愛してる、とそういえば日常生活であんまり口にすることはないかもしれない。たとえば、入浴剤を入れた湯船に浸かりつつ録り溜めたラジオを聴いたり、仕事終わりの生ビールを飲んだり。そういう時には「あいしてるよ〜〜〜!」と叫んでしまうが、誰か人に向かって「愛してます!」と叫ぶことってそうない。
ということに、今回ライブに行って気づいた。好きな人がたくさんいるのに、そういえば、私は「愛してる」とあまり言わない。独り言のように呟くことが万が一あってもたとえば面と向かって、やライブ中に叫んだりとかはまあ、うん、絶対できないタイプである。
それがどうだろう、ミッチーのライブでは「愛してます!」とノリノリで叫んでしまう。
それってすごく、幸せな経験だな、とライブ中ふと思い至った。
※ミッチーワンマンツアー「DON'T THINK, POP!!」東京公演初日の感想です。一部曲目などに触れておりますので、ネタバレご注意ください
ミッチーのライブには「愛してますか?」「愛してます!」「愛されてますか?」「愛されてます!」というコールアンドレスポンスがある。
初めてライブに行く前に友だちに教えてもらい、すごい文化だな〜!と思ったけれど、これがともかく楽しい。し、ものすごく幸せになる。
それは、きっとただ「お約束」的に愛し愛されてることを確認してるわけではなく、本気度120%で双方が言っている、そうあの会場の空気に感じるからだ。
そんなわけで去年なんかは「え、もうそれは恋人じゃん…」と本気で衝撃を受けたりもした。
そんな去年の「楽しい」の経験から友だちにもぜひ今年もワンマンツアーに参泉したい、とお伝えし、やってきた東京、7月6日。
相変わらずダンスの予習は完璧、とは言えないものの去年よりはいくらかマシ、かつ、友だちにも新しい曲の振り付けのポイントを聞き、今年は自らペンライトも購入!としながら「あれ、さては私、めちゃくちゃ楽しみにしてるな?」と気づいた。
なんなら、ライブ1週間前、最後の仕上げと新しいアルバムを聴き込みながら帰り道、何度か涙ぐみそうになり「あれ、これは物凄く今回のライブ沁みてしまうのでは?」とドキドキした。初回がともかく楽しかったから…というのもあるけど、ともかく今回のアルバム、物凄く好きだぞ、とわくわくを募らせて迎えた当日。
前回のブログで、私は感想をこう締めた。
夢みたいな時間は、確かに現実と闘う……いや、現実を楽しむ力をくれた。
この力でまた、私は一年頑張って彼のステージを晴れやかな顔をして観に行きたい。もちろん、その時はとびきりのお洒落をして。
だからこそ今回も絶対行くんだ、と思っていた。そう!そして!とびきりの!おしゃれをしてね…!!ええ、今回は買いました、指定カラーのお洋服。
なんなら、友だちから「みず色のワンピースがいいよ!」と言われ、え、こんな初心者がそんなにノリノリでやっても大丈夫ですか?というか私はワンピース似合うのか…?と思いつつ、ええいままよ、年に一度のお楽しみじゃ!と買ったみず色のワンピース。
結論、買ってよかった、本当によかった。みず色のワンピースを着て聴く生の「みず色のワンピース」沁み過ぎてすごかった。
この曲の歌詞のかわいさは語り尽くせないところがあるけれど、私はやっぱり聴くたびにミッチー自身がミッチーワンマンへのベイベー&男子たちの高揚感をこんなに理解していることに毎度グッときてしまう。
自分をそのライブの日に相応しくいれるように磨いてきたこと、何よりハッピーになっといで、とあの曲で歌うということはもう「ハッピーにするよ」ということと同義じゃないか。
ところで話は少し戻り、何故自分が対ひとに対してあまり「愛してる」と言わないか、ということを考えていた。それはきっと、愛してるという言葉の熱狂感が私は少し怖いのだ。だから、自己完結することや独り言でしか、愛してる、と口にしないのかもしれない。
熱狂は、受取手にどうしても負荷がかかる、と私はいつも思ってしまう。少なくとも自己発信するそれをうまくコントロールする自信が私には全くと言っていいほどない。
しかし、ミッチーのライブでは「愛してます」がコールアンドレスポンスになってるのだ。しかも、お約束的な熱量ではなく、しっかり本気で。
そうして私もその波に乗り、愛してます!愛されてます!と自信を持って叫んじゃったりすると、それはもう、楽しいのだ。楽しい、し、何か胸の内、暖かくてぽかぽかした、しっかりとしたものが広がる。愛されると自己肯定感が上がる、というが、確かにそうだ。
