大好きだったのに。大切にしたかったのに。いやなんなら今だって大切なのに!
そう泣いたことはあるだろうか。私はある。なんなら、少なくない数ある。
観終わった後に強烈に苦味を感じて、それを抱えながら家に帰った。難しい。
好きな映画だったか。うん。
面白かったか。うん。
また観たいか。…うーん、うん。
人に勧めたいか。……迷うな、めちゃくちゃ。
それは、良い映画だと思ってるのが嘘だからじゃない。まだこの映画への感覚をなんと言葉に表したらいいか分からないからだ。
まだ自分の中にある苦味を、でもどこか繰り返し思い出してるこの感覚をなんと呼んでいいかわからない。
でも、やっぱり確実に自分は「観てよかった」映画だと思うし、そう思っていることを確認したいから言葉を探しながらにはなるけど感想を書きたい。
ロボット・ドリームズの主人公、ドッグは友だちがいない。恋人もいない。ひとり暮らし、対戦用のゲームをひとりで二役やってやる始末。全てがのっぺりしている毎日。
そんな中、見た「友だちロボット」のCMにドッグは飛びつく。
やがてやってきた友だち、ロボットとドッグは色んなところにいき、一緒に過ごす。増えていく特別な思い出たち。
しかしある日行った海水浴で、ロボットは錆びてしまい、動けなくなり閉鎖されたビーチに取り残されることななってしまう。
やがてやってくる夏まで離れ離れになったふたり。
この映画に台詞はなく、ただただ綺麗なアニメーションと音楽で時間は進む。
印象に一番残ってるのは音楽だ。
私が観た映画館が、音響にこだわってる映画館で本当に良かった。そう思うくらい、音楽が心地よい。そこにある物語を色付ける大切な音楽たち。
知ってる曲、知らない曲。そのどちらも好きだった。
身体を思わず揺らしたくなるような心地よさ。そういう一つ一つが嬉しい。し、なによりその心地よさがそのままドッグとロボットがふたり過ごす時間をそれぞれがどれだけ特別で愛おしいものかを表すみたいだった。それが、なんだか好きだった。
音楽が好きだ。そんなに詳しくないけど、それでも音楽が好きだ。自分の中の大切な「好き」である。
だからこそ余計に、そのふたりの大切にかかる音楽たち、それを噛み締めてしまった。台詞で語られるよりもくるくると動く美しいアニメーションと、音楽だったらこそかもしれない。
そしてだからこそ、あらすじやビジュアルからくる別れの予感がずっと、ずっとずっとつらかった。この時が永遠に続いたら良いと思った。
だけど、なんとなく。なんとなく、永遠はないのだと初めから分かっていた。そんな気がする。
何より、この世界はその永遠を良しとしない。そう思う。それは、ふたりの関係のどこかに欠陥がある、という話でもなく、ただ、だって、永遠なんてないのだ。季節は巡るし、時間は進む。生まれて、生きて、いなくなってしまう。
例えば。学校の進学。引越し。変わっていく生活環境。
あんなに一緒にいたのになんとなく会話が噛み合わなくなる友だち。
私は、ロボットドリームズを観てその人たちのことを思い出していた。
大好きだったのに、いや今だって大好きなはずなのに。
思えば、私の人生にはそんな人がたくさんいる。もう会えないのかな、と寂しくなる。だけど、きっとそれをなんとか乗り越えて無理やり会ってもむしろ、その「会った」ことで壊してしまう大切なものもある。このまま思い出として大切に、大好きだと抱き締めている方がいい。
分かってる。分かってるよ、だけど、どうしても寂しいんだ。
終わり際。ふたりはあることを決める。いや、もしかしたら決めてはいないのかも。もう「そう」であるだけなのかも。
あの終わりが好きだった、だけど、苦かった。でも、それでも、そうだよな、と思ってる。
音楽はあの頃と変わらず鳴っている。その音楽に私たちは身体を揺らす。あの頃とおんなじように。
なんだか、そのことを繰り返し思い出してる。
その揺らすリズムに、大好きな人たちはいて、だから何一つ失くしてないのだ。そう思ってる、そう思いたいんだ。