ちょっとばかし、辛くなっている。
なんとなくじわじわ、ああそうか、別に「復活」はしてなかったんだな、と思う。なんでうまくいかないんだろう、頑張ってたんだけどな、とか色々考える。
まだ大丈夫、まだ怒りを押さえ込んだりとか目の前の人間の良くないところを探しに行ったりはしていない。大丈夫大丈夫、と言い聞かせてるのは、でも、たぶん、あとちょっといったらその「お前なんか」とよぎり出すことは、なんとなく分かってる。紙一重だし。そうなったらたぶん、あっという間に「無理」になる。
倒れたてだし、きっとそんなに「無理」との距離は遠くない。
ただ、ここが難しくて私の「倒れた」はたかだか3日で、いわゆるなんらかの治療やケアを必要とするものでもなく、だからなんか、「なんとなく耐える」しかない。
たぶんその事実がどっか「もうやだ」に錘を置いている気もする。こんだけ苦しくても助かる方法はない。それが結構、焦る。
成果が上がってないからだと思う。思う、というか明確にそうだ。
倒れた前後もずっと話していた。自分の選んだ仕事の特性もあるけど「結果を出してない」自分をよしとできない。価値がない、と感じてしまうし、このまま価値がなかったらどうしようと不安になる。
別に、成果を出さないと価値がないなんてないのに。他人にはそうは思わないし思いたくもないのに。その罪悪感も自分をより「やなやつ」と詰り出す。
嫌過ぎる。
なんとか、これ、これを使いこなしたい。
もちろんもうちょっとちゃんと復活して成果を安定して出したい、とも思うし、それはそれとしてうまくいかない時はいつでもあるし、だったら追い詰められないようになる、を目標にしたい。
だったらたぶん、やっぱり、成果を出してない自分、にも価値を感じられるようになった方がいいんだよなあ。
ふとそうしたら、年末、ある人とした会話を思い出した。
心底いやだ。自分が嫌いなところも、ひとが苦手なことも。ひとを好きだと言える人に憧れる。
だから、ひとを好きになりたい。人と関わることをもっと楽しみたいし積極的になりたい。
そうしたら、もう少し健やかになれないもんかな。おおよそそんなことを話していた。
そしたらその人からは「ひとを好きになろうとしなくても良いから、自分とか自分を好きでいてくれるひとを、まず大切にしてみたら?」と言われた。
あれは、そういうことじゃないか。
だってたぶん、自分だって自分の好きなひとがその人自身をめちゃくちゃに否定してたらしんどい。やめろ!って思うし、心臓きゅっとなるし、もうなんか、たくさん腹立つと思う。色んなものに。
だとしたら、私のこの自己否定だって誰かにとってはたぶん、かなしい。やめろ!だろう、きっと。
まずは大事に、はそういうことが言いたかった気がしている。
あとちょっと。だということは分かったから次はその方法を探しにいく。
まだ具体的なことは何も見えない。ただ、好きなものをめいいっぱい楽しんで、そうして調整していけたら良い。好きを増やすのが得意な自分だ。うまくやったらその好きに自分だって入れられるんじゃないだろうか。