個人的にここ最近の出来事でじわじわと自己肯定感が削られていた私はあの多幸感のある空間、時間の中でほっと息をついた。
ハッピーになっちゃう、と思う。削れた分がしっかり補填されて、どころかさらにつやつやになるまで、自分が幸せになってもいいんだ、と思わせてくれる。本当にミッチーという人はものすごいな、と飛んで跳ねて、見様見真似で踊りながら、思う。
ミッチーのライブに東京に出てでも行きたい、と思ったのはミッチーの作り上げるライブが好きだからだ。
そこでは、ファン歴や性別、なんで来たかもぜーんぶひっくるめてミッチーの愛が届き、かつ、ミッチーに愛が伝わる。それってなかなか作り上げることが難しいと思う。
愛してます、幸せになってください、とは口にされることは多いけど、それをああして受け取れる形にまで昇華しているのは、本当に長くスターとして続けられてきた結果だと思うし、あの何気ない、まるでホールではなくもっと近い距離で直接手渡されたように愛情や優しさを手渡してくれるからこそだろう。
それは、MCの言葉やコンセプトだけではなく、何より彼が大切にしてきた音楽やその音楽で伝えるんだ、という思いの積み重ねだと思う。どちらか、だけじゃダメでどちらも揃って、そしてミッチーだからこそ、出来ることなんだと思う。
さて、私がミッチーの作るエンタメが好きだと思うもう一つの(そして好きになるきっかけだった)理由。それは「好き」に対する解像度の高さだ。
それは途中書いた「みず色ワンピース」もそうだけど、「Amazing Love」など、「好き」で頑張れるひとのことが「なんでこんなにわかるんですか?」というくらい鮮やかに描写されているのが本当に好きだ。そしてそれを、ああして熱量を込めて歌われるとグサグサに刺さってしまう。
そもそもが、毎日の中、報われなかったりガッカリしたりすることの方が多い。そうしているとだんだん「ちゃんと生きる」ことがバカみたいに思えて捻くれていくし、生き方が雑になる。
それをそっちじゃないよ、と手を引いてくれるのが好きな人、好きなものだと私は常々思っている。時々伝わらずにぽかんとされたりちょっと呆れたように笑われたりするけど、ミッチーは笑わないのだ。どころか、それを肯定してくれる。あの凄まじく美しい歌声で。
なんなら私は恋愛曲の歌詞の時にも「あー分かる」と思ってしまうから重症だ。
「敏感・センシビリティー」の歌詞が帰宅中、耳が拾い上げたとき「分かるよ〜〜〜」と叫びそうになってしまった。
感性を信じて進め、承認欲求のその先へ、は自分のためにも今後口ずさみたくなるフレーズだと思う。
自分も励まされるし、何よりもあなたがそのまま、思うまま、信じるままに生きていけますように、と願う心に思い当たる節があり過ぎて(そして同時にそう願うことの難しさにも心当たりがありすぎて)私は聴くたびに唸ってしまう。
なんでだ。なんでこの人はこんなに「愛」に対しての解像度が高いんだ。
人生を何周かしてると言われた方が納得がいくくらいのその解像度に触れていると、私は安心するし、嬉しくなるのだと思う。そう、昨日ライブで楽しみにしていた曲たちを聴いて実感した。
そして何より。
よく生きてほしい、と願うこと、その真っ直ぐな愛情に報いることができる自分でいたい、と心底願う。
「神サマお願い」の前のMCでのわざわざ自分から傷付きにいかないこと、そして傷つけに行かないこと、という言葉を繰り返し思い出している。ああ本当に、そうだよな。
目の前で歌われる「神サマお願い」が美しくて切実で、ずっと聴いていたいと思った。それは、思想とか思考とかよりもシンプルな祈りのようだった。
そして何より、ミッチーの音楽やエンタメはこの前提があるんだな、と思う。
良く生きていたい。善い人でいたい、笑って、幸せでいたいしそう周りをできる人でいたい。
そんなふうに思わせてもらえたことが何より嬉しい。
1日1日生きていたら、いつか必ず死ぬから。だから、安心して(と、私は受け取った)あーよかった、と思いきることができるように自分なりにちゃんと生きていこう。
でもとりあえずはまた、年に一度の逢瀬であるミッチーのライブに行きたい。その時また、ちゃんと生きていこうと思えるように、1日1日を積み重ねて生きていくつもりだ。