあの精神統一みたいなところにシンといれることがあるなあ、なんて思ったりもした。

 

 

そういえばちょっと前。同僚たちとわいわいと飲んでたら調子に乗ってバーに行き、そこで日頃思ってるなんでもないことをつらつらと喋ってしまったことがあった。

初めて飲みに行く同僚もいて、その彼はまじまじと喋る私を見て「つくさんってミステリという勿れの整くんみたいですよね」と言った。

絶妙にそれは褒めてなくないか?と思う。

もちろん、彼は大好きだし言ってることもなるほど、と思うことも多い。何より、事件を解決するだけではなく誰かの絡まった糸を解せる彼は、本当にすごいと思う。

 

ただ、もちろん私は何も解決してはいないし、やってることといえばこうして酔って管を巻いたりなんにもならない文をネット上で書いてるだけである。そんな姿を「整くんのようだ」というのは、ギリギリちょっと貶しの比重が大きくなかろうか?

という事を本人にもその場で抗議し(「そうじゃないっすけどねー」とは言ってた)、仲のいい元ジョウシにぷりぷりとどう思います?!なんて言ったりした。元ジョウシは整くんが好きなので褒め言葉じゃん!と言ってた。そうか、私も好きだし、素直に受け取って良いのか。いいのか?本当に?

 

まあこれだって考えすぎなわけだ。

 

 

 

それ以外にも私の頭の中には今まで見たもの聴いたものが詰め込まれていて、誰となんの話をしていてもその自分にとっては宝物たちを引き出しを開けて取り出してしまう。

なんせ、誰かとのコミュニケーションがお世辞にも上手いわけでもないので、極力楽しく過ごしてほしい、と思うとその宝物の力を借りたくなるのだ。

半分うそ。単純に好きなものの話をすることにもなるしそうすると私自身が元気になるから意識してやってる節もある。

 

 

でも今日ふと、それを楽しいと言ってもらった気がした。楽しい、で受け取るのは自分に甘すぎる気もするがでも確かにたくさん引き出しを開けて話して、そうして伝えた相手の表情を見て開ける引き出しに我ながら感謝したので楽しんでくれた、と思って良いだろう。

この引き出したちも、私が考えて考えて考えた結果、しまわれてきた宝物たちなんだよな。

そう思うと、程よく休んだというかいざという時に静のまま、すっと取り出せるということは「休みに似たり」とも思うのだ。

 

 

ありがとう宝物たち、これからもよろしく頼むよ。




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