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好きと引きこもりと、誠実と

好きだ、と思う。
私は日々、何かを好きだという感情で生きている。

 

 

 

思えば、好きなものをあげだすと取り留めもなくいくらでも話せる。私は自分の部屋にこれでもか!というくらい好きなものを並べているのでそれを見ていても統一感がないな、と思う。ジャンルも媒体も年代も全部ばらばら。その上、ディスプレイを凝ろうなんてセンスも気遣いもないからただただ、所狭しと並んでいる。
言い訳をするなら私は何かが整然と並んでいることに魅力を感じないのだと思う。親をはじめ、几帳面なひとがずらりと綺麗に統一感やルールをもって何かを並べることに感嘆はするが羨ましいとは思わない。どこか遠い国の素敵な文化を見るような心地で見ている。

 

 

 

ともかく、そんなわけで私の部屋は好きなものがごちゃ混ぜに並び、それに私は日々にんまりと安心している。

 

 

 

好きは、暴力になり得る。
「そんなものが好きなんて」と面と向かって言われたこともあるしその他大勢として責められることもまあある。
「そんなものが」と思わせてしまう、それもある意味で暴力だろう。そんなものを好きでいる人間がいること、が誰かを傷つける可能性は、たぶん、ある。夏からずっと考えている。ずっと。考えるたびに「それでも嫌いになれないどころかずっと好きでごめんなさい」と思う。
1番悪いのは、謝りながらも直すつもりがないことだ。

 

 

 

それだけじゃなくて、過度な好きが暴力になることもあるだろう。特に私の場合は生身の人間の表現を好む傾向にある。
ガチ恋とラベリングされなくても過剰な好きは恐怖にもなる。自分でも例えばこれが反転してしまったら、と思うこともある。幸い私はそういう時「興味をなくす」に向かいやすい気がするけれど、それだってずっとそうだとは限らない。
何より反転しなくても「絶対的」な好意として声高に表現することは、良いことだけじゃないだろう。
ある推し……とあえて書こう……はそれを大丈夫だ、と言ってたことがあった。誰かが自分を好きでいること、信仰のようにお守りのように、ヒーローのように好きでいること。それを肯定する文脈で語っていたことがあった。
素直にすげーという気持ちを覚えたし、敵わないなーとも思った。ただ、だからどうこうではなく、私は私の好きに対してきちんと手綱を握っていたい、とはずっと思う。

 

 

数週間前の自分を思い出すたびに愕然とする。
好きなものが人が多いと言いながら、全然そんなことなかった自分を思い出す。
私はどこまでも自分のことしか考えてなかったし、他人なんてどこまでも嫌いだった。
叫び出したくなる感覚になるたびに大きめの音量でラジオを流して爆笑を聞いて紛らわせる。
それでもそれは気休め的だったし、没頭が1番だといつか聞いた言葉を無理やり信じて実行してるだけだった。
それだって虚しさが付き纏うのである瞬間猛烈に腹が立つ。この世で1番不幸じゃないか、なんてどうしようもなくダサく、面白くもなく、みっともない物思いが過ぎって、それにもまためちゃくちゃ腹が立つ。

 

 


虎だった、と言い訳したくなる。ハマってるものになぞらえて、あの時の自分はちょっとおかしかったと言い訳したい、正当化したい。
でも虎だったなら尚更、その虎こそ自分の正体じゃないか、とガッカリする。

 

 

 

わかっている。私は、好きなものを好きでいる、その瞬間だけ自分や周りを大切にできる。
だからほとんど依存のように縋るように好きでいる。そんな後ろめたさがずっとある。
そうだからこそ、こうやって無理くりにでも文を捏ねてああでもないこうでもないと考えているのだ。

 

 

 

それが誇らしく、時々どうしようもなく虚しい。とんでもない嘘つきのようにも思えてしまう。

 


好きだと言うことは暴力になり得る。
その上自分のしょうもなさを隠すために好きだと思っているなら、救いようがない。

 

 

私は好きに引きこもっていたのだ、きっと。
ひとりで、ひとり過ぎて、それでずっと好きに引きこもってきた。
薄々思っていたけれど、そうなのかもしれない、と自分にガッカリしてしまった。

 


この間の週末はそんな中、舌の根もかわかぬうちに好きなもの尽くしで過ごした。
中でも、ある劇団のお芝居を観て、そのことがきらきらと自分のお守りになっている。

 

 

X-QUESTというその劇団は見始めて来年、いよいよ10年になる。
10年。10年と言えば、もう、ひと昔、だ。
それこそ10年前は無邪気だった…無邪気だったしたぶん無礼だった。
仕事で身体を壊した期間もあったし、実家が被災し、のちに友人から手負の獣だったと呼ばれたこともあった。浮かれて自分を優秀だと勘違いしていた時期もあった。
そんな様々な時期を越えて、ずっと私はその劇団が好きだ。
10年通うと、思い入れも多い。命を救われた、と冗談じゃなく思ったこともある。
通い初めの頃、帰りのバスが事故ればいいと呪いながら帰っていたのに帰り際「気をつけて帰ってね」と、言われて心を入れ替えたこともある。
だから作品ひとつひとつに思い出がのっかり、感謝が乗っかり、どれが好きか、と言われるとその作品そのもの以上に自分の思い出ひっくるめての評価になりかねない、と、思う。

 


のだけど、私は今回の作品が、最新作が、すこぶるに好きだった。それがまず嬉しい。
その上、何の因果か「好きになることで世界が色鮮やかに変わる」という主軸の物語だったから深く深く、私は今、刺さっている。刺さって、刺さったものが私の足を支えている。

 

 

 

好きだった。どうしようもなく。
舞台上の人たちに、光に踊りに「そうなんだよこれが好きなんだよ」と思った。
引きこもっているのかもしれない。そうかもしれないけど、私はその好き、に守られながらなんとかやってきている。
それをどうしようもなく痛感した。これが私には必要だった。

 

 


だからこそ、とあれから数日、思っている。
だからこそ、好きを大切にしたい。これからも私は好きに引きこもる。縋る。たぶん、それは治らない、治せない。
だけどだからこそ、出来る限りの誠実を探していきたい。自分に甘い私にどこまでそれが出来るかは分からない。だけどもとより、好きなものがなければもっとどうしようもない毎日だったのだ。こんな風に何かを考えたり感じたりする余裕もなく灰色だったかもしれない。なら、こうして色んなものがある私の毎日は好きなものがくれたボーナスステージだ。

 

だったら。

 

難しいことにチャレンジくらい、どうせならやってみたほうがいい、そう思う。




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