所用があったので、夕方、ちょっと近所のコンビニへと出掛けた。昨日は夕暮れが早かった気がしたけど今日は日暮れがゆっくりだ。月は出ているけど、空の端が淡い紺色だった。
大阪でも空を見るのは好きだけど、九州の空はまたちょっと違う気がする。でも、そういえば札幌に行ったばかりの頃も「札幌って空の感じが違うなあ」と思ったりもした。
たぶん、それぞれの地域で湿度やなんだかそれ以外のことが影響して同じ空のように見えても見え方が違うんだな、と思う。
こういう時、正しい理屈で何か分かればもう少し世界の解像度って上がるんだろうか。上がるんだろうな。それも結構、羨ましい。
言葉をたくさん知っているひとや知識があるひと、専門分野があるひとに漠然とした憧れがずっとある。のは、裏返して自分の「専門」がない劣等感もありそうだけど、そんな劣等感を飼うくらいなら学べばいいんだ。いくつになっても学ぶことはできるはずなので。
実家の近所に、めちゃくちゃ美味しいテイクアウト専門の唐揚げ屋がある。
小学生の頃にオープンして以来、そこの虜である。家族全員が大好きなので、買ってくる時は慎重に数を数える。黙って人より多く唐揚げを取るのは、最も責められるべき行為である、とされている。
そんな唐揚げ屋は姉弟の同級生だかの親がやっていたような気もするけど定かではない。高校以降には付き合いの続いている友だちがいるけれども、本当の意味での「地元」には思い入れがないどころかなんなら苦手である。おそらく大体の人間が今は違うところに引越していると思い込むことで私は今も道を歩くことが出来ているくらいの、そういう距離感だ。
ともあれ、そんな親世代の店主は小学生の頃から優しい。唐揚げをあげながら他愛もない雑談をする。
地元を離れてからはたまに顔を出すと「帰ってきたとね」とお国訛りで言ってくれたりする。
この年末年始はさすがに差し迫っての帰省だったので唐揚げ屋も休みだった。それでもなんとなく諦めきれず、今日はやってないかしら、と父とふたり、唐揚げ屋を覗く。
「あそこは繁盛してるね、ほんと」と思わず呟いた。我が家はもちろんのこと、この近所であの唐揚げ屋を嫌いな人はいない、と思っている。
しっかり脂っこいが、いくつになっても食べられそうな、そんな魔法みたいな唐揚げなのだ。
父はそんな私に「でもあそこの店長言ってたよ」と言う。
「卒業生に助けられてるんですよ、うちは。みんな地元帰ってきたら食べに来てくれるから」
そんなことを言ってたのか、とか、やっぱりみんな行くよな、とか色んなことを思った。あと、卒業生って表現もわかるけど唐揚げ屋は卒業してないぞ、なんてことも思ったりした。
だけど、それはまあ照れ隠し的な感情で、なんだか無性に嬉しい。すごいな、そんな風に思ってくれるのか。
唐揚げ屋は、もちろん休みだった。年末年始だ、ゆっくり休んで欲しい。そうじゃなきゃ困る、しっかり休んで元気に末長くお店をしてあの唐揚げを食べさせて欲しいのだ。