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サンセット・サンライズ

ああ私は、この景色が好きなのだ、と思った。

知らない町にもかかわらず、どこか懐かしい。

 

 

コロナ禍のリモートの普及をきっかけに釣り好きが高じて三陸の町にやってきた「西尾晋作」。彼が見つけた神物件の大家さんである関矢さんや、ばあちゃんと関わりながら、彼が町で過ごす時間。

その時間のことを、私はずっと思い出している。

コロナ禍、3.11、それから空き家問題。

宮藤官九郎作品らしい笑いをちりばめつつ、町の景色、町の人たち。なくなるもの。

なくなってほしくないもの。

 

 

 

どうしたら良いと叫ぶ、観ていなかった町の人と見られてこなかった町。

 

 

なくなってしまう、という寂しさと「でもここにいるのに」という感覚。

この映画を観た理由はたくさんあるのだけど、一つには『あゝ、荒野』だった。

寺山修司原作であり、菅田将暉主演、そして今回の作品でも監督を務める岸義幸監督。

その映画のことが、私は好きだ。

好きだ、という言葉は少しずれる気もする。ただただ、自分の人生、時間の中で大切なものだった、ということが分かっている。

 

あの映画は、私の中では「選ばれてこなかったひとが選ばない物語」だと思っている。

うまく言葉にできているかはわからない。

選ばれてこなかった、いらないといわれてきた人が生きて、生きて生きて、そうして自分を選んで、その代わり他のものを「選ばなかった」物語。

 

 

その熱量を私はいまでもどこか大切なものの棚にしまっている。そんな気がしている。

そうして、今回、そのタッグで生み出されたこの『サンセット・サンライズ』は笑えるように、みんなで観れるように生み出された。

だからだろうか、観ている間、ずっと私はうっすら笑っていたと思う。

なんだかうれしくて、でもちょっとだけ寂しくて、大切にしたいものへのもどかしさとか、それ以上に生活があった。それを横たわっているようにも抱きしめたいもののようにも思う。

ふと、菅田さんがやっていた『菅田将暉オールナイトニッポン』を思い出した。

生活。生活の中で、ただそこにあってくれるもの。私は、そういうものが大好きだったんだ。

 

西尾さんがいてはいけないよそ者、として「いないひと」として過ごしたそんな期間。

「見てくれていた」ばあちゃんとの時間。

その時間のことを、観終わって何度も思い出す。

 

 

地震のこと、ひとがいなくなっていく地方。空き家問題。

東北でこそないが、熊本が故郷だからか、ちょっとだけ鈍く痛んだとこもあった。

理屈や正論がおいつかない感情も思い出もある。だけど、それをおいて、捨てて「解決」を選ばないといけないことがある。

そうだよな、そうなんだよな。

 

 

 

感情に身を任せて叫んで、こうしたいっていう希望だけでやっていきたくて。

でもそれじゃだめだ。そんなことで解決しないことはいくらでもある。

どこか冷めた気持ちもある。

でも、芋煮会でのあの時間も、言葉も、表情も私は全部覚えていたい。

結果的に何も変わらなくても、正論じゃ無理でも。それでも。

 

 

観てるだけでいい、は全然「だけ」じゃないんだ。

観ていること、観ていてくれている、と信じられること。

それはたぶん、触れられなくても見えなくても会えなくても、支えになる。

 

 

終わりがけ、嬉しくも少し寂しくなりかけた。

ああ、その答えだよなぁとその答えを望む気持ちと同じくらい、さみしかった。

だけど、そう。そうなんだよな。

ああ、そうだ、と笑ってしまった。

「自分が思うようにする」

そうして、見てくれるひとのことを忘れない。自分のことも、忘れない。

そうして笑って帰ったあの海が、私はとても好きだった。

 

 

各々が、勝手に見たいものを見てもいいじゃないか。そんな風にあっけらかんと思っている。




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